2代目アメンホテプ1世の治世でエジプト統一事業は大方かたづいたようだ。
アメンホテプ1世は外征もしたが、彼の大部分のエネルギーは内政に注がれた。
外征
アメンホテプ1世自身が遺した記録はほとんど無い(または発見されてない)。彼の外征の記録は、前回紹介した「イバナの息子、イアフメス」の自伝や、もう一人の同時代人であるイアフメス・ペン・ネクベド(歩兵として参軍)の自伝に頼っている。
前者はヌビアの記録を書き遺し、後者はヌビアとシリアとおぼしき遠征について言及している *1 (シリア遠征については確定的ではない)。
ただし、冒頭で書いたように彼は無いせいに力を注ぎ、積極的な遠征ではなかった。シリアの属国化は後代の話だ。
内政
アメンホテプ1世は先代のイアフメス1世(アアフメス1世)がやり遺した事項を引き継ぎ、目的は達成された。
第2代アメンヘテプ1世の(在位 前1527-06年ころ)もまた、もっぱら内政整備に力を注いだ。アアフメス1世にはまだ残っていた高官、高級神官職の売買文書は姿を消し、王の任命権は貫徹され、王権は完全に地方行政機構まで掌握することができた。
出典:世界の歴史①人類の起原と古代オリエント/中公文庫/2009 (1998年出版されたものの文庫化) /p514(尾形禎亮氏の執筆部分)
宗教・葬祭関連
ピラミッド造営の断念
先代まで続いた古代エジプトの伝統であったピラミッド造営が断念され、新しい方式が考案された。
第2中間期のころまでには盛んにピラミッドの盗掘が行われていたので、まずは王墓と葬祭殿 *2 を別ける方針を採った。新王国時代の王の埋葬の場所が有名な「王家の谷」なのだが、これは次代のトトメス1世の治世から始められたので別の記事で書く(アメンホテプ1世の治世から始められたという説もある)。
アメン神
アメン神は元々はマイナーな神であったが、第11王朝(中王国時代の最初)に首都テーベの守護神となった。そしてテーベ由来の第18王朝初代のイアフメス1世は太陽神ラーと習合させてアメン・ラーとして国家神にした。
カルナック神殿/アメン神殿
カルナック神殿は首都テーベ近郊にある新王国時代を象徴する建築群で、数多くの集合体を指す。その中心の神殿はもちろんアメン・ラーに捧げるアメン神殿だ。その他に、主要な神の神殿があり、周りには各王の葬祭殿がある。
これらに着手したのはアメンホテプ1世だ(その前から神殿はあったので、正確には「拡張した」)。
アメン神官団
新王国時代の歴代の王たちは遠征から帰ってくる度にアメン神殿に莫大な寄進をした。これにより、アメン神官たちは王権をも脅かすほどの絶大な権力を持つことになり、王たちの悩みのタネになる。しかし、これはのちのちの話。
王家の女性の重要性
第18王朝の特徴の一つは、王家の女性が重要視されるようになったことだ。この頃から、王家に生まれた娘は王以外と婚姻してはいけないという原則が明確化し、ファラオの継承に王女の存在がより重要となった。また、アハメス王の妃アハメス・ネフェルタリは「アメンの神の妻」という称号をもつが、これは国家神を祀るカルナク神殿の神官職に従事し、王妃が強力な権限を有していたことを示す。この称号は代々王妃に受け継がれていくが、そうした王妃の地位の変化のなかで、女王ハトシェプストが登場する。
出典:馬場匡浩/古代エジプトを学ぶ/六一書房/2017/p140
五代目王ハトシェプストについては別の記事で書くとして、ここではアハメス・ネフェルタリ(イアフメス・ネフェルタリ)について。
アハメス王はイアフメス1世のこと。イアフメス・ネフェルタリはアメンホテプ1世の母親であり、彼が幼少の王だった頃は摂政を勤めていた。
イアフメス1世はネフェルタリとその後継者たち(歴代の王妃)に永続的な領地と財産を与え、「アメンの神の妻」という役職は絶大な政治的・宗教的権力を持つことになった。ネフェルタリはアメン神官団の業務の中心的役割を担い、「大王妃」(正妃の称号)よりも単独で「神妻」という称号をしばしば使った。(トビー・ウィルキンソン/図説 古代エジプト人物列伝/悠書館/2014(原著は2007年出版)/p172-173)
ちなみに、ウィルキンソン氏はネフェルタリが「王家の谷」の王墓建設に従事し、彼女と息子アメンホテプ1世は神格化されたとしている(p173)。