歴史の世界

墨家(1)基本思想

墨家の基本的な思想は「十論」と呼ばれる十個の主張からなっているが、その中でも有名な「兼愛」と「非攻」を先に書いていこう。その後に「十論」。

兼愛

兼愛説【けんあいせつ】
中国,戦国時代の前4世紀の思想家墨子(ぼくし)の説いた墨家思想の中核をなす考え。天地万物の主宰者である天に対して,人は長幼貴賤の別なく均しく天の臣であり,天が万物を公平無私に愛するがごとく,人もまた自分の国・家・身を愛すると同様に他人の国・家・身を愛するならばこの世は平和となり,天はこれを賞する,という。このような無差別愛を兼愛といい,儒家の説く仁は自分の父親を愛することからその愛を親族・他人におよぼす類のものであるから差別愛であるとして,墨家ではこれを排斥した。兼愛説の愛は精神的なものにとどまらず,利益をともなうもので,愛しあうことによって利益を与えあう(兼愛交利)。また〈義は利なり〉〈孝は親を利するなり〉とあるように,ここでの利は道徳に合致するものでなければならない。

出典:百科事典マイペディア/平凡社兼愛説(けんあいせつ)とは - コトバンク

一般的な説明は上のものでいいと思うが、湯浅邦弘氏はもう一歩踏み込んで以下のように説明する。

墨子の説く兼愛とは、決して博愛や平等という意味ではない。墨子は自己への愛と他者への愛との間に区別を設けてはならないと言っているのである。[中略] すべての人々が兼愛を実践していけば、結果として、博愛・平等愛の世界が実現する。しかし、それは結果であり、墨家は何も最初から万人を平等に愛せよなどとは言っていないのである。

出典:湯浅邦弘/諸子百家中公新書/2009/p134

  • この引用の論拠は『墨子』兼愛上篇。

一つ前の引用に戻って、「兼愛交利」の話。自己を愛するように他者を愛するのだから、他者の不幸は自分の不幸だということになる。その結果として、「愛しあうことによって利益を与えあう」という互助の実践が行われることになる。これが「兼愛交利」。

そして、墨家の最終目的は兼愛による天下の平和である。「戦国乱世に平和を取り戻すためにはどのようにすべきか」という当時の主題に対して、墨家の答えは兼愛であった。

非攻

墨子は、当時の戦争による社会の荒廃や殺戮による世の悲惨を批判し、政治の目的は人びとの幸福にあるが、戦争は略奪・盗賊的行為であり、人びとに何の利益も幸福ももたらさない。他国を奪取して利益を得たとしても、蓄積された財貨を破壊する行為であることには変わらず、多くの人命も失われると説き、戦争では失うものの方がはるかに多いとして、他国への侵攻を否定する主張を展開した。『墨子』は墨子による直著とみられており、そこでは「人一人を殺せば不義(正義に反する)といい、死刑になる。この説に従うなら、十人を殺せば十の不義で死刑十回分に相当し、百人を殺せば百の不義で死刑百回分に相当する。このことは天下の権力者は皆知っていてその非を鳴らし、不義としている。ところが、(戦争で)大いに不義を働いて他国を攻めると、それを非とすることを知らず、正義と誉める。それが正義に反することを知らないのだ」と訴えている。

出典:非攻 - Wikipedia(「」括弧内は『墨子非攻上篇の一部の日本語訳)

このような思想の下、墨家はどのような行動に出たか?徹底抗戦だ。墨家は戦闘集団とこれを支える兵器開発などの職能集団を持っていた。墨家侵略戦争を仕掛けられた城邑からの要請に応えて自前の戦闘集団を送り込んで侵略者に対して徹底抗戦をした。

墨子』において武力行使が肯定されるのは「誅」と「救」の場合のみ。この軍事行動だけが「義」として認められるのである。侵略戦争は他者の利益を損ねて自分の利益を図る行為であり、兼愛の理想をもっとも過激に破壊するのである。要するに攻伐[大義を持たぬ侵略戦争*1]は不義、それを阻止する防衛戦のみが義なのである。こうして墨家は天下のために奔走した。

出典:湯浅氏/p141(文字修飾は引用者)

墨家の思想は平等主義的だが、日本の一部の非武装中立を謳う念仏平和主義者とは全く違う。

基本思想(墨家十論)

