歴史の世界

先史:ホモ・サピエンスの「親戚」、絶滅する -- ネアンデルタール人とホモサピエンスの運命を分けたもの

現在、人類と言えば我々ホモ・サピエンスの種しかいない。しかし数万年前までは人類は同時代に数種類 存在した。

以前貼り付けた人類の進化の系統樹

f:id:rekisi2100:20170722084200p:plain
出典:人類の進化<wikipedia*1

ネアンデルタール人

ネアンデルタール人
狭義には、ドイツのデュッセルドルフ郊外のネアンデル谷にあるフェルトホッファー洞穴で1856年に発見された男性化石人骨。広義には、旧人の一種、ホモ・ネアンデルターレンシスの通称。約25万〜3万年前に欧州と西アジアに住んでいた。脳頭蓋は低くつぶれた形で長く、眼窩上隆起が出っぱり、額が傾き、後頭部が突出するなど、原人の特徴を残しているが、脳容積は1300〜1600立方センチもあり、新人と変わらない。顔は中央付近が前に突出している。男性で、身長は165cm程だが、体重は80kg以上と推定されている。欧州の寒い気候に適応した人々であり、中期旧石器時代の剥片(はくへん)石器製作技術により鋭い石の槍先(ムスティエ型など)を作った。
(馬場悠男 国立科学博物館人類研究部長 / 2007年)

出典:(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵2015」<コトバンク

上の身体的特徴は太っているというより寒冷の気候に適応するためにゴツい体格になったようだ。彼らはそのゴツい体格を活かして大型・中型動物を槍を使って狩猟した(彼らは槍を投げたりはしなかったし、弓矢を使わなかった)。

ネアンデルタール人の絶滅

ネアンデルタール人ホモ・サピエンスの生存競争の逆転劇は前回の記事で書いた通り。最後はヨーロッパの果て、イベリア半島にまで追い詰められたというシナリオがある(ネアンデルタール人その絶滅の謎<ナショナルジオグラフィック日本版2008年10月号)。

さて、いつ絶滅したか だが、上の引用では3万年となっている。しかし現在は4万年前という説が有力らしい。

年代学の視点で「ネアンデルタール人はいつ消滅したのか?」大森貴之氏(東京大学)の講演。 14C炭素同位体による年代測定はこの1~2年ほどで飛躍的に進歩した。水月湖を標準年代測定に利用することにより、5万年前までは確実に年代測定できる。ネアンデルタール人が最後に絶滅したとされるジブラルラタルのゴーラム洞窟は従来2万5千年前とされてきたが、4万年から3万9500年前とされた。2014年にオックスフォード大学からも4万年前と発表されたが、日本の研究チームは独自の方法で遺跡成分を再測定した確定した。4万年前にネアンデルタール人の遺跡が消滅したと同時期にクロマニヨン人の遺跡が増えていった。これは気候変動のサイクルである寒冷期ハインリッヒ・イベント5の時期に相当する。

出典:ネアンデルタール人は4万年前に絶滅した 国際第四紀学連合第19回大会開催記念講演会<ブログ『いちご畑よ永遠に』/2015/7/26

上のブログ記事を見たあとに以下の本を見つけたので引用。

話は年代測定の技術の向上から始まる。

2013年初め、[中略]ユーラシアの多くの古人類学的遺跡の年代を再評価する大掛かりな計画の結果が初めて発表されたのである。オーストラリア国立大学のレイチェル・ウッドとオックスフォード大学考古学・美術史研究所のトーマス・ハイアムが先導するチームは精度の高い分析技術を開発し、イベリア半島にある11の考古学的遺跡の資料の年代について再測定を試みた。これらの遺跡がとくに重要なのは、現生人類の到着と同時に気候条件が悪化してから、ネアンデルタール人は何千年ものあいだ居住していたユーラシアの広範に広がるテリトリーの大部分を放棄し、気候が比較的温暖な地中海沿岸の避難所〔レフュジア。寒冷期に一部の生物が生き残った避難地域のこと〕まで後退したという説の根拠となっていたからだ。[中略]

この再年代測定は、ネアンデルタール人の絶滅の時期に関するかつての結論に疑問を投げかけた。つまり、ネアンデルタール人は4万年前以降はおそらく生存しておらず、生存していたとする主張はすべて誤った年代測定に基づいていると明白に結論づけたのである。

