歴史の世界

インダス文明 前編(新旧のインダス文明像)

インダス文明は古代四大文明の一つだが、他の文明に比べてかなり発掘・研究が遅れている。インダス文明の範囲はパキンスタン・インド・アフガニスタンにまたがっていて、三国の政府はともに古代文明に関心がなく、パキスタンアフガニスタンについては紛争地域なのでそれどころではない。

こんな状況でも発掘・研究は、断続的で遅いペースだが、進行しているという。そして十年前二十年前のインダス文明のイメージは間違えだったということがわかってきた。

  *  *  *

この記事では主に長田俊樹氏の主張に依存する。

インダス文明の謎: 古代文明神話を見直す (学術選書)

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文明の基層: 古代文明から持続的な都市社会を考える

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旧来のインダス文明のイメージ(ウィーラー氏の文明像)

私のインダス文明のイメージは

  1. ハラッパーとモヘンジョダロの二大都市から成る」
  2. メソポタミア文明に影響されてつくられた」とか
  3. アーリア人侵入によって滅亡した」

というものだった。

こういうイメージは、長田氏によれば*1、イギリスの考古学者のモーティマー・ウィーラー氏*2による仮説*3によって広められた。ウィーラー氏は1970年代までインダス文明研究の第一人者*4で、その影響力は日本では今でも続いているという。

近年の発掘・研究の成果に基いて、ウィーラー氏の文明像は修正を迫られている。つまり、

  1. 上記2都市以外にも大きな都市遺跡が発見されている。
  2. メソポタミア文明とはかなり異なった文化文明を持っていて(ジグラットもなければ神官もいない)。
  3. アーリア人侵入以前にすでに衰退していた。

どうしてウィーラー氏は間違えたのか*5?1970年代までの発掘・研究が未発達だったという以外にも原因があると長田氏は主張する。それは長田氏の言葉を借りれば「権力闘争史観*6」だという。この言葉を理解するのに次の引用が必要だと思う。

都市のあり方を見るとき、権力中枢機能としての都市だけを考えるべきではありません。そうした考えの背景にあるのは、西洋中心主義的な発展段階説で、それによれば原始共産社会があって、奴隷制古代社会があって、封建社会があって、封建社会の中に中世の自由民の都市が生まれて……というようなイメージでしか都市が発想されません。

出典:長田俊樹・杉山三郎・陣内秀信/文明の基層: 古代文明から持続的な都市社会を考える /東京大学出版会/2015/p25/上記は長田氏の筆

長田氏の言う権力闘争史観=マルクス主義史観そのものかと思ったが、「西洋中心主義的な発展段階説」と書いているので、社会進化論全般のことを言っているのかもしれない。ちなみに有名な考古学者であるゴードン・チャイルド*7マルクス主義者だ。

新しいインダス文明の文明像(長田氏の文明像)

近年の発掘・研究の成果を踏まえて、長田氏は新しいインダス文明像を描くことを試みている*8。氏が挙げる主張を、すべてではないが、ここに書いておく。

インダス文明は「大河文明」ではなかった

四大文明と言うと、前回の四大文明の記事でも書いたが、大河に面した都市が農業・交易の両面で大河の恩恵に良くして発展をとげた、というイメージがある。メソポタミアやエジプトの地域では雨量が少なく大河の水を灌漑によって行き渡らせることで成り立っている。 インダス文明も、前述のウィーラー氏もそうだが、当然インダス川という大河の恩恵に浴した文明だと思われていた。

しかし長田氏によれば、近年の発掘・研究によりそのイメージが覆されたという。

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出典:Indus Valley Civilisation<wikipedia英語版*9

上はインダス文明の範囲だが、まず海岸沿いの地域は明らかに大河に依存していない。また、上の地図で点線で描かれている(今は存在しない)ガッカル・ハークラー川はインダス文明期は雨季だけに水が流れる季節河川だということが分かっている*10

インダス文明の農業の実態

上記のように、エジプト・メソポタミアの大河文明は雨量が少ないため冬作物が作られていた。

では、インダス文明の作物はどうか。上の地図を参照。

  • インダス川の中下流域は雨量が少ないため冬作物(麦類)が作られた。
  • 東南部は雨量があった(モンスーン)のため夏作物(雑穀類)が作られた。
  • 北東部はある程度雨量があるところで冬作物・夏作物の両方が作られていた。

エジプト・メソポタミアと同じように灌漑を行って麦類を作っているのはインダス川の中下流域だけだ。インダス文明は、乾燥地域とモンスーン地域にまたがっているため、二つの大河文明と全く同じとはなりえない。そういう意味でもインダス文明は大河文明ではなかった。

統治システム

さて大河文明とインダス文明の違いにもう一つ、統治システムがある。

エジプト・メソポタミアには強力な権力が存在し、ピラミッドやジッグラトのような大建造物を有する。これに対しインダス文明はそのような形跡はない。現在の学者の見解では、世襲のエリート、中央集権的国家、戦争の三つの要素が無いということで一致をみているらしい*11インダス文明にも権力者の富の象徴である穀物倉があると長い間思われてきたが、これも否定された、と長田氏は主張している。

流通ネットワーク

ランデル・ローという研究者が、ハラッパーの出土品を調べ、イヤリングやブレスレット等に使われた鉱物がどの地域からやってきたかという研究をしました。その結果、図30のようなネットワークの存在が浮かび上がってきました。彼いわく、まず船で河川を運んでいき、地上波牛車を使って – インダス文明期にはすでに牛車のミニチュアが作られていますが、同様の牛車は今も使われています – 運んできたと言います。船もメソポタミアペルシア湾岸、イラン、オマーンからやってきました。こうしたネットワークが実証的に明らかになってきました。

