この記事で『孫子』は最後。まとめる。
著者は呉の将軍、孫武
古代より『孫子』の著者が誰であるか議論されてきたが、最近ではオリジナルは孫武が書き、後世の人々がこれに手を加えたというのが通説らしい。
現在私たちが読んでいる『孫武』は三国志の曹操が編纂させた『魏武注孫子』(全13篇 )である。
『孫子』が著された背景
春秋時代の前半の戦争はルールがあった。この時代は戦争にまで「仁」とか「義」が重んじられた。これを破ると諸侯たちから避難されたのだろう。
『真説 孫子』の著者デレク・ユアン氏は「支配者たちの目標を達成する手段としては、戦闘よりも抑止と外交のほうが好まれたのである」 *1 と書いている。戦争自体で実利を得るのではなく、強さを示して外交交渉を有利にするための手段として戦争を活用したということだろう。また諸侯たちに承認されなければ戦争で得た実利(領土など)は我が物にならなかったのかもしれない。
春秋時代も後半に入るとこのルールが崩れる(春秋時代全体の秩序が乱れていったため)。次第に戦争自体に実利の追求を求めるようになった。
このような時代の中で為政者は試行錯誤したに違いない。『孫子』はその試行錯誤の集大成のような存在だったのだろう。
『孫子』は新しい時代(戦国時代)の戦争を決定づけたものの一つである。
記事
兵家(2)孫子(春秋時代前期の戦争)
兵家(3)孫子(春秋時代後期の戦争)
兵家(4)孫子(春秋時代末期から戦国時代の戦争へ)
『孫子』の内容
『孫子』の現代語訳など、詳細についてはネットでいくつか見られるのでここでは書かない。
『孫子』の本質的なものは2点。
ひとつは、君主・将軍に戦争に対して慎重になって開戦の決断時に国益を考慮することを求める。
戦争をすれば多大なコストがかかることは避けられず、戦争することになればそのコスト以上の利益がなければならない。相当の利益を出すには、事前に情報を収集して綿密なシュミレーションを行い、それで勝つ算段がつけば決行する。決して感情的になって兵を動かしてはならない。
兵書と言うと戦法(如何に戦闘で勝つか)が書いてあるイメージがある。『孫子』にもそのようなものが多く書かれているが、『孫子』の特徴は政治レベル(戦略レベル)のことに言及して、戦術レベル(如何に戦闘で勝つか)で勝っても戦略レベルで利益を得なければ戦争の意味がない、いや、国益を考慮しない戦争は国を滅ぼすから厳に慎まなければならない。
上のような考え方は、『孫子』の端々にまで行き渡っている。
浅野裕一氏は『孫子』の特色として「自国内では戦うな、攻城戦をするな、必要のない戦闘をするな、敵を騙して楽勝せよ、情報戦に力を注げ、長期持久戦を避けよ」などを挙げて「すべてこの[戦争のコスト]マイナス面をへらそうとする意図から出ている」と書いている(浅野裕一/雑学図解 諸子百家/ナツメ社/2007/p210)。
記事
兵家(11)孫子(君主は開戦について慎重にすべし、戦略的成功を常に心がけるべき)
もう一つ、「兵は詭道なり」(始計篇)。戦争とは敵を騙す行為である*2。
この言葉にも1つ目の考えが貫かれている。つまり自軍を強くしたり大軍で敵を圧倒するよりも、敵を罠にハメて弱体化させてこちらが優位に立つ方がはるかに安くつく、だから詭道に力を注ぐべきだ、と説いている。
そして最善の策は「戦わずして勝つ」。
上述のユアン氏は「戦争の目的は、敵をある程度コントロールすることにある」(ユアン氏/p173)と書いている。スパイを活用して敵の中枢を握ることができれば「戦わずして勝つ」ことも可能になる。
孫臏兵法
まず、『孫臏(そんびん)兵法』と『孫子』の関係から。
孫臏は戦国時代初期の斉の人で威王の治世の将軍田忌の軍師だった。桂陵の戦い・馬陵の戦いに参戦した一人で、強国・斉を支えた。
『史記』孫子呉起列伝の主人公の一人。この列伝によれば百数十年離れた孫武の子孫とのこと。
孫臏が『孫子』の著者であるという説もあったが、1972年に山東省にある前漢代の墓から現行の『孫子』13篇を含む孫武の著書とは別に孫臏の著書が発見された。ここに『孫子』の著者が孫武であることともに、孫臏の著書が現代において確認された。孫臏の著書は『孫臏兵法』と呼ばれる。
『孫臏兵法』
『孫臏兵法』は『孫子』『呉子』に比べて はるかにマイナーなので、少しだけ書くに止める。
孫臏は『孫子』に手を入れた一人だと考えられている人物で、『孫臏兵法』も『孫子』の思想がベースになっているという *3。
ただし、孫臏の時代は孫武より百数十年も経っており、戦争のやり方も変わってきている。浅野氏は『孫臏兵法』と『孫子』の違いとして、騎兵・攻城戦・陣法を挙げている。騎兵は孫武の時代にはなかったものであり、孫武の嫌った攻城戦は人口増加→都市(邑)の増加のため攻城戦を避けてばかりではいられなくなった。また陣法は戦争が長期戦持久戦化・複雑化する中で陣法の重要性が飛躍的に増大した *4。
また、戦争に最も重要なことは「必攻不守」であれ、つまり侵攻を主とする戦略をとることに重きを置いている(『孫臏兵法』威王問)。戦争に慎重を求めている『孫子』とは対象的だ。この『孫臏兵法』の主張の背景には当時の斉の政治的経済的発展がある。同時代の秦の宰相の商鞅は斉について「負海の国(斉を指す)、攻戦を貴ぶ」(『商君書』兵守篇)と評している *5。