歴史の世界

法家(1)法家とは何か/時代背景/法家と儒家の対立点

この記事より何回かに亘って法家について書いていく。

この法家の思想は、他の諸子百家の思想と同様、現代中国まで影響を及ぼしている。

法家とは何か

中国古代に興り,刑名法術を政治の手段として主張した学派。春秋時代管仲が法家思想の祖とされ,戦国時代の李 悝 (りかい) ,商鞅,申不害,慎到らが法家の系列に属する。韓非子にいたってこの思想が集大成され,その著『韓非子』 20巻は先秦法思想の精華といわれる。法家は法と術とを重んじ,法は賞罰を明らかにして公開し,特に厳刑主義をとって人民に遵守を促すものであり,術は人主の胸中に秘して臨機応変,その意志に人民を従わせる統御術とされた。政治を道徳から切り離した実定法至上主義であり,儒家が徳治,礼治を強調したことと顕著に対立する。法家思想は秦代の政策のうえに大いに具現されたが,漢代以降,学派としては消滅した。漢代には儒法2家の融合をみて,儒家は法的制裁をかりて礼の実現に努め,礼と法とは表裏をなしつつ,その後の中国法の性格を形づくるものとなった。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典/法家(ほうか)とは - コトバンク

上の通り、法家の集大成は戦国末の『韓非子』であり、「漢代以降,学派としては消滅した」。

韓非子』以前の思想は『韓非子』に吸収され、『韓非子』の後に諸子百家に分類されるの文献は無いのだから、実質的に「法家の思想=『韓非子』の思想」と言っていいと思う。

また「法家は法と術とを重んじ」とあるが、「法」と「術」と同様に重要なキーワードとして「勢」がある。法家の中核として「法・術(法術)」「法・勢・術」と2通りの説明があるのだが、「法・術」の方では「勢」を「術」のカテゴリの中にあると考えているのだろう。

このブログでは、わかりやすくするために法家の中核を「法・勢・術」とする。3つのキーワードについては複数の記事を書いて順々に説明していこう。

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出典:浅野裕一/雑学図解 諸子百家/ナツメ社/2007/p259

いちおう書いておくが、「法」は近代法とは別物だ。近代法は国民だけではなく為政者も束縛する力があるが、法家の「法」は前近代のそれであり、為政者が一方的に庶民を束縛し、法解釈も役人が持っている(三権分立など無い)。とはいえ、役人も上から恣意的な法(または法解釈)の運用によって害を被る。

余談だが、現代中国では、近代法ではなく前近代の法・法家の法がまかり通っている。2019年現在、香港の法律が北京政府によって恣意的に作られていることが、全世界の人々に知れ渡った。さらに言えば、一国二制度は世界に向けた公約なのだが、これをも守ろうとしないのが現代中国政府だ。この状況は中国の文化・伝統なので、たとえ中共独裁政権が倒れても、新政府が近代法で動く可能性は高くないと思う。

時代背景

春秋時代と戦国時代では、各諸侯の国内の政治でも大きな変化があった。春秋時代は貴族制であり、特に大貴族である卿の力が大きく、行政・軍事・外交などの権力を握っていた。しかし、戦国時代になると、大貴族が消滅し、代わって君主が大きな権力をもつ「専制君主制」へ移行した。

戦国時代の専制君主制は、君主権が強化されると同時に、成文法(文章化された法律)・官僚制・徴兵制などが制定されたことが特徴である。また、この時期には、思想の発達や都市部での貨幣経済の浸透、鉄製の農具の普及などもあり、文明としても大きく変化した時代であった。

出典:落合淳思/古代中国の虚像と実像/講談社現代新書/2009/p84

上の引用の中で、法家の役割は成文法と官僚制だった。貴族ではなく、よそ者を官僚に起用する場合、何らかの取り決めが必要となる。これを成文化することにより、起用される側も「就職活動」しやすくなる(ただし法が常に守られるかどうかという問題が常につきまとう)。

そういうわけで、「春秋時代管仲が法家思想の祖とされ」ているらしいが、実際は戦国時代が下るにしたがって、法の重要度が高り、その中で法家と呼べるようなな人たちが徐々に増えたと考えるのが妥当だろう。

法家と儒家の対立点

法家と儒家は全く違う思想を持っているが、如何にこの世を治めるかという政治的目的を持っていることにおいて共通している。

冒頭の引用にあるように、法家は「政治を道徳から切り離した実定法至上主義であり,儒家が徳治,礼治を強調したことと顕著に対立する。」

法家を「法治主義」、儒家を「徳治主義」と一般的に言われている。

ただし、戦国後期になると荀子が「礼治主義」を唱えて有名になる。彼は徳治主義に限界があると考えたらしく、「人々に礼のルールを学習させ、礼を基準に国家・社会を統治すべきだ」 *1 と主張した。『史記』「老子韓非子列伝第三」によれば、韓非が荀子の弟子であるとのこと。通説になっているが情報が限られているのでなんとも言えないところだ。



*1:浅野氏/p96