歴史の世界

管子(2)(形勢篇/権修篇)

前回からの続き。

形勢篇

形勢篇は、牧民篇と同じく、管仲が書いたと言われる経言9篇のうちの一つ。ただし形勢篇はもともとは山高篇と言われていた。

形勢篇の導入部で以下のように訳者は以下のように書いている。

物事には勢いというものがある。勢いに乗れば発展の度合いは速く、勢いがないのは衰亡をあらわす。勢いは必ず形によってきまる。為政者にはそれにふさわしい形--姿勢がいる。[以下略]

この引用部分は形勢篇の本文の訳ではない。『管子』中の「形勢解」篇(形勢篇を解説したもの)を参照しているというので(p95)おそらくはそちらからの訳出か要約なのだろう。

形勢=天の道

本文において「形」に相当する言葉は「道」または「天の道」。

「天の道」についての部分を抜粋する。

「天の道はただひとつの方向しか示さないが、実践のしかたによって現れ方は違ってくる。」
「君主たるべき道とはなにか。天の道がそれである。」
「現状を理解できないときには、昔のことから推察するがよい。未来を予測できないときには、過去を振りかえってみるがよい。すべてものごとは、現れ方は異なっているようでも、その法則性は、古今を通じて同一である。」
「天の道にのっとる者は成功するが、逆らう者はとりかえしのつかない失敗をするのだ。」(90-91)

訳者は「天の道」を説明するために法則性という言葉を使っている。これは言い換えれば「本質」と言ってもいいかもしれない。治める国の過去を振り返り、行政においての成功や失敗、文化や社会情勢などを調べれば、現在においてどのように行動すれば成功を収められるのかが分かってくる。

「君、君たらざれば、臣、臣たらず」

「君、君たらざれば、臣、臣たらず」という有名な言葉も形勢篇にあった(p88)。

意味は「君主が君主としての本分を全うしなければ、臣下もまたその職分を全うしない」という意味。

では、君主としての本分とはなにか。

「上下の気持ちを一致させる」というが、これは君主が政治・行政の方針を臣下に深く理解させるということになるだろう。そして君主はその方針に従って行動して臣下にこれをさせる。

これは、諸子百家の法家が法の成文化を強調した理由と言えるだろう。

もうひとつは、「恩沢を施して民心をつかみ、他方では威厳にもとづいて人民を支配する」とある。恩沢と威厳は形勢篇の冒頭で説明されている。恩沢とは国民の生活を豊かにするために尽くすことで、人民に威厳を感じさせるためにはどうすればいいかというと、やはり恩沢を施すことが重要だとする。

権修篇

修論管仲が書いたと言われている。

ここでの主張は、国力に合わせた国家経営、適切な論功行賞、能力に応じた人材配置、民力を低下させる重税・重労役の回避など。そして何より国の力の根本は民の力であることをここでも訴えている。

「天下を為(おさ)めんと欲する者は……」

天下を為(おさ)めんと欲する者は、かならずその国を用うるを重んず。
その国を為めんと欲する者は、必ずその民を重く用う。
その民を為めんと欲する者は、必ずその民力を尽くすを重んず。

天下を収めようとする者は、かるがるしく国を動かしはしない。
国を治めようとする者は、かるがるしく人民を使役しない。
人心をつかもうとする者は、かるがるしく民力を疲弊させない。(p100-101)

これは『管子』の思想の根本に通じる文句。

訳者は《労働力を根源を枯らしてはならないというこの主張は、君主の恣意的支配から組織的統治へ、やがては法家思想を生み出す源流となった》と補足している。

管仲は法家の始祖と言われることがある。法家については以下の記事で書いた。