前回の「現代的行動」に関連して書いていこう。
- 作者: NHKスペシャル取材班
- 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
- 発売日: 2012/01/20
- メディア: 単行本
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今回は「第2章 なげる人・グレートジャーニーの果てに ~飛び道具というパンドラの箱」。出アフリカとホモ・サピエンスの行動の変化に注目する。
出アフリカ。一度目の試み。撤退
アフリカで産まれたホモ・サピエンスが他の大陸へ渡ろうとした試みを「出アフリカ」と呼ぶ。出アフリカは6万年前に行われて、そこから世界各地に拡散したことが膨大な遺物と研究によって詳細に分かっている。しかし、この前に一度、12万年前に出アフリカを試みて失敗していたことがあった*1。
12万年前、ホモ・サピエンスが最初にアフリカを出た場所は中東だった。彼らは75000年まで、8万年の間、生活していたがその後姿を消した*2。74000年前に始まった最終氷期の寒さに耐えられなかったようだ。この時は寒さに耐えられるほどの防寒技術その他を持っていなかったということだろう。
競争相手? ネアンデルタール人
いっぽう、ネアンデルタール人は寒さに適応した身体を持っていた。西アジアが寒冷になっても彼らは生活できた。
ネアンデルタール人は有能で成功した狩猟採集民だった。もしもホモ・サピエンスがいなかったら、彼らはいまでも存在していたのではないだろうか。ネアンデルタール人は複雑で洗練された石器を作り、それをもとに掻器や尖頭器など、さまざまな種類の道具をこしらえた。火を使って食物を調理し、野生のオーロックス(原牛)やシカウマなどの大型動物をしとめた。
出典:ダニエル・E・リーバーマン/人体~科学が明かす進化・健康・疾病 上/早川書房/2015(原著は2013年にアメリカで出版)/p165
- 掻器は皮なめしに使う石器。毛皮についている脂肪や肉を掻き取るために使用された。
- 尖頭器は字のごとく先端を尖らせた石器で槍先につけた。
このようにネアンデルタール人も それなりに技術を持っていた。
ちなみに槍で大型動物を狩る描写↓
作者:Heinrich Harder/1920*3
上の絵は作者が大型動物(グリプトドン)を待ち伏せで狩ろうとしているホモ・サピエンスの想像図だが、おそらくネアンデルタール人もこのように狩をしていたのだろう。木や草むらに隠れて待ち伏せして大型動物が近づいた時に槍で突いた。ホモ・サピエンスが槍投げ具を作ったあともネアンデルタール人は絶滅するまでこの方法で狩をしたようだ。
『ヒューマン』第2章ではホモ・サピエンス撤退までの時期においては技術的にネアンデルタール人のほうが上だったように読める。しかし実情は以下のようだったろう。
『ヒューマン』と違う主張
パット・シップマン著『ヒトとイヌがネアンデルタール人を絶滅させた』(原著は2015年出版)*4という本がある。これによると、ホモ・サピエンスは13万年前頃にレヴァント(地中海東海岸)に進出した、としている。以下はシップマンの主張(p65-66)。
13万年前から74000or71000年前までのあいだ地球は温暖期だった。ホモ・サピエンスは自分がアフリカから出ているという認識は当然持たずにレヴァントに生活の場を求めてたどり着いた。
この期間にレヴァントにネアンデルタール人の存在を示す物はほとんどない、としている。そして74000or71000年前になると寒冷期に入り、ホモ・サピエンスはレヴァントから姿を消し、入れ替わるようにネアンデルタール人がそこに戻ってきた。
つまり、両者の力量の差でホモ・サピエンスが撤退を強(し)いられたのではなく、環境の変化により両者の居住可能域が変化した、ということ。シップマン氏は両者が近接して共存したいたかどうかもはっきりしていないとする。
二度目の「出アフリカ」。成功
ホモ・サピエンスは6万年前、再び中東に進出した。これ以降、一度目のように撤退すること無く居続け、それどころか世界中に拡散し続けた。
74000or71000年前ころから最終氷期は6万年前の時期はまだ継続していた(最終氷期が終わるのは約1万年前)。
