歴史の世界

エジプト第3中間期③ 第22王朝 2代目オソルコン1世から/第23王朝/第24王朝

前回からの続き。

2代目オソルコン1世から

シェションク1世(前945年 - 前922年)
オソルコン1世(前924年 - 前887年)
シェションク2世(前887 - 前885年)
タケロト1世(前885年 - 前872年)
オソルコン2世(前872年 - 前837年)
シェションク3世(前837年 - 前798年)
シェションク4世 (前798年 - 前785)
パミ(前785年 - 前778年)
シェションク5世(前778年 - 前740年)
ペディバステト2世 (前740 - 前730年)
オソルコン4世(前730年 - 前715年)

出典:エジプト第22王朝 - Wikipedia

初代シェションク1世を継いだオソルコン1世の治世は平和だった。ただし彼はエジプトが再び分裂する火種を残した。

シェションク1世が紀元前924年頃に死亡すると、長兄のオソルコン1世が王位を継承した。オソルコン1世はアメン大司祭職にあった弟のイウプトに代えて、自分の息子シェションク2世をアメン大司祭とした。そしてシェションク2世を共同王として後継者にする意思を表したが、シェションク2世は父に先立って死亡ししまった。シェションク2世の死亡から程なくオソルコン1世も死亡した。その結果オソルコン1世の別の息子、タケロト1世が王位を継承したが、彼の治世に関しては記録がほとんど残されていない。一方、テーベではシェションク2世の息子ハルシエセがアメン大司祭職を継いでいた。

タケロト1世が死亡すると、オソルコン2世が王位を継いだが、アメン大司祭でありかつての「正統な王位継承者」の息子であるハルシエセの権勢は強く、またテーベに漂う独立の機運も手伝ってオソルコン2世治世第4年、ハルシエセは王を称して共同王となった。

両者の関係は複雑であったが、直接的な対立は最後まで避けられた。そしてハルシエセが死亡すると、オソルコン2世はすかさずアメン大司祭職に自分の息子ニムロトを就けてテーベに対する統制を回復した。しかしこの後も南方のアメン大司祭職を巡る問題は第22王朝の政治的統一に影を落とし続ける。

出典:エジプト第22王朝 - Wikipedia

オソルコン2世の後はシェションク3世が継ぐのだが、彼の素性がよく分からない。そしてアメン大司祭に就いていたタケロト2世(オソルコン2世の孫)は彼を承認せずに、テーベで王となった。これが第23王朝となるのだが、この王朝については別の項で書く。

シェションク3世以降は複数の王が並立する時代に突入するのだが、詳しくは分かっていない。

最終的にはヌビアの王(第25王朝)がアフリカ全土を支配する。エジプトを分割していた諸王はヌビア軍に降伏した。ヌビア王はヌビアに帰るにあたり、諸王を元の領地の王として(属国として)認めたのだが、その後の第22王朝のことは分からない。

第23王朝

上述のようにアメン大司祭であったタケロト2世(オソルコン2世の孫)(前840-815年)が王を名乗って出来た王朝。以前は、第23王朝はナイルデルタ中央の都市レオントポリスを中心とした王朝とされていたが、今は上エジプトを支配した王朝にされているようだ。古代エジプト研究の事情のことは分からない。

タケロト2世の治世11年にペディバステト(彼も出自がよく分からない)(前829-804年)が反旗を翻し、権力争いが起こった。一部の研究者によればペディバステトは第22王朝に援助を受けていたとされる。ペディバステトはタケロト2世の死後に王位に就いた。

タケロト派とペディバステト派の権力闘争はその後も続いた。さらに上下エジプトには第22・第23王朝以外の王(地方勢力)が存在 のだが、権力闘争以外の事績についてはほとんど分からない。

最期の王イウプト2世(前754-715年頃)はヌビアの王の侵略に諸王と同盟を結んで戦うが破れて軍門に降った。

第24王朝

諸王並立時代にテフナクト(1世)(前732–725年)が王と名乗って出来た王朝。ただし彼を含めて2人しか名前が確認されていない。この王朝はナイルデルタ西部の都市サイスを根拠にして主にナイルデルタ西部に勢力を張った。

テフナクトは「西方の首長」、「リビア人の首長」「メシュウェシュの首長」と称していたのでリビア人と思ったら、そうではなく、アメン神官だということだ *1

テフナクトもまた諸王と同盟してヌビアと戦ったが破れて忠誠を誓った。ただしヌビア王は全エジプトを征服した後にヌビアに帰ってしまい、テフナクトは反乱を起こしてナイルデルタを版図とする王となった。

テフナクトの死後、息子のバクエンレネフ(前725-720年)があとを継いだが、再びヌビア軍に攻め込まれ、バクエンレネフは殺されて王朝は滅亡した。