歴史の世界

エジプト第18王朝⑥ アクエンアテン 前編(アマルナ革命)

前回からの続き。

アメンホテプ4世(=アクエンアテン)はアメン神官団と決別した、古代エジプトでも特に有名な王の一人だ。

アメンホテプ4世(=アクエンアテン)前1362年頃-1333年頃)

アメンホテプ4世の即位

アメンホテプ4世は先代で父のアメンホテプ3世が行なっていたアメン神官団との権力闘争を継承した。

アメンホテプ4世は即位すると間を置かずに、アメン神信仰の総本山のアメン神殿(首都・テーベ)の東側にアテン神殿を築いた。

しかし彼はこれに満足せずに、テーベとメンフィスの中間の地に新しい首都を建設し、この地をアケトアテン(「アテンの地平線」の意)と命名した(現在名はアマルナまたはテル・エル・アマルナ)。さらに自身の名をアクエンアテン(アケナテン。「アメン神にとって有益な者」の意)に変更した。アマルナ革命の始まりだ。

アマルナ革命

目的:専制君主

アマルナ革命の真の目的はアメン神官団の権力の排除だった。アメン神官団が王権を脅かすほどの大権力を保持していたことは前回に説明したが、これを一気に排除して唯一の権力・権威を保持する専制君主になることを目指した。アメンホテプ4世改めアクエンアテンはこれを成功させた。

宗教改革

アテン神信仰の特徴

アテンは太陽神であり、古代エジプト史を通じて重要な太陽神ラーと同一視された。

時の潮流を支配したのは、ヘリオポリスの太陽神信仰であった。その教義によれば、ラー神こそが唯一の神であり、他の神々はラーから生まれ、ラーの身体のひとつが変化したものであり、すべての神々に内在する力こそがラーなのである。アテンもラー神が眼に見える日輪の姿として現れたものである。アテン信仰は、隠れた力の源であるラーよりも、眼に見える日輪アテンに力点を移したものであるということができる。

出典:世界の歴史①人類の起原と古代オリエント/中公文庫/2009 (1998年出版されたものの文庫化) /p547(尾形禎亮氏の執筆部分)

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出典:アメンホテプ4世 - Wikipedia

中央の人物がアクエンアテンで右上がアテン神。

上述の尾形氏はアテン神信仰の特徴として3つ挙げている(p548-549)。

  1. アテン神はエジプト人だけでなく、異国の人々にも恵みを捧げる。
  2. アテン神の教義の真の理解者は王だけであり、それゆえ祭祀は王だけができる *1
  3. アテン神は死後の世界も司る(伝統的な古代エジプトの死後を司る神はオシリス)。

唯一神のような様相を見せる特徴だが、唯一神信仰かどうかは議論のあるところだ。ただし、アクエンアテンが王権だけでなく、宗教上の権威も王が独占しようとしている意図が伺える。

他の信仰の「迫害」

さて、かつての首都テーベに残されたアメン神官団はどうなったのか?

尾形氏は、アメン神の名前と図像が削除(彫像は破壊され、壁面からは削り取られた)されたことを挙げて以下のように書いている。

エジプトにあたっては、名前の抹殺はその存在自体の抹殺を意味したから、このことはアメン信仰の禁止およびアメン神官団の閉鎖がなされたことを物語っている。(p546)

他の神の信仰は名前を削除されることは少なかったが、公式の祭祀は停止された。



*1:他の王たちは神官に代行させていた