歴史の世界

エジプト文明:先史⑬ ファイユーム文化

エジプトにおける農耕・牧畜を有する最古の文化はファイユーム文化だ。この文化は西アジア由来のものとされている。

ファイユーム文化は「ファイユームA文化、Faiyum A culture」と表されることがあるが同義だ。

現在のファイユーム低地

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出典:Nile River and delta from orbit - ナイル川デルタ - Wikipedia

・縦の緑の線の左にある横になったハート形の緑がファイユーム低地。ナイル川からおよそ30km。

上の航空写真は現在の様子。現在も緑に覆われている。エジプトのデルタ地帯に次ぐ穀倉地帯。低地(盆地)の北部にはカルーン湖があるが、現在は塩湖になっている。

エジプト中部のアシュート(Asyut)堰でナイル川からユースフ水路(Bahr Yussef)で水を引いている。ユースフ水路はナイル川のすぐ西隣を平行して走り、上エジプトの用水路として利用され、ファイユーム低地の手前で分岐した水路はカイロまでつながっている。

先史時代のファイユーム低地

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出典:高宮いづみ/古代エジプト文明社会の形成/京都大学学術出版会/2006/p16

  • 「ハトヌブ」という地点から分岐した支流がファイユーム低地そしてカルーン(Qarun)湖に流れ込んでいる。現在のユースフ水路は昔は当時は支流だった。

  • 古代の鉱物の話は別の機会にやる。

遺跡は現在の湖水面よりはるかに高い場所にあるのだ。その理由は、カルーン湖の水位変動という古環境にある。湖はナイル川とつながっているため、降雨量の増減による川の水位と地下水位に大きく影響を受け、これまで水位変動を繰り返してきた。現在のカルーン湖の水位は海抜-45mときわめて低いが、ファイユーム文化の時期は海抜+15mと水位がとても高く、その湖畔で人々は生活していたため、標高の高い場所に形成されたのだ。

出典:馬場匡浩/古代エジプトを学ぶ/六一書房/2017/p60

以下は、カルーン湖の水位の変遷

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the lake level during the Neolithic

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in Dynastic times

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in 1925

出典:Ancient Egyptian Mummies, Statues, Burial Practices and Artefacts 1*1

ファイユーム文化の生活様式

終末期旧石器時代にカルーニアン(カルーン)文化と呼ばれる文化があったが、ファイユーム文化との間に1000年以上もの断絶があり、2つの文化に継続性は無いとされている。*2

ファイユーム文化は下エジプトにおける最初期の新石器文化ということで本格的なものではなかったようだ。

ファイユーム文化の生業は、家畜動物と栽培植物が新たにレパートリーに加わったものの、そのほかは終末期旧石器時代のカルーン文化と大きく変わらないようである。したがって、ファイユーム文化は、狩猟・採集・漁撈に農耕・牧畜が付加され、生業が多様化したことが特徴であるが、本格的な生産経済に基盤を置く文化ではなかったかもしれない。ファイユームは地理的には、砂漠内のオアシスあるいは水たまりに近いとはいえ、カルーン湖の水位はナイル河と連動して変化していたらしく、この頃に王朝時代のような晩秋から冬にかけて麦類の栽培を行う農耕パターンが定着した蓋然性が高いであろう。

出典:高宮いづみ/エジプト文明の誕生/同成社/2003/p45

上の本によれば(p41-45)、エンマー小麦六条大麦二条大麦および亜麻が栽培されていた。

所蔵穴は合計150基を超え*3、鎌刃・石斧・石臼・石皿などの農具や調理器具の石器が数多く発見され、織物のための紡錘車・骨製の針や土器も発見されている。磨製石器もあり、新石器文化の道具は一通り揃っているようだ。ただし、新石器文化の要素の一つの巨大建造物は発見されていない。

その一方で石器は剥片石器群(剥片インダストリー)が道具の90%以上を占めている。磨製石器は少ないということらしい。

食料に関して。野生動物(ガゼル、ハーテビースト(ウシ科)、カバ、ワニ、カメなど)や魚類(ナマズ、ナイル・パーチなど)が検出されている。あとは野生か家畜か判断できないウシとブタの骨も検出されている。

集落について。集落址は3つのタイプが発見されている。

  1. 標高の高い場所、絶対に冠水しない場所に貯蔵穴のある大型の集落。
  2. 狩猟や漁猟のための湖の近くの大型の集落。季節的に冠水する場所。
  3. 一人が数日程度滞在するキャンプ。

これは初期の新石器文化ではよくある生活様式だ。

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出典:Absolute Egyptology - Egypt before the Pharaohs

時期

高宮氏(2003/p41)によれば、前5230年頃から約1千年、馬場氏によれば、前5500-4300年。

馬場氏はp62で「ヤギとヒツジはファイユーム文化が最古」としているが、p35では、前6000年に家畜されたヒツジとヤギがナブタ・プラヤで飼われていたとしている。食い違いだと思うのだが、これに対する説明は見当たらない。

ネットでエジプトおよび北アフリカにおける最古のヒツジ・ヤギの家畜の年代は多くの説があるらしい。馬場氏はナブタ・プラヤとファイユーム文化で全く違う文献を参考にしているのでこのような食い違いが発生したのだろう(ただそうだとしても読者が混乱しないように出版前に処置してほしかった)。

*1:著作者:Caton-Thompson E., Gardner E.(The Desert Fayum, Royal Anthropological Institute of Great Britain and Ireland, London, 1934) 

*2:近藤二郎/エジプトの考古学/同成社/1997/p43

*3:馬場氏(2017)によれば、300基ほど発見されている