以下は出版社のPHPの内容紹介
北朝鮮や中国の悲劇は、日本で起きたかも知れなかった――。
日本の史上最大の危機は、昭和20年(1945)8月15日の敗戦直後に始まった。実は、敗戦で日本に平和が訪れたと考えるのは、大きな誤りなのである。そのとき日本は、周到に仕組まれた「敗戦革命」の危機に直面していたのだ。(以下略)
「敗戦革命」とは、最終的に日本を共産党独裁・全体主義国家(そしてソ連の属国)にしようとする計画(工作)のこと。
「敗戦革命」計画は日本では失敗に終わったが、北朝鮮や東欧で成功している。これらの国々がどのような歴史をたどったかは周知の通りだ。
たとえ「敗戦革命」が成功しても米ソ冷戦勃発によって共産党独裁は解散させられた可能性が高いが、そうなったら「朝鮮戦争」ならぬ「日本戦争」という形で米ソ代理戦争が起こったかもしれない。
敗戦という絶望の上にさらなる絶望は回避された。そして、どのように回避されたのかがこの本で書かれていることだ。
目次
序 章 「敗戦で平和になった」という誤解
第一章 ルーズヴェルト民主党政権下での対日「敗戦革命」計画
第二章 中国共産党による対日心理戦争
第三章 戦時下での米中結託と野坂参三
第四章 近衛上奏文と徹底抗戦の謎
第五章 停戦交渉から逃げ回ったエリートと重光葵の奮戦
第六章 占領政策という名の日本解体工作
第七章 GHQと日本共産党の蜜月
第八章 昭和天皇の反撃
第九章 仕組まれた経済的窮乏
第十章 敗戦革命を阻止した保守自由主義者たち
著者について
著者の江崎道朗氏については
《【書評】江崎道朗『知りたくないではすまされない~ニュースの裏側を見抜くためにこれだけは学んでおきたいこと』 - 歴史の世界を綴る》
で書いたのでそちらを参照。
内容
この本の内容は、日米戦争敗戦直後から二・一ゼネスト中止直後までの歴史を扱っているが、高校教科書に載っているような歴史ではもちろんなく、情報史学(インテリジェンスヒストリー)を使った歴史だ。
まずインテリジェンス・ヒストリーのことから。
インテリジェンスとインテリジェンス・ヒストリー
インテリジェンスは「知性」という意味ではなくCIA(セントラル・インテリジェンス・エージェンシー:中央情報機関)のインテリジェンスだ。すなわち、スパイ工作や情報収集・分析・プロパガンダ・影響力工作を含む仕事の総称で、CIAはそれを行なう機関・組織の代表例となる。
さて、インテリジェンス・ヒストリーとはどういうものかは、この本から引用する。
かつて、「 アメリカ 共産党」 とか「 コミンテルン」 などと いう と、 頭 の おかしい 謀略 論 として 一笑 に 付さ れ て い た。
大きな 転機 と なっ た のは 一 九九 五 年、 ヴェノナ 文書 が アメリカ 政府 の 手 によって 公開 さ れ た こと だ。 ヴェノナ 文書 とは、 一 九 四 〇 年 から 一 九 四 八 年 までの あいだ に 米 陸軍 情報 部 が 秘密裡 に 傍受 し、 FBI( 連邦 捜査 局) と イギリス 情報 部 が 協力 し て 解読 し た、 アメリカ 国内 の ソ連 工作員 と モスクワ との 暗号 通信 の 解読 記録 で ある。
この ヴェノナ 文書 の 公開 によって、「 コミンテルン」 や「 アメリカ 共産党」 の 対米 工作 が ルーズヴェルト 民主党 政権 と 第二次世界大戦 に 与え た 影響 を 研究 する こと が「 学問」 として 成り立つ よう に なっ た。
「インテリジェンス・ヒストリー」 と いう。
出典:江崎 道朗. 日本占領と「敗戦革命」の危機 (PHP新書) (Kindle Locations 564-571). 株式会社PHP研究所. Kindle Edition.
