歴史の世界

エジプト第18王朝⑤ ミタンニとの同盟/アメン神官団と王権

エジプト第18王朝④ からの続き。

ミタンニとの同盟

  • トトメス3世(前1504年 - 前1450年)
  • アメンヘテプ2世(前1453年 - 前1419年
  • トトメス4世(前1419年 - 前1386年)
  • アメンヘテプ3世(前1386年 - 前1349年)

出典:エジプト第18王朝 - Wikipedia

トトメス3世以降、王権は平和裏に継承され、対外戦争もほどほどに行われたがトトメス3世以来の勢力は維持された。エジプト王たちは中東の王たちよりもはるかに平和で安全で豊かな治世を維持することができた。

アメンヘテプ2世初期まではミタンニとシリアにおいての勢力圏争いをしていたが、ヒッタイトの軍がミタンニの領内を侵攻したため、両国は和平交渉を行うことになった。

和平交渉は長期に及び、トトメス4世に代替わりしてようやく同盟条約が結ばれた。

両国の同盟は、ミタンニの王女たちがエジプト王家に嫁ぐことで保障された。トトメス4世に娘を嫁がせたのはアルタタマ1世(前14世紀初期)が最初で、この後シュッタルナ2世(前14世紀初期)そしてトゥシュラッタ王(前14世紀後期)も同様の婚姻政策を採用した。

出典:小林登志子/古代メソポタミア全史/中公新書/2020/p153

領土はシリア北部がミタンニ、シリア南部とパレスチナがエジプトの勢力圏ということで合意した。ヒッタイトのターゲットはもっぱらミタンニだったので、この同盟はエジプトが一方的に利益を享受するものだった。

この同盟によってエジプトと中東の外交が始まり、つまりオリエント世界が始まるのだが、エジプトの方は(この時代以降も)中東にあまり関心を示さなかった。

ただし、金を「塵のように」保持していたエジプトはオリエント世界の第一の勢力を誇り、中東諸国にとって非常に魅力的な国だった。

エジプトと中東諸国との外交についてはアメンヘテプ3世の次代アメンヘテプ4世(アクエンアテン 前1350-1334年)の治世に遺されたアマルナ文書に詳しい。これについては別の記事で書く。

アメン神官団と王権

アメン神官団については「エジプト第18王朝②」で触れた。アメン神は第18王朝が創始される前からの王朝の主神であったが、トトメス3世が遠征の戦利品の多くをアメン神殿に寄進することにより、さらにその権力は増大して王権に並ぶほどになった。

そしてアメン神官団と王権との確執がトトメス4世の治世に初めて現れた。

アメン神官団のトップであるアメン大司祭の任命権は名目上は王にあるが、通例は神殿と宮廷の両方に関係する人物をあてる事になっていた。

しかし、アメン神官団はこの通例を破り、もっぱら神殿内で昇進してきた人物アメンエムハトを大司祭に就けた。王側はこれに対抗して、上下エジプト神官長(エジプト全体の神官のトップ)に神殿の部外者をあてる。上下エジプト神官長はアメン大司祭が兼任するのが慣例となっていた。

次代の王アメンヘテプ3世の治世でも確執は続く。

王は宰相プタハメスをアメン大司祭と上下エジプト神官長に就かせた。これに対抗してアメン神官団は次の大司祭を宮廷とは無縁のメリプタハを就ける。そして王は上下エジプト神官長に神殿とは無縁の者を就けた。

長く続いてきた上のような応酬にケリをつけるべく、アメンヘテプ3世は新しい手を打った。これがアテン神の信仰だ。

アテン神はマイナーな太陽神の一つでしかなかったが、王はマルカタ宮殿(アメンヘテプ3世の王宮)や御座船に「アテンの栄光」と名付けたり、各地の土地の地名にアテンの名をつけた。

ただし、アメン神殿の勢力を削ることはできずに、この世を去ることになる。確執は次代に持ち越される。

(世界の歴史①人類の起原と古代オリエント/中公文庫/2009 (1998年出版されたものの文庫化) /p528-535(尾形禎亮氏の執筆部分) )