進出成功の原因 ~技術革新~
いったいなぜ、私たちの祖先は進出に成功することができたのか。
シェイ博士が大きなヒントを示してくれた。手元には三つの石器がある。それぞれスフール、タブーン、エル・ワドというこれまで紹介してきた、カルメル山の三つの洞窟で見つかったものだ。写真を見ても分かるように、スフールとタブーン洞窟のものには、まったく違いがない。それぞれ、"先発組"のホモ・サピエンスとネアンデルタール人がつくったものだ。ともに、ルヴァロワ技法という方法でつくられた石器で、ナイフのように獲物の肉や皮を切ったり、槍先につけて突き刺したりするのに使われた。つまりこの時点では、ふたつの人類の技術水準は同じだったのである。
ところが、エル・ワド洞窟で見つかったもの、つまり"後発組"がつくった石器は、ほかのふたつとはまったく違っていた。細長い形をしている石刃と呼ばれる石器で、エル・ワド洞窟に限らず、ヨーロッパからアジア、アメリカ大陸に至るまで世界各地で発見されている。いわば"後発組"の名刺代わりのような石器なのだ。
出典:ヒューマン/p134-135
上記の石器および技法については「打製石器<世界史の窓」の図解付き解説参照。リンク先の絵を見れば分かるように容易に大量生産できる技法だ。
この石刃をどのように使ったかというと投槍につけた。ルヴァロワ技法で作られた石器よりも薄くて軽く空気抵抗も少ない。ホモ・サピエンスはこれをつけた投槍で小さくてすばしっこい中小動物を狩猟が可能になった。いっぽう、ライバルのネアンデルタール人は投槍を使わなかった。その理由は分かっていない(ヒューマン/149-150)が、小柄なホモ・サピエンスに比べて大柄なネアンデルタール人は中小動物の肉では腹を満たせなかったのかもしれない(p141)(寒冷に適応したネアンデルタール人の腕は短くて槍を投げるのに不向きという説があるが、それほどまでには短くはないと思うのだが)。
さらにホモ・サピエンスはこの投槍を飛ばす投擲具(アトラトル atlatl)を作った。「atlatl」で動画検索すると どういったものかが分かる。
[ジョン・シェイ博士(考古学者/ストーニー・ブルック大学)]「この道具は投擲具といいます。こちらは投擲用の槍。やりの先端にはあの石刃が取り付けられています。この槍は、とても軽く、手で投げても遠くまで飛びません。せいぜい15メートルくらいで威力も弱いです。しかし、このように投擲具と組み合わせれば、殺傷力の高い強力な武器になります。フックにやりを引っ掛けて飛ばせば、梃子の作用で、かなり遠くまで素早く飛ばすことができます。威力も増します。」(p140)
これを使ってシカやウサギなどの中小動物だけでなくサカナも捕ることができた(p142)。
ネアンデルタール人が大型動物を捕っている一方で、ホモ・サピエンスが中小動物を捕るという状況だと生存競争にならないような気がする。これに対し『ヒューマン』によれば、大型動物が気候変動などにより個体数が減っても、ホモ・サピエンスは繁殖の早い中小動物や魚を捕ることによって食料を確保することができる、とした(p141)。
石刃と投擲具とは別の角度から。前述の『人体』から。
[ネアンデルタール人]の行動は完全に現代的とは言えなかった。たとえば骨角器をほとんど作らなかったから、動物の毛皮で服を作っていたはずなのに針をこしらえていなかった。[中略]彼らの生息環境の一部には魚も甲殻類もふんだんにいたのに、どちらもめったに食べなかった。原材料を25メートル以上運ぶこともほとんどなかった。(p165)
7万年以上前のたくさんのアフリカの遺跡から、アフリカに棲んでいた最初の現生人類は長距離交易をしていたことがうかがえる。つまり、そこには大きくて複雑な社会ネットワークがあったわけだ。(p208)
出典:リーバーマン氏/人体
骨角器について。
骨角器(こっかくき、bone tool)は、動物の骨、角、牙、殻などを材料として製作された人工品である。道具に限らず、装身具も含む。遺跡から出土する動物遺体の一種。
世界的にはっきりと道具として認識できる形状のものが出現するのは新人が出現した後期旧石器時代に入ってからである。