出典:パット・シップマン/ヒトとイヌがネアンデルタール人を絶滅させた/原書房/2015(原著は2015年に出版)/p47-51

  • 上には新しい年代測定の方法が詳しく書かれているが私にはわからないので割愛。

上で登場したトーマス(トム)・ハイアム氏が2014年にNatureに発表した。題名は『The timing and spatiotemporal patterning of Neanderthal disappearance』。この論文を受けてナショナルジオグラフィックは以下の記事を書いた。

このたび研究者らは、ジブラルタルからコーカサスにわたって点在する40の洞窟から発掘された196個の動物の骨や貝殻、木炭を分析した。ほとんどはシカやバイソン、マンモスなどの骨で、全てにネアンデルタール人が使った石刃の痕跡が残る。

これらの骨を年代測定したところ、およそ5万年前から人口が減少し始め、集団が孤立していったことが明らかになった。それはちょうど、初期の現生人類が到来した時期と重なっている。

両者は同じ動物を捕獲したことから、生存競争によるプレッシャーがネアンデルタール人の集団を孤立させ、絶滅に追いやったと推測される。「孤立して遺伝的多様性を失った種は絶滅する可能性が高い」とハイアム氏は述べる。

ネアンデルタール人が衰退の一途をたどる頃、イタリアで大規模な火山の噴火が起こった。さらに4万年前、ヨーロッパの気候が寒冷化したため、「すでに人口が減り遺伝的多様性を失ったネアンデルタール人に最後の一撃が加えられた」と、ロンドン自然史博物館のクリス・ストリンガー(Chris Stringer)氏は話す。

ストリンガー氏は今回の研究結果を称賛し、「全体像がしだいに明らかになってきました。3万9000年前までに、ほぼ絶滅していたでしょう」と述べている。

出典:ネアンデルタール人の絶滅は4万年前?<2014.08.21ニュース<ナショナルジオグラフィック日本版

  • 上に「イタリアで大規模な火山の噴火が起こった」とあるが、これはナポリ近郊でおよそ39000年に発生したカンパニアン・イグニンブライト噴火(Campanian Ignimbrite eruption<wikipedia英語版)のことだ。ストリンガー氏はこれにより「遺伝的多様性を失った」と主張する。

しかし上で紹介したシップマン氏の本ではこの噴火の火山灰層の下にネアンデルタール人の遺跡の層がある、つまりネアンデルタール人は噴火以前に絶滅したと主張する。さらに「ネアンデルタール人の絶滅は数百年から長くて数千年かかっている」(ので噴火後100年ちょっとで絶滅するはずがない)とした(同著/p64-65)。

シップマン氏によれば、6万年前から24000年前までの期間に気候がきわめて不安定になり(短期間のうちに温暖期と寒冷期を繰り返した)、これに翻弄されたネアンデルタール人が人口縮小及び小集団での分散を迫られ「遺伝的多様性を失った」。そしてヒトとイヌのユーラシアへの「侵入」によりそのストレスで滅亡したと主張する。

シップマン氏の主張、つまり本の題名にもなっている『ヒトとイヌがネアンデルタール人を絶滅させた』という主張の詳細についてはここでは書かない。この本の監訳者の河合信和氏はこの仮説をもっともらしくするためには新しい発見が必要だと監訳者あとがきで述べている(p265)。

河合氏は上の主張からイヌの存在を抜いたもの、つまり「不安定な気候+現生人類登場のストレスなどの諸要因」が絶滅の原因としている(p265)。河合氏の意見でいいのではないか。

遺伝的多様性については「遺伝的多様性<wikipedia」に以下のように書いてある。

種の生存と適応
遺伝的多様性は、種の生存と適応において重要な役割を演じる。遺伝的多様性が高いことは、種に含まれる個体の遺伝子型に様々な変異が含まれ、種として持っている遺伝子の種類が多いことを意味する。このような場合、環境が変化した場合にも、その変化に適応して生存するための遺伝子が種内にある確率が高い。逆に、遺伝的多様性が低い場合には、環境の変化に適応できず種の絶滅を招く可能性が高くなる

