歴史の世界

中国文明:先史④ 新石器時代 その2 時代区分/早期新石器時代

時代区分

「○○年前」バージョン

  • 早期(11000-9000年前)
  • 前期(9000-7000年前)
  • 中期(7000-5000年前)
  • 後期(5000-4000年前)

「紀元前/BC」バージョン

  • 早期(前9000-前7000年)
  • 前期(前7000-前5000年)
  • 中期(前5000-前3000年)
  • 後期(前3000-前2000年)

今回は宮本一夫氏(2005)*1の時代区分を採用した。宮本氏の区分だと早期は13000年前から始まるが、このブログの旧石器時代の終わりの年代を11000年前にしてしまっているので、変更した。

宮本氏の大まかな説明によると

  • 早期:土器・農耕が出現する。遺物の発見が少なく細かな変化過程を述べることができない。
  • 前期:食料の割合において栽培穀物の比重が高くなり、文化の跡が詳しく分かる遺跡が各地に見られるようになる。
  • 中期:農耕の安定的発展・地域拡大、地域間交流の活発化の一方で、各地域の土器に特殊化が見られるようになる。仰韶文化を指標とする段階。
  • 後期:地域内での階層化、土器作りにおける専業化、青銅器の出現(西北地域や華北)。

以上を見ていくと、メソポタミア西アジア)文明やエジプト文明の発展段階とほぼ同じだ。この2つの地域と比べると1000年ほど遅れているようだが、これらの地域からの影響はあまり無く、独立して発展したようだ。

新石器文化で影響が見られるのは小麦の輸入と青銅器くらいしか思い当たらないが、家畜なども影響があったかもしれない。

早期新石器時代

定住の始まりと土器の出現

旧石器時代末(旧石器時代後期後半)の頃にはドングリなどの堅果類の採集や中・小動物の狩猟を中心とした食物獲得戦略に移行していた。宮本氏はこのような環境の変化が当時の人々を定住へとなめらかに導いたと主張している*2。このことは、記事「中国文明:先史② 旧石器時代 後編(後期旧石器時代) - 歴史の世界」に書いた。

早期新石器時代に入るとこれらの食料資源の仲間に、穀物すなわちイネ(華中)やアワ・キビ(華北)が入る。

この時期に より一層 定住する傾向が進んだと思われるが、それでも早期の遺跡がほとんど見つからないのは、可能性として定住への移行のプロセスが緩やかだったことや半定住という形が長い間主流だったことや定住の形態が(狩猟採集民のキャンプと同様の)将来に跡を遺りにくいものだったことが考えられる。

さて、早期の始まりは最終氷期の終わり、温暖湿潤完新世の始まりなのだが、この頃に土器が出現する。

土器は堅果類や穀物の煮沸具として開発された*3。肉や魚介類も煮込んだことだろう。

土器は新石器時代の始まりを決める指標の一つである。(新石器時代について参照)

農耕の始まり

中国における農耕の始まりは、華北がアワ・キビ、華中がイネ、華南は早期はまだ狩猟採集文化だった。

最初に書いておくが、人類が農耕を始めた動機は、積極的に食料の増加を求めたためではなく、もともと行っていた狩猟採集の補完として始められた。だから農耕が始められた地域より、同時代の狩猟採集だけで生活できた地域の方が安定して豊かだったと言われている*4。華南は狩猟採集が安定的にできたので、農耕をやる動機がなかった。華南では、農耕社会が華北・華南で確立された後に農耕を受け入れることになる。

さて、アワ・キビとイネの栽培家は およそ1万年前と考えられているようだ。

とりあえず記事「先史:中国における農耕の起源について」を書いた。

まず、イネから。

イネの起源

イネの栽培化の前に、イネがどうして人類に目をつけられたのか?という話から。

[ヤンガードリアス期の]冷涼化は野生イネの[多年生からの]一年生草本化を促し、華中では果実類や堅果類の生育を阻害した。これが野生イネに人間の関心が集まった原因であろう。さらにこの気候変動は、弱い夏のモンスーンによる寒冷で短い夏とともに、強い冬のモンスーンに見られる厳しい冬という、気候条件をもたらした。

この気候変動により、野生イネの一年生草本化やそれに伴う胚乳の増大がもたらされた。この野生イネの変化の過程で、人類は採集戦略として野生イネに関心を向けないではいられなかったであろう。

さらに、ヤンガードリアス期以降の気候の温暖化と東アジアの地形環境に即したモンスーンの発達は、高温湿潤の夏を生みだし、イネにとって良い育成条件となる。この生態的な変化により、人類は次第に採集戦略をイネの栽培に特化させていくことになるのである。

出典:宮本氏/p94

キビが祖先の野生種から栽培種に至るまで2000年かかった(後述)というから、イネも同じだとするとどうなるか?

ヤンガードリアス期が終わって(11700年前)、2000年経つと、およそ1万年前となる。

起源地の候補については上の「先史:中国における農耕の起源について」の記事のリンク先参照。

アワ・キビ

ある研究者達は北京に近い華北の平原部にある幾つかの遺跡*5で野生の穀類について調べた。各遺跡から出土した土器にこびり着いてた炭化した穀類を調べたところ、野生植物の種から栽培植物であるアワが誕生するまでに2000年かかったという*6

以前に、コムギの野生種が栽培種に変わるプロセスについて書いた(先史:農業の誕生(新石器革命)と西アジアの新石器時代初期 )。

一般に、野生種から栽培種に変わるためには、同じ場所の野生種を毎年収穫して繰り返し種子が播かなければならない。そしてそのためには、定住か半定住が不可欠である。

さて、少し話は逸れるがキビについて面白い記事を見つけたので一部引用しておこう。

新石器時代ユーラシア大陸で、人々の生活が狩猟採集から農耕に移行する架け橋となった作物が、約1万年前の中国北部で栽培されていたキビだったということが分かりました。

キビは、今となっては食用にされることが少ない作物です。どちらかといえば、鳥のエサというイメージを持っている人が多いんじゃないでしょうか。でも、考古学雑誌「Archaeology Magazine」によると、当時の遊牧民や狩猟採集民族にとっては、とても便利な作物だったんです。

というのも、多くの水を必要とする上に植えてから収穫まで100日近くかかる米に対して、キビなら約45日で収穫ができるからです。しかも、あまり水を必要としないので、定期的に移動をしながらでも、農業ができます。

これまでは安定的に食料を供給できる農耕社会は、水の確保とコミュニティの形成が前提にあると考えられてきました。ですが、今回の発見によって初期の農業と社会に対する見解が変わってきます。

出典:新石器時代、狩猟採集と農耕のギャップを埋めた作物が明らかに | ギズモード・ジャパン



*1:宮本一夫/中国の歴史01 神話から歴史へ(神話時代・夏王朝)/講談社/2005年/p107-108

*2:宮本氏/p78

*3:宮本氏によれば(p79)これは仮説らしい

*4:宮本氏/p97

*5:東胡林遺跡、南荘頭遺跡など

*6:Early millet use in northern China | PNAS March 6, 2012/Xiaoyan Yangほか