利器としては、銛(もり、ヤス)や鏃(やじり)、釣り針、ハマグリなど二枚貝の腹縁を欠いて刃にした貝刃(かいじん)、斧、篦(へら)、匙(さじ)、縫い針などがある。装飾品としては首飾り・耳飾り・髪飾り・腰飾りがあり、また、単独の彫像品もある。
骨角器<wikipedia
2段落目の「複雑な社会ネットワーク」については後述するが、『ヒューマン』第1章の「分かち合う心」も参照。
現代的行動
以上のホモ・サピエンスの技術革新を『ヒューマン』は「現代人的行動」の結果として捉えている。つまりアフリカから連綿と続き蓄積された文化の中の技術により困難を克服したということだ。
これとは違う説として「神経仮説」とか文化の「ビッグバン仮説」と呼ばれるものがある。
この論争(?)は前回の最初の節に書いた現代的行動の話になる。
「現代的行動<wikipedia」によると『銃・病原菌・鉄』で有名なジャレド・ダイアモンド氏が文化の「ビッグバン仮説」(同氏の言葉では"大躍進")を採用しているが、ネット検索をしているかぎりではこの説は否定される方向で進んでいるらしい。
「神経学仮説」とは、5万年前頃に現生人類(解剖学的現代人)に神経系の突然変異が起き、象徴的思考や現代人のような複雑な言語活動が可能になるなど、現生人類の認知能力が飛躍的に向上し、現生人類(解剖学的現代人)は真の現生人類(行動学的現代人)となり、急速に文化的発展を成し遂げて世界各地に拡散していったのだ、というものです。この見解は、後期石器・上部旧石器文化の開始を、人類史における一大転機であり、大発展だったとする解釈を前提としています。
出典:『5万年前に人類に何が起きたか?』第2版2刷 <雑記帳(ブログ)2008/01/16
この仮説の大商社的存在のリチャード・クライン氏は文化的発展を生物学的進化の結果だとしている。
もう一つ引用。
現生人類(ホモ・サピエンス)の行動面の進化
旧モデル
スタンフォード大学のリチャード・クラインらが唱えた「創造の爆発」モデルで、現代人的行動は、4~6万年前に新しい技術革新が突然に一斉に起きたことによって出現したとする。これは、アフリカでの知見があまり考慮されておらず、おもに、ヨーロッパの研究成果から導かれた説であった。
新しいモデル
2000年に、アメリカの考古学者サリー・マグブレアティとアリソン・ブルックス(2人とも女性) が新たな説を発表した。それは、次のような根拠から、現代人的行動は、アフリカで緩やかに、それぞれバラバラに出現したとするものであった。
- 石刃技法、オーカー(酸化鉄の赤色顔料)の採掘・使用--28.5万年前ごろに始まる。
- 尖頭器(槍先)=MSA(Middle Stone Age)[中期石器時代]--ほぼ同じ頃。
- 貝の採捕、漁労--10数万年前
- 定形的骨器、逆刺のついた骨製尖頭器--10万年前頃
- 外部への記憶オーカー、ビーズ--7.5万年頃
上の「旧モデル」がダイアモンド氏の「大躍進」で、「新しいモデル」というのが『ヒューマン』の言うところの「文化の創出」だ。そして『ヒューマン』は「新しいモデル」の論文を発表したアリソン・ブルックス氏にインタビューしている。
[ブルックス氏]「アフリカにいた私たちの祖先は、9万年前には十分に現代的でした。彼らには私たちと同じように考えることのできる脳があり、言語、精神性、宗教など現代の私たちと同じものを持っていたのです。もしも当時、技術的・社会的な環境があったなら、彼らはコンピューターさえ発明していたでしょう」
実際に、アフリカで現代的行動を窺(うかが)わせる証拠が次々と見つかってきていることで、博士たちの主張は説得力を増しているといえよう。対して「ビッグバン仮説」は、ヨーロッパはアフリカに比べて発掘調査が進んでいるがゆえの見かけ上の飛躍かもしれないという点から再検討もされている。
出典:ヒューマン/p146
「神経仮説」はどうやら間違っていたようだ。ただし、あふりかで現代的行動は起こったが、文化の"爆発"(ビッグバン仮説)は起こっていない。
文化の"爆発"に必要なもの:大規模なネットワーク
上で書いたことを言い換えれば、9万年前にすでに現代的だったホモ・サピエンスが、6~4万年前になるまで「文化の爆発」を起こせなかった。
では何故、起こせなかったのだろうか?