ヴェノナ文書以外にもソ連のインテリジェンス組織の内部の記録が世に出回り、インテリジェンス・ヒストリーはアメリカだけでなく各国に広がり、先進国の中では日本以外は大学の学部・学科として扱われている。
コミンテルンはレーニンによって設立された世界各国の共産党を指導するための組織だが、実のところは対外工作機関(インテリジェンス・エージェンシー)だ。
ただしこの本では、ソ連の諜報・保安機関である「国家保安委員会」(のちのKGB)、ソ連赤軍の諜報機関「参謀本部情報総局」(GRU)と上述のコミンテルンを合わせたものを、便宜的に総称して「コミンテルン」としている。*1
コミンテルンはアメリカ・中国の中枢、さらにはGHQにまでエージェンシー(工作員)を送り込み、日本の「敗戦革命」計画は実行に移されていた。
「敗戦革命」計画における攻防
さてここからが本題。
冒頭に出版社のPHPの内容紹介を途中まで引用したが、その続きを引用しよう。うまく内容が紹介されている。
ルーズヴェルト政権の占領政策策定にコミンテルンのスパイが多数関与し、恐るべきプランを仕組んでいた。さらに戦時下の中国・延安では、日本共産党の野坂参三らが、日本兵捕虜を「革命工作員」にすべく、洗脳工作を行なっていた。アメリカと中国の双方で、日本を「共産化」するための工作が着々と進められていたのである。
そして日本の敗戦と同時に、“彼ら”が日本にやってくる。“彼ら”はかねての計画通り、日本を解体するかのごとき占領政策を矢継ぎ早に実施し、巧みな言論統制とプロパガンダを行なっていく。さらに、日本共産党の活動を陰に日向に支援し、加えて、あえて日本を食糧危機・経済的窮乏に叩き込むような手立てを打ち続けた。つくられた窮乏と混乱のなかで、日本国民の不満が高まり、革命気運がどんどん醸成されていく。
これまで占領政策について、アメリカを批判する日本人は多かった。しかし、そのような占領政策に、敗戦革命を狙うソ連および共産主義者たちの思惑と工作が色濃く反映されていたことを、どれほどの日本人が知っているだろうか。
昭和天皇はじめ、当時、この危機に気づいていた保守自由主義者たちは、必死に反撃する。しかし占領下というあまりに制約が多い状況のなか、ついに時局は2・1ゼネストへ動き出す……。
現代日本人が知らない「日本崩壊のギリギリの危機」を描き切る圧倒的力作!
周知のように、2・1ゼネスト(1947年)はGHQによって中止に追い込まれ、その後 朝鮮戦争(1950年)の特需によって日本は経済的困窮からは脱した(ただし著者によれば朝鮮戦争も別の“危機”だったのだが、その話は続編で書かれている)。
以上に付け加えれば、著者が読者に伝えたいことは、中露の全体主義の恐ろしさと現代日本のインテリジェンスの軽視(関心の薄さ)への警告だ。これらについてはそれぞれ「はじめに」と「おわりに」に書いてある。
私の感想
この歴史のクライマックスは二・一ゼネスト中止だが、私個人のクライマックスは昭和天皇の登場からの逆転劇だった。
社会全体が不安定化して動乱が起こってもおかしくない中で巡幸するだけでも危険なのに、昭和天皇はストライキの中に乗り込み、共産党員と語り合った(共産党員は声をかけられたことに感激してハキハキと答えていた)。
日本 には、 仁徳天皇 の「 民 の 竈」 の 逸話 に 象徴 さ れる よう に、 貧しい 者 や 苦しむ 者 を「天皇のおおみたから」 として 労り 慈しむ という 伝統 が ある。
*2
昭和天皇はこの伝統をこのタイミングで実践した。共産党員も「天皇のおおみたから」として接した。
昭和天皇 は 熱狂的 な 大 歓迎 を 受け、 行く 先々 で、 拍手 と 万歳 の 声 が 鳴り響い た ので ある。
*3
天皇崇拝教育を受けた国民がこのようになることは理解できるかもしれない。しかし、第一次および第二次大戦の直後には各国の王室は多くが廃止されている。
江崎氏の本から逸れるが、昭和天皇のカリスマについて別の本から引用する。
乃木大将が、裕仁親王にお教えした徳目の一つは、質素ということであった。
天皇の生活。まさに、質素そのものである。
教育の成果が、これほど確実に現れるということも珍しい。
明治以後、わが国の皇室は質素である。王政復古以後も、式微(しきび)時代の生活を、そう大きく変えることはなかった。ブルボン王朝やロマノフ王朝とはちがうのだ。
ある日本人が、ヴェルサイユ宮殿を見物した。
案内したフランス人は、誇らしげに言った。ヴェルサイユ宮殿はフランスの誇りである。日本には、こんな立派な宮殿はないだろう。
その日本人は答えて言った。いかにも日本には、こんな立派な宮殿はない。それが何だ。日本の天皇は、人民を搾取してまで宮殿なんかお作りにならないのだ。天皇は質素にお暮らしになり、その思いは常に人民の上にある。だから脈々として一系の天子が継ぎたまう。
これに反し、ヴェルサイユ宮殿を作ったルイ十四世の子孫は、今、どこにいるか。
出典:小室直樹/奇蹟の今上天皇/PHP研究所/1985/p181-182
絶望の淵で、行幸によって天皇と国民の絆が確認された。
小室氏の本は以前に読んで半信半疑だったが、いまになって天皇のすごさが腑に落ちることになった。
皇室についてはもっと勉強しようと思う。