歴史の世界

中国文明:先史② 旧石器時代 後編(後期旧石器時代)

前回からの続き。

後期旧石器時代(4-1万年前)

後期旧石器時代の主役はホモ・サピエンス(現代型新人)。

この時代の初期に中国本土に流入し始める。そして新石器時代を迎える前までにはホモ・サピエンス以外の人類(古代型新人)は絶滅するのだが、この詳細については分からない*1

後期旧石器時代の時代区分

  • 前半:4-1.5万年前
  • 後半:1.5-1.1万年前

以下詳細。

後期旧石器時代前半

ホモ・サピエンスは中国本土(シナ)に無かった石器文化(石刃文化)を持って華北進入した*2

中国本土に無かった石器文化とは石刃技法を使った石器群である(ホモ属の特徴について ④打製石器 参照)。

この石器文化が華北流入した後も旧来の剥片石器群が中心として使われ続け、石刃技法の石器の比重は大きくはない*3

この時代は草原の草食動物(野生ウマやロバなど)を集中的に狩猟しており、高度な専門化がみられる。

いっぽう、華中・華南には石刃技法は伝わらず、旧来の石器文化が継続した。

後期旧石器時代後半

15000年前という時期は最終氷期の最後の亜間氷期ベーリング/アレレード期(14700-12900年前)の始まりの頃。

華北。細石刃技法が出現する。(ホモ属の特徴について ④打製石器 参照)

草食動物の狩猟のさらなる高度化が進む。

華中。前半では変化は起こらなかったが後半では起こった。

中期旧石器時代華北の剥片石器中心の文化がこの時期の華中に出現した。

華南。前回に引き続き、旧来の石器文化を使い続けた。

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出典:宮本一夫/中国の歴史01 神話から歴史へ(神話時代・夏王朝)/講談社/2005年/p75

  • 上の図は後期旧石器時代後半の石器分布を表す。
  • 宮本氏は「小型剥片石器」の地域が次の新石器時代に栽培植物を産んだとしている。
  • 「小型剥片石器」の地域は他の2つの石器の中間ということが重要なのではなく、環境が重要なのだ。つまり寒冷で草原の華北と亜熱帯で森林の華南とその中間の温暖湿潤の華中ということが重要。

もう一つ重要なこと。それは「古代型新人」と言われる化石人類*4が絶滅して「現代型新人(ホモ・サピエンス)」の時代になるのだが、以上のように石器文化は「古代型新人」の伝統を受け継いでいることだ。一部の中国人学者はこのことをホモ・サピエンスの「多地域進化説」の証拠だと主張するが、これに対し「アフリカ単一起源説」側の学者がどのように説明してくれるのかが知りたい。

新石器時代へ向けた新しいトレンド

栽培植物の話は新石器時代の記事で詳しくやるが、その前にこの時期に新石器時代へ向けた新しい動きがある。

この時期の華北・華南を問わず、石皿・叩き石が出土する*5 *6 *7

石皿・叩き石は食物加工具の一種で、叩き石でドングリなどの堅果類の殻を叩いて割って、石皿を使って製粉する*8。これは中国だけではなく、西アジアでも日本でも同じだ。

さらに注目すべき点がある。以下引用。

このような食物加工具は、中期までは出土していない。むろん人類は早くから植物資源を活用してたと考えられるが、それを加工するための専用の石器はなく、やはり狩猟による動物資源が食料の中心であったと考えられる。それに対して後期に専用の加工具が出土することは、採集による植物資源の活用に積極的に踏み出したことを意味している。このような植物資源の積極的な利用がやがて新石器時代での農耕へとつながることになったのであろう。

出典:中国の考古学/p32(小澤氏の筆)

石皿や叩き石は磨製石器で、磨製石器新石器時代の指標とされている。つまり磨製石器は出土した遺跡文化は新石器時代に達している可能性を示す遺物である。

現に、縄文時代が、新石器時代とされているのは(そう考えていない学者もいるらしいが)縄文時代とされる遺跡から磨製石器が出土するからだ(磨製石器の出土が十分条件ではない)。

最終氷期が終わるにしたがい、気候の温暖化によってこれまでの狩猟対象であった大型獣の消滅とともに、小型獣への狩猟対象の変化は、必然的に獲物を追う狩猟範囲を移していったに違いない。あるいは植物資源を主たる食料源とするように、次第に食料獲得戦略の変化と活動範囲の縮小化は、定住社会への移行をなめらかに導いたに違いない。

出典:宮本一夫/中国の歴史01 神話から歴史へ(神話時代・夏王朝)/講談社/2005年/p78

  • 後期旧石器時代後半の始まりはべーリング/アレレード期(14700-12700年前)という亜間氷期の始まりと重なる。宮本氏はこの時期を最終氷期の終わりとしている。上の本が出された時期は最終氷期の終わりの時期が学者によって違っていたが、2008年に国際地質科学連合というところで、最終氷期の終わり=更新世の終わり=ヤンガードリアス期の終わり=11700年前と決められた。要注意。

宮本氏が書いていることは、西アジアでも起こったことだ。

さて、私が見ている参考文献の中でこの時期(1.5-1.1万年前)を新石器時代に区分しているものは無かった。磨製石器以外に「新石器時代的なもの」が無かったのかもしれない。

ただし、以上書いたように新たな動きではあることは確かだ。



*1:私が読んだ参考文献には書いていなかった

*2:南部からの進入については私が読んだ参考文献には書いていなかった

*3:小澤正人・谷豊信・西江清高/中国の考古学/同成社/1999/p27(小澤氏の筆)

*4:後期ホモ・エレクトスネアンデルタール人か?これも参考文献に書いていないので分からない

*5:中国の考古学/p32

*6:宮本氏/p76-77

*7:世界歴史体系 中国史1 先史~後漢山川出版社/2003/p24(西江清高氏の筆)

*8:宮本氏/p76-77