歴史の世界

エジプト文明:先史⑭ メリムデ文化

場所

メリムデ遺跡はナイル・デルタの西端、低位砂漠との境界にある現在名ワルダーンという村の近くにある。耕地拡張のため大半が破壊されてしまったと言う。

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出典:Merimde Beni Salama site in Delta is larger than was thought \Ahram Online 9 Apr 2015

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出典:Absolute Egyptology - Egypt before the Pharaohs

時期

馬場匡浩氏によれば*1、前5000-4100年頃。ファイユーム文化とほぼ並行して存在した。

文化

発掘の結果、5層の文化堆積が確認された。

第Ⅰ層はファイユーム文化と極めて似ており、西アジアとの接触があったことを示している。

第Ⅱ層は、骨製の銛、貝製の釣針、石斧などの存在から、アフリカ起源が推測されている。第Ⅰ層と違い、土器が複雑な器形など手の込(こ)んだものになってきた。石器も石刃・剥片の頻度が低くなり、両面加工石器が普及する。その中には鋸歯状の刃部を持つ穀物の刈り取りに使用したと思われる大型の鎌刃が現れた。

第Ⅲ-Ⅴ層では遺跡が拡張されている。地面を浅く掘り窪める家屋(竪穴式住居)が現れる。土器は器面がやや研磨されたものが現れるようになり、わずかだが彩文装飾も認められる。石器は大型の両面加工石器が主流になり、基部に抉(えぐ)りの入った(かえしのある)石鏃も発掘されている。

メリムデ文化の生業はファイユーム文化と基本的に同じ。ただし、次第に貯蔵穴が大きくなるため農耕の重要性が増していったと考えられる。ファイユーム文化は農耕・牧畜は狩猟・採集・漁撈を補完するほどのものだったが、メリムデ文化は、こちらが生活の基盤となった。

メリムデはナイル河の増水システムを利用した農耕が行われた最古の遺跡であるが、生業は農耕と牧畜を基盤としながらも、野生植物の採集、野生動物の狩猟および漁撈にも大きく依存していたと推測される。

出典:高宮いづみ/古代エジプト文明社会の形成/京都大学学術出版会/2006/p51

ファイユーム文化との違いは上述した家屋の他には墓と人物像がある。

多くの墓が発見されている。特徴としては、墓は住居からさほど離れていない場所に作られ、頭を南東に置き、顔を東に向けた屈葬。副葬品はほとんどない。

人物像は下の写真のようなものが発掘されている。どのような意味を持っているのかは分からない。

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出典:Absolute Egyptology - Egypt before the Pharaohs

(この節は高宮氏の本を参照。p47-51)

*1:古代エジプトを学ぶ/六一書房/2017/p62