出典:遺伝的多様性<wikipedia

さて話はすこしそれるが、シップマン氏の本から再び引用↓

ハイアム氏は次のように述べている。

残念ながら、過去60年にわたって積み上げられてきた放射性炭素年代記録には大きな不備があり、これらのモデルを厳密に検証するには不適切であることは、いまや明らかだ。汚染の除去が不完全であることと測定試料が測定限界に非常に近かった困難が組み合わさったことがその原因だ……この問題は測定した当時は認識されておらず、そのため適切に取り組まれなかった。さらに、中部から上部旧石器時代で利用できる年代測定の多くは測定が不正確なため、編年的にかなり大雑把な意味でしか使えない場合が多い。高性能な測定法が開発されたことで、年代測定の制度は大きく改善されてきた。骨の年代測定に「限外濾過」(ultrafiltration)〔骨から抽出したコラーゲンを分子量によってふるいわけ、資料の汚染を除去すること〕を適用し、さらに〔汚染除去の前処理をし〕……木炭の年代測定法により、いくつかの遺跡では最近測定されたものであっても、その年代測定はかなりの割合でおかしい結果のものがあることを明らかにした。

ハイアムのチームが信頼できる年代測定として使った基準はきわめて厳密で、絶対的に根幹的な技術と呼ぶにふさわしいものだ。

出典:シップマン氏/p52-53

ハイアム氏の主張は多くの学者に受け入れられているが、反論も少なくないそうだ。

ネアンデルタール人ホモ・サピエンスの運命を分けたもの

前回、前々回とホモ・サピエンスの文化的発展を書いた。

前々回は現代人的行動を書いた。現代人=ホモ・サピエンスだが、ネアンデルタール人もそれを持っていた可能性が高い。

しかし、「可能性が高い」と言われるほどしか証拠がないということは、ホモ・サピエンスのそれと歴然としたさがある。

前回は文化の爆発を書いた。この時期は6~4万年前ということで、ネアンデルタール人の滅亡と関連している可能性がある。ホモ・サピエンスが栄えて人口爆発している一方で、ネアンデルタールは絶滅のルートに入ってしまった。

また、記事「人類の進化:ホモ属の特徴について ⑫脳とライフスタイル その7(脳とライフスタイルの進化 後編) - 歴史の世界」に書いたことでは、2種の間に前頭葉の大きさの違いがある。

ネアンデルタール人の脳容量はホモ・サピエンスより大きいと言われることがあるが、思考・判断・創造性・社会性などを司る場所だ。

これにより、ホモ・サピエンスは言語を使用できるようになった。ネアンデルタール人が言語を使用できたとしてもホモ・サピエンスのような複雑なことを伝えることはできなかっただろうと言う。たとえば、物語を伝承することは無理だったろう。

そして上で書いたこととして気候の不安定がある。

以上を踏まえて、ナショナルジオグラフィックの記事を引用しよう。

技術や社会構造、伝統文化といった、集団生活から生まれる要素は、厳しい環境の影響を和らげて、集団の生存力を高めると考えられている。ネアンデルタール人の社会は、この点でも、私たちとは異なっていたかもしれない。

たとえば、アフリカから移動してきた現生人類の集団では、男が大型の獲物を追って狩りをし、女や子どもは小動物をつかまえ、木の実や植物を採集する分業が成立していた。アリゾナ大学のメアリー・スタイナーとスティーブン・クーンによれば、こうした効率的な狩猟採集の方法が、食生活を多様にしていたという。

一方、ネアンデルタール人は、イスラエル南部からドイツ北部までの遺跡調査で、ウマ、シカ、ヤギュウなど、大型から中型の哺乳類をとらえる狩猟生活にほぼ完全に依存していたことがわかっている(地中海沿岸では貝も食べていた)。植物も少しは口にしたようだが、植物を加工して食べた痕跡が見つかっていないことから、スタイナーらは、ネアンデルタール人にとって植物は副食にすぎなかったとみている。

ネアンデルタール人のがっしりした体を維持するには、高カロリーの食事が必要だった。特に高緯度地方や、気候が厳しさを増した時期には、女や子どもも狩猟に駆り出されただろう。[中略]

「ほとんどのネアンデルタール人と現生人類は、生涯の大半を通じて、直接顔を合わせることはなかったでしょう」と、ユブランは慎重に言葉を選ぶ。「居住域の境界近くでは、遠くから互いの姿を見かけることもあったと想像されます。その場合、互いに相手を避けるだけでなく、排除しようとした公算が高いと思うのです。近年の研究によれば、狩猟採集民は、さほど平和的ではなかったようですから」

