歴史の世界

管子(3)(立政篇/乗馬篇/軽重篇)

前回からの続き。

立政篇

立政篇も管仲が書いたと言われている。

立政篇は行政上の細則や心得のようなものを集めたものだ。

その中で、訳者が注目している一つが、管仲が「重農主義者」であったということだ。

『管子』は『孫子』や『老子』などの多くの諸子百家の書とは違い、(抽象的でなく)かなり現実に即した即物的な書だ。それは管仲が政治家であるからであり、管仲以外の執筆者もこれを意識していたと思われる。

そういう意味で、管仲は生産力に重きを置いた。その一方で、工芸を贅沢なもの、無駄なものとして過剰なものは禁止するとまで書いている。斉の首都臨淄にはきらびやかなイメージを持っていたが改めなければいけないかもしれない。

またこの篇では監察にも言及している。監察は中国政治の伝統であるが、春秋時代に既にあったようだ。ただし、訳者は「たいていの時代、それが形式だけに終わっていた」と書いている。監察に賄賂を贈る慣習の話は三国志の一つの見せ場だ。

乗馬篇

乗馬篇も管仲が書いたと言われている。

「乗馬」とは兵賦の意味である、と訳者は書く一方で、乗馬篇は「主として税賦の制度を述べた者である」と書いている。

立政篇に続き、ここでも生産性について書かれているが、ここでは「土地は政治の基本」と主張している。管仲は生産性の評価を土地の面積だけで割り出すことを否定し、肥沃度や気候、生産物の質などに注目して課税の算出を考えるべきことを説いている。

私が特に注目したい箇所は以下の訳文だ。

市況は受給状況を示すものである。物価を下げれば商業利潤は薄くなる。商業利潤が薄くなれば、人民は商業に手をださず、農業生産にいそしむようになる。人民の大多数が農業を本務と心得てそれにいそしめば、社会の気風は質実となり、国家の財政は安定する。(p134)

毛沢東の政策を想起させるようなこの文句が、現代では間違っていることは言うに及ばない。現代では人民の大多数が農業をしたら、生産過剰になってしまって農産物の価格が二束三文にしかならない。食うには困らないが、食って寝るだけの人生を生きる人民を「社会の気風は質実」として片付けるのは人民の生活を満足させるに至らない(少なくとも現代では)。

市況に注意すれば、その国の政治の消長を察することができる。市場にぜいたく品が出回っているときには人心は浮ついており、実用品が多いときには政治は落ち着いていると判断してよい。(p134)

これは現在の日本の国政が採用している経済政策に近い考え方だ。そして間違っている。100円ショップが流行っているのは「実用品が多いとき」と言っていいだろう。しかしこれはデフレを表しているわけで、つまりは不況の時である。

「市場にぜいたく品」が出回って、人心が浮ついて金を使うような状況になってはじめて経済成長が見込まれ、国としての発展が見込まれるわけだ。日本以外の国の多くがそのように発展している中で、これは日本が停滞している原因として大きな部分となっている。

ただ、このような考え方は「マクロ経済はある程度コントロールできる」という考えを元にしている。春秋戦国時代の人も現代日本の為政者も「マクロ経済はコントロールできない」と考えているのだろう。

軽重篇

「軽重」は物価を意味する。訳者は「けいじゅう」と読んでいる。「軽重」は管仲が書かれたものではないとされている。

軽重篇は乗馬篇に続き、経済政策に関する篇。甲から康の7つの章があり、多くの紙幅を割いている。

経済政策は現代のものと比べれば取るに足らないものが多いが、独占が国を危うくすることと泥棒を生み出さない社会への言及など注目すべき点もある。

塩の専売

特に塩の専売などは管仲が始めた(ことになっている)そうだ。塩は中国社会の歴史を通じて需要が供給を大きく上回る物資だったので、安定供給のためにも専売は独占禁止の例外にあたるものだった(専売する理由はその収入のほうが遥かにメリットが高いが)。

夷狄掌握の法

軽重篇でもう一つ、興味深い節がある。「夷狄掌握の法」(p167-168)。

管仲曰く「各地の特産物を買い入れて流通を促進し、当方にたいする依存度を深めてゆけば、かれらは自然に入朝してこようというものです」。

これは中国の朝貢の原理だ。管仲が考え出したのかどうか知らないが、これにより交流を深め、衝突を起こりにくくした。