歴史の世界

管子(4)(重令篇/法法篇/五輔篇/七法篇)/止

前回からの続き。

重令篇

この篇は管仲が書いたものではないとされる。

訳者によれば、矛盾が少なくない『管子』の中で比較的に論旨が整然とされている(p209)。

「古代氏族社会」の名残りをとどめる春秋時代、血縁による政治がまだ幅をきかしていた。これにたいし、管仲は "近代化" を主張する。それは法令尊重であり、秩序整然とした基礎づくりであった。(p193)

春秋時代から戦国時代に遷り変わる時代に「古代氏族社会」から中央集権化・専制君主制化が起こった...

いや、「古代氏族社会」から中央集権化・専制君主制化した国が強国になり、それができない国は淘汰された結果、時代が変わったというべきだ。

そして中央集権化・専制君主制化の核となる部分の一つが、法令重視だ。これは結局のところ、王の命令に他の有力者(貴族)を従わせるということだ。明文化された法律を基礎として官僚システムを作り上げ、貴族たちの勝手気ままな行動を取り締まり、権力を王と王が選んだ官僚たちに一本化する。

そして、各貴族が持っていた兵力も国王の下にある官僚システムに吸収・一本化する。これで強国が出来上がるわけだ。

冒頭の一文に「およそ国に君たるの重器は、令より重きはなし。令重ければすなわち君尊(たっと)し」とある。意味は「一国の君主にとって、法令ほど重視すべきものはない。法令を重視すれば、君主の尊厳は保たれる」。

法律の作成を独占し、それを守らせることができれば、「君主の尊厳は保たれる」。

法法篇

法法篇は管仲が書いたものではないとされている。

法法は冒頭部の「不法法則事毋常。法不法、則令不行。」からつけられたもの。

この一文の読み下しは「法を法とせざれば、すなわち事 常なし。法、法ならざれば、すなわち令 行われず」

訳は「合理的な法律を制定しなければ、世の中は円滑にいかない。尊重されぬような不当な法律を制定すれば、上からの命令は守られない。」

上記の重令篇は法律作成の独占の話だったが、法法篇は「管仲の法律論」である、と訳者は書いている。

一、法は、道理にかなったものでなくてはならない。
二、しかし、法そのものは絶対的であり、一度きめた法をかるがるしく変えてはならない。
三、法は君主主権確立のための絶対的な手段であるから、批判を許すべきではない。
四、厳法重罰主義の国は栄え、然らざる国は乱れる。
五、法をきびしくすることと、法令を多くすることは区別されねばならぬ。法は簡単なほうがよい。(p222)

前近代の国は国家の安定と「君主主権確立」は同等のものと言っていいだろう。

これを前提として、君主の法律作成独占を維持するためには、自分勝手な法を作ることなど問題外で、「道理にかなったものでなくてはならない」。

訳者はこの法法篇の意義について以下のように書いている。

韓非ほどの鋭さもなく、洞察力もない。が、韓非に先行すること約四百年、君権確立が進歩的役割をになっていた時代背景を考慮において読むと、また別の興味がわこうというものである。(p219)

恣意的または独善的な法(または法ではなく命令)が横行する時代から明文法の時代までの過渡期にあって、法法篇の主張が価値を持つということなのだろう。

五輔篇

人心を掌握し、よい政治を行なうためには「徳」、「義」、「礼」、「法」、「権」の五つの段階をふまねばならぬ。(p226)

「徳」、「義」、「礼」は諸子百家でよく出てくるワードだが、流派によって大なり小なり違いがある。

良い政治をするための5段階も重要だが、上記の五つのキーワードが『管子』ではどのようなものかも興味深い。ただし、読む限りではこの篇に書いてあることがそれぞれのキーワードの定義ということではないらしい。

実務重視の『管子』では、以上のような抽象的なワードも具体的な行動によって示される。

人民が君主に対して「徳がある」と思うようにさせるためには「厚生、経済、水利、寛政(寛容な政治)、救急、救窮の六つを成功させなければならない。(p227)

結局のところ、ここでいう「徳」は「得」であり、君主が得を与えてくれるのならば、人民は従う。

一、親を大切にすること。
二、主君に忠節をつくすこと。
三、礼節を守ること。
四、行ないを慎み、法を犯さぬこと。
五、むだを省き、飢饉に備えること。
六、質実剛健を尚(たっと)び、災害や戦乱に備えること。
七、協力一致して敵の侵略に備えること。(p229)

具体的な行動が盛り込まれているところが『管子』らしい。

君主に徳があれば人民は従順になり、国家は君主の下で一致団結できる。

一、君主は公正にして無死であること。
二、臣下は忠義深く、私党をつくらぬこと。
三、父はいつくしみ深く、子を教え導くこと。
四、子はひたすらに親に孝養をつくすこと。
五、年長者は年少者をいたわり導くこと。
六、年少者は年長者にすなおに従うこと。
七、夫は誠実に妻を愛すること。
八、妻は家事にいそしみ、夫に貞節であること。(p232)

君臣、親子、長幼、夫婦の相対関係にある者同士がお互いの分を犯さずに以上のことを心がけて行動すれば、社会秩序が保たれ、各人の生活は安定する。

ここでいう「法」は身分秩序の安定のことを指す。君主、重臣、行政担当者、士、人民、それぞれの身分の者にはそれぞれの責務がある。

それぞれがこの責務を自覚して全うすれば、身分秩序は安定する。

徳→義→礼→法と各身分の人々が各々の身分秩序を自覚して全うできるレベルになって、その次が最後のステージの「権」となる。

ここで「権」とは何かを一言で表すのは難しいので、まずは「権」を体得するための尺度を引用する。

一、天の時を考えること。
二、地の利を考えること。
三、人の和を考えること。(p235)

「天の時」を考えるとは、具体的には、天災が起こらないようにする方策、または起こった場合の対応・対策のことで、これを十分にできること。

「地の利」は農作物の利益のことで、飢饉が起こらないようにする方策、または起こってしまった場合の対応などを考えること。

「人の和」は団結すること。

それぞれの身分の者がそれぞれの責務を自覚しながら、これらについて考えることができれば、どんな場合にでも臨機応変の対処ができ、大業を為すことができる。

七法篇

「七法篇」は管仲が書いたものとされている。

「七法篇」は軍事に関するものだが、それはだいたいが(軍人の立場からの主張というよりも)政治家の立場から書いたものだ。

兵法に関することというより、戦争をする前にどれだけ準備できるかが勝敗のカギを握るということを主張している。

豊富な物資、良質の武器、優れた人材、鍛錬された兵士、十分な情報、そして臨機応変の処置ができる状態。これが整えば必勝だ。

敵国を攻撃する前に、まず自国の内政の安定をはかるべきである。内政が安定しないのに国外に兵を出すのは、自ら壊滅を招くに等しい。(p244)

内政には物資の充実以外に、上記の五輔篇にあるような全国民のレベルの度合いも含まれるはずだ。

そして彼我の状況を比較検討して有利な形勢の時に仕掛ければ必ず勝つことができる。