歴史の世界

中国文明:先史③ 新石器時代 その1 新石器時代の始まりについて

新石器時代の始まりを何時にするか?

新石器時代でも近代でもそうだが、その始まりを何時にするかは学者(あるいは学派)によって違い、数種類 存在することになる。

中国の新石器時代についても同様だが、ここではその時点の候補を幾つか取り上げてみよう。ただし、ただ一点だけで決められるものではなく、複数の指標を含めて考慮されることは全ての時代区分において同じである。

候補①:農耕の始まり(およそ1万年前)

中国における農耕の起源については、記事「先史:中国における農耕の起源について」で書いた。

中国の農耕発生当初の分布は華北がキビ・アワ、華中がコメ(イネ)で、その起源は およそ1万年前と言われている。

小澤正人氏(1999)*1はこの画期を採用している。

候補②:完新世の始まり(13000年前~11000年前)

宮本一夫氏(2005)*2西江清高氏(2003)*3完新世の始まり(最終氷期の終わり)を画期とした。

ただし宮本氏はこの画期を13000年前とし、西江氏は11000年前としている。

この違いは、完新世がヤンガードリアス期(12900年前-11700年前)と呼ばれる亜氷期を含むか含まないかという問題にある。以前はこの2つの説が並立していた(3つ以上あったかもしれない)。なので完新世という用語を見たら注意が必要。

この問題は2008年に国際地質科学連合という組織により完新世の始まりはヤンガードリアス期の終わりをもって始まる(つまりヤンガードリアス期は最終氷期の一部である)ということに決定されている*4

さて、話を戻そう。

最終氷期が終わって完新世に入り、安定的な温暖湿潤の気候が地球規模で起こった(現在も完新世だ)。このような気候変動の中で大型獣が消滅して、人々は小型獣の肉食と堅果類・穀類を中心とした植物食をあわせた食生活(食料獲得戦略)をするようになった(宮本氏/p78)。このような現象の舞台が長江の中下流域一帯(中緯度地帯)である。

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出典:宮本一夫/中国の歴史01 神話から歴史へ(神話時代・夏王朝)/講談社/2005年/p75

  • 上の図は後期旧石器時代後半の石器分布を表す。
  • 宮本氏は「小型剥片石器」の地域が次の新石器時代に栽培植物を産んだとしている。
  • 「小型剥片石器」の地域は他の2つの石器の中間ということが重要なのではなく、環境が重要なのだ。つまり寒冷で草原の華北と亜熱帯で森林の華南とその中間の温暖湿潤の華中ということが重要。

大型獣を追いかけ回す必要がなくなり活動範囲が狭まると、次第に定住をするようになる。

このような中で土器が発明され、堅果類のアク抜きや穀類の粥が作られたと言われる。ただし穀類は野生種のものを採集していたのであり、時を経て栽培するようになった(農耕するようになった)。

以上のように気候変動により環境が大きく変わり、それに伴い生活環境が一変した。時代区分にふさわしい。

教科書などではこの時期を「およそ1万年前」と書いていることが多い。1000~3000年ほどの誤差が生じるのだが、詳細を要しない場面ではこのようなアバウトな数字はアリなのだろう。

候補③:磨製石器の出現(1万5000年前)

磨製石器の出現のことは前回の旧石器時代後期後半のところで書いた。中国の先史ではこの時期は旧石器時代後期後半つまり旧石器時代末とされている。

前回に書いたが、磨製石器の叩き石や石皿は堅果類を叩き割ったり、磨り潰して粉末にするために使われた。つまりこの時期にそれまでの人類の食生活と比べて新しい変化が見られた。

15000年前は最終氷期の最後の亜間氷期ベーリング/アレレード期(14700-12900年前)*5の始まりの頃であり、ヤンガードリアス期という亜氷期が無ければ、農耕の出現は1000年早まっただろう。

まとめ

このブログでは、西江氏が示した11000年前を採用する。最終氷期の終わり、更新世の始まりの画期は石器時代の画期としてもふさわしいと思われる。

*1:小澤正人・谷豊信・西江清高/中国の考古学/同成社/p33-34

*2:中国の歴史01 神話から歴史へ(神話時代・夏王朝)/講談社/2005年/p76、年表。

*3:世界歴史体系 中国史1 先史~後漢山川出版社/2003/p23

*4:日本第四紀学会|第四紀学最新情報・第四紀の定義

*5:Bølling-Allerød warming - Wikipedia