歴史の世界

兵家(7)孫子(『孫子』と中国人社会の関係)

ここでは、『孫子』の地域的背景すなわち『孫子』と中国人社会の関係について書く。

中国人社会については、当ブログで「中国人論・中国論」というカテゴリーがあるので参考になるかもしれない。

相手(敵)を如何に貶めるか

軍人などを除けば、ほとんどの日本人は『孫子』を中国古典として親しんだり、ビジネス戦略書として学んだりしている。

戦略学者の奥山真司氏は『孫子』を戦略書として読み、その結果、日本人は「『孫子』の本質を大きく勘違いしている」と語る。

真説 - 孫子 (単行本)

真説 - 孫子 (単行本)

デレク・ユアン『真説・孫子』を翻訳した奥山真司氏が独自の理論を加えて『真説 孫子解読 2.0 』というCDを発売している。

www.realist.jp

その宣伝番組の一部がyoutubeに残っている。

www.youtube.com

動画のタイトルは

孫子」の本質を大きく勘違いしている日本人。|「文学」ではなく、戦略学として「孫子」を学ぶために・・・|花田紀凱 竹田恒泰 KAZUYA 奥山真司 4CH合同特番

そして、サムネイルには

孫子』の真髄
迷惑を相手に押し付ける

『真説・孫子』の著者の戦略学者デレク・ユアン氏は奥山氏の英国レディング大学の博士論文のコースメイトであるという縁で翻訳が決まったそうだ。

奥山氏がこの動画で強調していることは、

日本人の『孫子』を教養として「自分を如何に律するか」という読み方をするが(自分の行動基準を形成するための一助として『孫子』を読む)、『真説・孫子』を読むと、『孫子』が主張しているところは(中国の思想全体もそうなのだが)自分がどうこうするのではなく「相手(敵)を如何に貶めるか」である。(要約)

また、動画の中での話だが、日本では戦争と平和は全く別の状態と捉えるのだが、中国の世界観では戦争と平和が一体化している(毛沢東曰く(戦争は血の流れる政治であり、政治は血の流れない戦争である)。

こういった『孫子』の考え方は現代の中国人の考え方と一致するという。

孫子』第一 計篇(始計篇)に「兵は詭道なり」(戦争とは敵を騙す行為である)という有名な言葉があるが、中国人社会では「ウソをつくことは生き残るために必要な手段である。中国人にとってウソをつかないということは人生を捨てるということだ」(特別番組「中国五千年の歴史を石平先生と語る!」倉山満【チャンネルくらら・8月2日配信】 - YouTube )。

大げさに言えば、中国人は日常で「血の流れない戦争」をやっている。

ちなみに、「迷惑を相手に押し付ける」の解説は動画の中で詳細にしているのでそちらを参照。

彼を知り己れを知れば、百戦危うからず

「彼を知り己れを知れば」の重要性は、「自己認識」と「敵についての情報収集」だけにとどまるわけではない。ここでの「知る」とは、敵の意図、特徴、そして思考パターンだけでなく、敵軍の精神状態を解釈する重要性を強調しているのだ。他の孫子の格言と同様に、この格言も、孫子が戦争を「敵の思考を攻撃するほうが他の攻撃よりもはるかに好ましい」とする、いわば「マインド・ゲーム」として捉えていることが鮮やかに示している。

出典:デレク・ユアン/真説 孫子中央公論新社/2016(原著は2014年出版)/p155

ただ単に「彼我の状況の把握」ではなく、「敵の思考を攻撃すること」がこの格言に含まれていることを認識することが より重要だ、ということだ。

「敵の思考を攻撃すること」とは、敵方に工作を仕掛けて「負けた側が状況をほとんど把握できない」ところまで思考プロセスを破壊すること、具体的には「敵に古くて役に立たない情報を与え、当惑して混乱させ、何も機能できなくする」(p169) *1。究極的には「敵の司令となる」(p159)。

また、以上のような工作ができなくても、例えば、敵の工作に引っかかったと思わせて敵の想定通りの行動をするとか、味方の氣(spirit)を常に保って敵方の氣が乱れることを待つこと、または、味方の「システム」を敵方に把握させない、なども「敵の考を攻撃すること」になるのだそうだ。

ここまでくれば、「兵は詭道なり」(戦争とは騙すことである)が、「戦争の目的は、敵をある程度コントロールすることにある」(p173)という意味を含むことも理解できる。

まとめ(中国人社会に話を戻す)

マイケル・I・ハンデル『米陸軍戦略大学校テキスト 孫子クラウゼヴィッツ』で著者が「戦略というものは、時代と場所を越えても変わらない」という考えを披露しているということを以前紹介したが、ユアン氏もこれを紹介していた(p174)。まあ私のソースはユアン氏の本を翻訳した奥山真司氏のブログなのだが。

さて、ここで中国人社会に話を戻そう。

「戦略は西洋でも中国でも変わらない」。そして『孫子』の思想は中国人社会の中にある。

つまり、「中国人は日常的に戦略を考えている」ということになる。

中国人社会は日常が戦場であるということは石平氏が言っていることだが、東洋史家の宮脇淳子氏も同様なことを言っている。宮脇氏の師匠であり夫の故・岡田英弘氏の『この厄介な国、中国』 *2 の第二章のタイトルは「他人はすべて敵と考える民族 ― なぜ彼らは、自分以外の人間を信用しないのか?」。

我々日本人は、国民一人ひとりが戦略家である中国・中国人とつきあっていることを認識しなければいけないのだろう。おそろしい。



春秋時代の前半までは『司馬法』に書いてあるような「ルールに則った戦争」をしていたようだが、後半あたりから秩序が乱れ、さらに荒れ果てて当時の中国人はどうしていいか分からなくなっていた。

そこに孔子が現れて「夏殷周の礼を復活させれば秩序も復活する」と唱えたが、一方で、孫子は「兵は詭道なり」と唱えた。そして現代中国は...国民一人ひとりが戦略家である。


現代中国社会の日常レベルで『孫子』の「兵は詭道なり」がまかり通っていることは、石平氏らが語っている。

では『孫子』の著者の孫武の時代にも中国がこのような社会であったのだろうか?

この時代は秩序が大いに乱れていたことは事実だ。だから孔子は古代の礼をもって秩序を復活させようとした。

おそらく現代の中国人社会の源流は春秋時代の後半辺りにあるのではないだろうか?


*1:以上は、本当は戦略家ジョン・ボイドの「OODAループ」という概念の一部だが、ユアン氏はこれを「まさに……孫子の考えが鮮やかに現れている」としている。ユアン氏はボイド氏を西洋における孫子の後継者としている。

*2:2001/ワック(『妻も敵なり』(1997/クレスト社)の改訂版)