出典:特集:ネアンデルタール人 その絶滅の謎 2008年10月号 ナショナルジオグラフィック 7ページおよび8ページ

この記事によれば、2種の運命を分けるものは狩猟採集・食生活の多様化と分業の効率性にあった。前頭葉の大きさが原因かもしれない。

さらに、排除について。2種は異種交配していたことが知られているが、ロビン・ダンバー 氏の推測によれば*2ホモ・サピエンスの集団がネアンデルタール人を襲撃して、その戦果として女を奪い、その結果、ホモ・サピエンスのDNAにネアンデルタール人のそれが混じっている、としている。推測の材料として、歴史を見れば女を略奪することは珍しいことではないとのこと。

  *   *   *

ちなみに、ネアンデルタール人 関連で論争になっている一つにシャテルペロン文化(シャテルペロニアン)がある。「シャテルペロン文化<wikipedia」では「約3.6万年前から3.2万年前」という期間が書いてある(この記事の参考資料は10年以上前のものだが)。これも年代測定のやり直しが必要なのかもしれない。

シャテルペロン文化についての2016年のニュースを紹介されているブログがあったのでここに載せておく。

sicambre.at.webry.info

私はこのブログ記事を正確に理解できない。分かるのは「トナカイ洞窟のシャテルペロニアン層の担い手はネアンデルタール人である可能性がたいへん高い」というところだけ。ネタ元はWelker F. et al.(2016): Palaeoproteomic evidence identifies archaic hominins associated with the Châtelperronian at the Grotte du Renne. PNAS, 113, 40, 11162–11167.

おまけ1:フローレス

2003年にインドネシアフローレス島で人類の化石が発見された。この化石人類を「フローレス人」という。

フローレンス人はジャワ原人ホモ・エレクトス)がフローレス島に渡り、少なくとも70年前に島嶼矮化(島という限られたスペースで生きるために体が小型化する現象)した人類(解説:約70万年前の超小型原人発見、フローレス島<2016.6.10ニュース記事<ナショナルジオグラフィック日本版)(諸説あり)。

絶滅は最近まで12000前あたりまで生存していたのではないかと言われていたが、2016年に5万年前には絶滅したという論文が発表された。しかもこの時期にはホモ・サピエンスがこの島に到来した時期と一致するという(フローレス原人を絶滅させたのは現生人類だった?<2016.4.01ニュース記事<ナショナルジオグラフィック日本版

追加参考文献:現生人類、6万5000年以上前に豪州到達 研究 2017年7月20日:AFPBB News

おまけ2:デニソワ人

2008年、シベリアのアルタイ地方のデニソワにある洞窟で小さな骨の破片が発見された。5万年から3万年前のものと思われる地層から発見されたため、当初はホモ・サピエンスネアンデルタール人の骨だと思われていた*3。しかし2010年に研究結果が発表された。

見つかった骨の一部は5-7歳の少女の小指の骨であり[3]、細胞核DNAの解析の結果、デニソワ人はネアンデルタール人と近縁なグループで、80万4千年前に現生人類であるホモ・サピエンスとの共通祖先からネアンデルタール人・デニソワ人の祖先が分岐し、64万年前にネアンデルタール人から分岐した人類であることが推定された[6]。

出典:デニソワ人<wikipedia(注釈は出典先参照)

デニソワ人に関してはほとんど分かっていないらしい。外見すら分からなっていない。

ホモ・サピエンス、唯一の人類になる

上に挙げた人類(化石人類)が絶滅した時期が確定していないため、ホモ・サピエンスが唯一の人類になった時期も確定されない。

しかしフローレス人もデニソワ人も、現在の遺物を見るかぎりホモ・サピエンスのライバルではなかった。ライバルといえるのはネアンデルタール人だけだった。そして前回の記事で書いた通り、ホモ・サピエンスは彼らに打ち克ち絶滅に追い込んだ後、南極大陸を除く全て大陸に進出して現在に至る。

*1:著作者:Tonny/ダウンロード先:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E9%A1%9E%E3%81%AE%E9%80%B2%E5%8C%96#/media/File:Human_evolution.jpg

*2:人類進化の謎を解き明かす/インターシフト/2016(原著の出版は2014年)/ページ数を忘れてしまった

*3:デニソワ人 知られざる祖先の物語<ナショナルジオグラフィック日本版2013年7月号