歴史の世界

中国文明:先史⑥ 新石器時代 その4 中期新石器時代 前編

中期新石器時代(前5000-前3000年)。

前5000-前3000年(7000-5000年前)の気候は温暖湿潤だった。農耕地帯は温暖化のおかげで拡散した。

完新世の気候最温暖期(ヒプシサーマル)

完新世の気候最温暖期 - Wikipedia」によれば、前5000-前3000年の期間の温暖化は地球規模のものだった。この事象が起こったメカニズムも分かっている(wikipedia参照)。

中国の先史ではこのイベントは かなりの影響があった(後述)。

同時代の西アジアやエジプトの先史では あまり取り上げられていない。ただし、この時期の末期に両地域で文明が誕生しているので何らかの影響はあったのかもしれない*1。その他の地域についてもよく分からない。

ちなみに、ヒプシサーマル(hypsithermal)のサーマルは温度、ヒプシは高いの意味。

農耕地帯の拡散

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出典:世界歴史体系 中国史1 先史~後漢山川出版社/2003/p36

  • 左下の数字は「前3000~前2000年」ではなく、「前5000~3000年」のような気がするのだが、どうだろう?
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前4000年文化圏分布*2
  • 仰韶文化は中期新石器時代の中心となる文化。仰韶文化の中心部の黄河中流域は後に文明の中心部になる地域だ。歴史の順に言うと仰韶文化(前5000-前3500年)→龍山文化(前3500-2000年)→二里頭文化(前2000年、文明の誕生)。この地域は後に「中原(ちゅうげん)」と呼ばれる。

長江中・下流域では安定して農耕集落が広がっていくが、これは気候の最適化だけではなく、技術の進歩もあったようだ。

以下の引用では、長江下流江蘇省にある高郵龍虬荘遺跡を例に挙げて説明している。

同遺跡で出土した炭化米は、遺跡が存続した期間内に徐々に大粒化する傾向を示しており、段階的に品種の改良が進められたことも明らかになっている。稲作農耕はイネ栽培化初期の粗放な形のまま拡大したのではなく、水田の造成、品種の改良、農具の改良、およびそれらを可能にする集団の組織化とともに拡張されていったと考えられるのである。徐々に進行したであろう水田造成など稲作に伴う環境の改変は、長江中・下流域において、いわゆる江南地方の原初の景観を形成することになったであろう。

出典:西江氏(世界歴史体系 中国史1)/p41

水田の造成が行われるようになるの中で灌漑をするようになったのだろう。華北においても灌漑農法は中期新石器時代の内に始められたのだろう(文献では確認できなかったが)。

稲作の初期の風景

少し話はそれるが初期の稲作農耕の風景について話をする。

上の西江氏の引用で「段階的に品種の改良が進められたことも明らかになっている」とある。初期農耕が発見される遺跡では農具がほとんど検出されないらしいが、これに対して初期農耕がどのようなものだったか仮説を立てている人がいる。以前の記事「先史:中国における農耕の起源について」で触れた本田進一郎氏である。

本田氏は上述の記事で紹介した倉田のり氏の珠江流域起源説を支持した上で、農耕は湿原で行われ、舟を使っていたとする。

「無意識の選択」(品種改良)により、初期農耕のイネは脱粒しやすいもので、脱穀時はイネの穂を棒でたたいたり、手で扱(こ)いだり(しごいたり)して収穫することから始まったと思われる(栽培化の前の野生イネの脱穀も同じ)。だから特殊な農具は必要なかった。

稲作に舟を使っていたという推測は環濠が水利の意味を持っていたということから伺える*3

「穂摘具で収穫するようになったのはかなりあとで、穂摘具を使用するようになってから、非脱粒性の形質が強く選択されるようになった」。穂摘具などの収穫道具が検出される用になるのは超高下流域では崧澤文化(6,000年前)以降、中流域では屈家嶺文化(4,500年前)以降だ。

以上は本田氏の説だ。詳しくは本田氏のブログ記事「イネの起源2 2018年4月11日:Origin of Oryza sativa – 農業と本のブログ」を参照。



*1:メソポタミア文明のカテゴリーエジプト文明のカテゴリー参照

*2:Eastern China blank relief map - File:Eastern China blank relief map.svg - Wikimedia Commons」の地図を使用。
wikipediaの諸文化のページと『世界歴史体系 中国史1』(p33)を参考にした。
私見!中国人(漢民族)の歴史 ( 歴史 ) - とりとめなき飲み屋 - Yahoo!ブログ」というブログ記事も参考になった。

*3:西江氏(世界歴史体系 中国史1)/p40