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出典:長田俊樹・杉山三郎・陣内秀信/文明の基層: 古代文明から持続的な都市社会を考える /東京大学出版会/2015/p23-24/上記は長田氏の筆

強力な権力者のいない、つまり富の集中の無いインダス文明でどうして上のように多くの鉱物が必要だったのか?それはメソポタミアへの輸出のためだった。

カースト社会

長田氏は現在の南アジアのカーストインダス文明に起因することを示唆している。

現在の南アジアはカースト社会です。カーストというと、上下関係ばかりが問題になっていて、人間は生まれながらに平等であると言われてきた我々にとっては、それだけで許せないと思いがちです。しかしカーストというのは、本来、多民族、多言語の職能分離社会ということで、実はインダス文明の当時もこの職能分離大系というものがあって、沙漠の中に点在する遺跡もそういう人たちが家畜とともに暮らした跡ではないかと思われるのです。職能によって色いろな階層に分かれた人たちがいると、お互いをお互いが必要とする。そうしたレシプロカルな状態、相互に依存し合う状態でないと成り立たない社会だというところに、私たちはもっと注目すべきではないか。

出典:長田俊樹・杉山三郎・陣内秀信/同著/p24-25

滅亡・衰退について

長田氏には上述した二つの本の他に『インダス 南アジア基層世界を探る (環境人間学と地域)』(京都大学学術出版会 2013)という本があり、インダス文明の衰退について詳しく書いてあるという。

インダス 南アジア基層世界を探る (環境人間学と地域)

インダス 南アジア基層世界を探る (環境人間学と地域)

Amazonの説明欄によると「その衰退の原因は、劇的な天災でも戦争でもなく、ネットワークの崩壊だった」とある。しかし残念ながら手元にないので内容は分からないので、『文明の基層』に書いてあることから読み取るしかない。

一般的にインダス文明の衰退(滅亡)についてはよくわかっていない。「インダス文明wikipedia」にもあるように諸説があるいっぽうで「それらの説が組み合わさって滅亡した」という説もある。

これに対して長田氏はまず「何が衰退か」について考え、インダス文明の衰退はそのネットワークの消失だと定義する*12。ネットワークの消失の証拠はコミュニケーションツールとしてのインダス印章やインダス文字が通用しなくなったこと。

そして衰退後、インダス文明を支えていた人たちは「そういうネットワークに頼らなくても十分に暮らせるような地域に」移動していった、という。その候補地の一つが肥沃で水の心配がほとんどないガンジス川流域だった。

とりあえずこれだけ。上記の本が読めたらここを修正しよう。

長田氏のインダス文明

以上を踏まえて、まとめとして、長田氏は以下のように記している。

先ほど雨季と乾季という話をしましたが、水がなくなったらその場所にとどまる必要はないでしょう。また移動すればいいのですから。こういう発想から言えば、戦うというのは、要するにその場所を必要とする、あるいは堅持したいという欲求の中から生まれます。しかし、流動性が高いとそもそも争いというものが必要であるのかどうか。根本的な疑問もわきます。小都市のネットワークというインダス文明のイメージには、中央集権や戦争といった今日的な事柄を考える上での貴重な示唆がある、と私は考えています。

出典:長田俊樹・杉山三郎・陣内秀信/同著/p25

権力闘争史観を批判するあまりに理想論にかちすぎているような気がする。

  *  *  *

以上、長田氏の主張を紹介した。

再びインダス文明の衰退

近藤英夫氏の説。

インダス文明の滅亡時期については、前1900年頃とする研究者と前1800年頃とする研究者がいる。それはさておき、同文明の滅亡は突然にではなく、ある時期幅の中で進行し、終末を迎えたとするのが普通であるようだ。近藤英夫氏はそれを前1800年頃とし、この頃以降、メソポタミアの文書に「メルッハ」に関する記事が途絶えることを指摘する。そしてインダス河口部の地殻変動を原因とする河川の流路変更、それによる主要都市の廃絶もしくはスラム化、耕地における塩害の発生など、複合的な原因による都市文明の崩壊を指摘している。

出典:後藤健/メソポタミアとインダスのあいだ: 知られざる海洋の古代文明/筑摩選書/2015/p241



*1:長田俊樹/インダス文明の謎: 古代文明神話を見直す (学術選書) /京都大学学術出版会/2013/p78-87

*2:ロバート・エリック・モーティマー ウィーラー<20世紀西洋人名事典(1995年刊)<日外アソシエーツ<コトバンク参照

*3:長田氏は「神話」と書いている

*4:長田氏/同著/p278

*5:もしかしたら今後の発掘・研究で「やはり正しかった」となる可能性もゼロではないが

*6:長田俊樹・杉山三郎・陣内秀信/文明の基層: 古代文明から持続的な都市社会を考える /東京大学出版会/2015/p22/上記は長田氏の筆

*7:ゴードン・チャイルド<wikipedia参照

*8:長田俊樹/インダス文明の謎: 古代文明神話を見直す (学術選書) /京都大学学術出版会/2013/第7章 新しいインダス文明像を求めて

*9:ダウンロード先はhttps://en.wikipedia.org/wiki/Indus_Valley_Civilisation#/media/File:Indus_Valley_Civilization,Mature_Phase(2600-1900_BCE).png

*10:長田氏/2013/p161

*11:長田氏/2013/p269

*12:長田俊樹・杉山三郎・陣内秀信/同著/p22-23