これは《「文化の爆発」を起こすために9万年前のホモ・サピエンスに何が足りなかったのか》という問題である。この問題の答えは「より大きなネットワーク(人びとのつながり)」となる。
上の『人体』の引用にあるように、アフリカでも「複雑な社会ネットワーク」は既にあった。しかしここでできた程度の規模では臨界点に達しなかったということだろう。
大きくなれなかった理由としてこのようなものがある。
アメリカの生物学者コリー・フィンチャーとランディ・ソーンヒルは、伝統的宗教の信者数、言語共同体の規模、「個人主義」対「集団主義」のバランスが、いずれも緯度と相関があることを一連の独創的な論文で示した。私たち〔つまりホモ・サピエンスは--引用者注〕は赤道付近では小規模で、より内向きで、結束の固い共同体を形成するのに対し、極地に近づくにしたがって大規模で、外向きで、個人主義的な共同体を形成するというのである。これらの生物学者は、この相関の原因が病原体負荷であることを突き止めた。熱帯が病気の温床であることは有名で、現在でもつねに新しい病気を生みだしつづけている。局所的な病原体負荷が高い条件下で健康リスクを減らすためには、他の集団との交流(とりわけ婚姻)を避けるのが効果的だと二人は論じた。自分が慣れ親しんだ共同体と病気と付きあっていくのが賢明であって、それはすでに免疫を進化させるための時間を共に過ごしてきたからだというのだ。
出典:ロビン・ダンバー/人類進化の謎を解き明かす/インターシフト/2016(原著の出版は2014年)/p261-262
低緯度の、6万年前以前のホモ・サピエンスは、高度な技術や芸術をつくる潜在的能力がありながら、ネットワークの規模が小さいためにせっかく発明した物事も消滅し、あるいは知識の蓄積を要する高度な物事を想像することができなかった。
いっぽう、高緯度に到達した6万年前以降のホモ・サピエンスは大規模なネットワークを形成することができた。その理由を引用しよう。
数年前にダニエル・ネトルが、言語集団(現代の言語の話者数)とその言語が話される地域は、緯度、より詳しく言えば、植物の生育期の長さと相関があることを明らかにした(緯度が高くなるにしたがって生息地が季節に依存するので、植物を育てられる期間が短くなる)。気候が予測不能で生育期がきわめて短い地域では、交換関係や交易関係が盛んでなければならないとネトルは説いた。状況が難しくなって別の場所に移ることができるためには、広い面積が必要になるのだ。問題は、隣人に助けを求めるには、直接話すことが書かせず、それには同じ言語を話さねばならない点にある。また世界像(道徳的信念、世界観など)がおなじであれば事はうまく運ぶだろうし、共有された世界像は同一の言語から生まれる。実際、私たちが行なった友情にかかわる研究では、共有された言語と世界像が日常的な友情の強さに大きな役割を果たすことがわかった。
出典:ダンバー氏/p249
高緯度では大規模なネットワークを形成することが不可欠だった。そして言語・世界像を含む文化は共有されて蓄積された。そして、ようやく、臨界点に到達して"爆発"が起こった。
一番最初に"爆発"が起こった場所は分からない。一番最初に思いつくのはヨーロッパだが、北アフリカや西アジアの可能性もある。
文化の"爆発"
とりあえず、ホモ・サピエンスは「150人の壁」を越えることができた。ではその先に何があったのか?文化の"爆発"が起きた。
[クリストファー・ストリンガー博士(ロンドン自然史博物館)]「集団のネットワークが大きくなると、問題に取り組む人衆が増え、新しいアイデアが次々に出やすくなります。それがもっとも発揮されるのは、氷期のような気候変動に見舞われた場合です。仲間が集って『さあ、どうしようか』と頭をひねっても、そうそういいアイデアが出るものではありません。それよりもお税でアイデアを出し合い、片っ端から試してみればいいのです。必要なのは、既存の知識をどれだけ知っているかではなく、新しいことにチャレンジできる絶対的な人数なのです」[中略]
[同氏]「現在は、いいアイデアが生まれれば、それは失われること無く受け継がれていきます。文字や資格情報などいろいろな方法で保存され、次の世代に伝達されるからです。過去はそうではなく、いいアイデアは出てきては、多くの場合失われていました。新しい文化や技術というものが定着するには、アイデアがどう保存されるかが問題です。それには情報が広まる安定した大きなネットワークが必要です。それがあれば、アイデアが存続するチャンスは大きいのです」
出典:ヒューマン/p189-190
集団の規模が大きくなったことで情報がより多く蓄積され、その蓄積された情報を使って多くの人びとが、多くのアイデアをチャレンジして、多くの新しい文化を生み出した。
(『ヒューマン』では飛び道具が大集団社会を可能にした仮説を紹介している。一度、この記事で紹介したのだが、個人的には全く納得できなかったので、ダンバー氏の本を読んだ時点で「飛び道具仮説」を消した。)