基本思想(墨家十論)

以下が『墨子』における墨家の十大主張である。全体として儒家に対抗する主張が多い。また実用主義的であり、秩序の安定や労働・節約を通じて人民の救済と国家経済の強化をめざす方向が強い。また全体的な論の展開方法として比喩や反復を多用しており、一般民衆に理解されやすい主張展開が行なわれている。この点、他の学派と異なった特色を有する。特に兼愛、非攻の思想は諸子百家においてとりわけ稀有な思想である。

兼愛
兼(ひろ)く愛する、の意。全ての人を公平に隔たり無く愛せよという教え。儒家の愛は家族や長たる者のみを強調する「偏愛」であるとして排撃した。

非攻
当時の戦争による社会の衰退や殺戮などの悲惨さを非難し、他国への侵攻を否定する教え。ただし防衛のための戦争は否定しない。このため墨家は土木、冶金といった工学技術と優れた人間観察という二面より守城のための技術を磨き、他国に侵攻された城の防衛に自ら参加して成果を挙げた。

尚賢
貴賎を問わず賢者を登用すること。「官無常貴而民無終賤(官に常貴無く、民に終賤無し)」と主張し、平等主義的色彩が強い。

尚同
賢者の考えに天子から庶民までの社会全体が従い、価値基準を一つにして社会の秩序を守り社会を繁栄させること。

節用
無駄をなくし、物事に費やす金銭を節約せよという教え。

節葬
葬礼を簡素にし、祭礼にかかる浪費を防ぐこと。儒家のような祭礼重視の考えとは対立する。

非命
人々を無気力にする宿命論を否定する。人は努力して働けば自分や社会の運命を変えられると説く。

非楽
人々を悦楽にふけらせ、労働から遠ざける舞楽は否定すべきであること。楽を重視する儒家とは対立する。但し、感情の発露としての音楽自体は肯定も否定もしない。

天志
上帝(天)を絶対者として設定し、天の意思は人々が正義をなすことだとし、天意にそむく憎み合いや争いを抑制する。

明鬼
善悪に応じて人々に賞罰を与える鬼神の存在を主張し、争いなど悪い行いを抑制する。鬼神について語ろうとしなかった儒家とは対立する。

出典:墨家#基本思想(墨家十論) - Wikipedia

この十論の成立の時期だが、浅野裕一氏によれば、兼愛・非攻の系統を弱者支持の理論、尚同・天志の系統を大帝国を目指す天子専制理論と捉えた上で、(墨子=墨翟の時代の)前者が衰えるにつれて戦国後期に後者が興ってきたとする見解が、今日ではほとんど定説であるとする。

しかし浅野氏自身は「十論」は墨子(墨翟)自身がその人生のうちに完成させた、という説を採っている。*2

墨子』魯問篇においての説話。弟子の魏越が遊説に出発する前に墨子に質問した。「各国の君主に面会したら、まず何を説けばよいでしょうか?」。墨子曰く「その国家が混乱していれば尚賢・尚同を、経済的に困窮していれば節用・節葬を、音楽にふけって怠惰であれば非楽・非命を、デタラメで無礼であれば尊天・事鬼(天志・明鬼)を、侵略戦争に熱心であれば兼愛・非攻を説け」。

浅野氏は、上の説話は墨子が、「十論」を5グループに分けて相手の国情に応じて説法を使い分けていたことと、十論の最終目的が諸国家を安定的に存続させようとすること即ち封建体制の維持が目的であることを明らかにしている、そして十論の主張はこの他の説話にも散見されている、と書いている*3

というわけで繰り返しになるが十論の最終目的は諸国家を安定的に存続させ、封建体制を維持させるということ。当時の思想界最大の課題であった「秩序回復」に対する墨子の回答がこれだ。

ただし、上に書いたように、浅野氏の主張以外の説もある。



次回は墨家の歴史について書く。


漫画の原作は酒見賢一氏の小説。映画もある。
ネタバレになるが、この作品では墨家は戦国後期に体制側に奔(はし)った説をとっているようだ。主人公はそれを良しとせずに墨家における反体制側の人間として描かれている。


*1:p138

*2:浅野裕一/雑学図解 諸子百家/ナツメ社/2007/p118

*3:浅野氏/p118、120