歴史の世界

先史:ホモ・サピエンスの大拡散:オーストラリア・日本編

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Homo sapiens migration map, based upon DNA markers

出典:Prehistoric Asiawikipedia

上の図はどの程度有効なのかよく分からないがとりあえず載せておく。

オーストラリア編

これまでオーストラリア大陸に人類が定住したのは47,000年から50,000年前とされてきた。しかし、最近、研究者チームが北部準州(NT)のカカドゥ国立公園に近い土地の岩窟を調査した結果、実際にはそれより18,000年遡る65,000年以上前という推定が強まってきた。[中略]

この発掘現場からは磨製石斧、砥石、火打ち石、オーカーなど多様な遺物に加え、現場一帯に焚き火跡が残っている。この遺跡はマジェドベベと呼ばれており、ここがオーストラリア国内でこれまでに発見されたうちではもっとも古い人類の定住の痕跡であることを認める学者は多かったが、現場の堆積物を最新の年代決定機器にかけた結果、世界でも有数の文化遺跡、人類学的に重要な遺跡であることが確認された。

QLD大学[クィーンズランド大学]のクリス・クラークソン博士は、「この遺跡の年代測定で、人類がアフリカ北部を離れ、現在の東南アジアを通過した時期についてさらに詳しいことが分かるかも知れない。この遺跡はオーストラリアだけでなく、世界的にも重要な発見だ」と語っている。[中略]

発見された遺物の中には打製石器時代を過ぎて磨製石器が使われていたことを示す石斧もあり、これまでに知られている限り、磨製石器の石斧としては世界最古である。

出典:オーストラリア大陸の人類定住は65,000年前<2017年7月23日ニュース<日豪プレス

この研究はNatureで2017年7月20日に発表された。

現生人類のインドネシア到達について

現生人類のオーストラリア到達に関連して現生人類のインドネシア到達の研究発表も載せておこう。

現生人類がインドネシアスマトラ島に到達したのは、トバ山の壊滅的噴火より早い73,000~63,000年前だったことを示唆する新たな化石証拠について報告する論文が、今週のオンライン版に掲載される。[中略]

スマトラ島のパダン高地にある更新世の洞窟(Lida Ajer)には豊かな多雨林動物相があり、19世紀後半に初めて行われた発掘作業でヒトの歯が2点見つかった。今回、Kira Westawayたちの研究グループは、Lida Ajer洞窟を再び調査して、これらの歯が現生人類に特有なものであることを確実に同定した上で、3種類の年代測定法を用いてこれらの化石の年代を決定して確実な年表を作成した。[中略]

Lida Ajer洞窟は、現生人類が多雨林環境に居住していたことを示す最古の証拠だ。海洋環境がヒトの生命維持にとって好条件であったと考えられることから、アフリカを出た現生人類が海岸に沿って移動したとする仮説が長い間有力視されている。これに対して、多雨林では、各種資源が広く分散している上に季節性があり、食料の栄養価も低いため、ヒトの定住が非常に難しいと考えられていた。多雨林環境をうまく利用するには、複雑な計画立案と技術革新が必要とされるが、Westawayたちのデータは、そうしたことが70,000年前よりもかなり前から存在していたことを示している。

出典:【考古学】現生人類のインドネシア到達の歴史を書き換える化石の発見ブックマーク<注目のハイライト2017年8月10日<Nature Japan

以上の二つの研究発表のせいで、このブログの先史カテゴリーの現生人類の歴史についての記事はリライトしなければならなくなった。新しいネタが入手できたらリライトしよう。また、2016年に『サピエンス全史』という本がベストセラーとなったが、現生人類が複雑な計画立案や技術革新をできるようになるのは7年前としている(認知革命)。この認識はすでに過去のものとなった。原著は2011年に書かれている。

舟の存在について

海水の大部分が氷河であった最終氷河期には、世界各地の海水面は現在の水位より数百フィートも低かった。そのため、アジア大陸と、スマトラ、バリ、ジャワ、ボルネオなどのインドネシア諸島とのあいだの浅いところは陸続きであった(ベーリング海峡英仏海峡なども同じであった)。また、ユーラシア大陸の東南アジア部の海岸線は、現在の位置より700マイル(約1120キロ)も東にあった。しかし、バリ島とオーストラリア大陸のあいだは深い海峡で隔てられていて陸続きではなかった。その時代、アジア大陸からオーストラリアやニューギニアに到達するには、少なくとも八つの海峡を渡らなければならず、それらの海峡のいちばん広いところは少なくとも50マイル(約80キロ)はあった。多くの島からは近隣の島々が見えたが、オーストラリアだけは、もっとも近いティモール島やタニンバル諸島からでさえ視界におさめることのできない距離にあった。したがって、オーストラリア・ニューギニアに人類が行くには舟が必要であった。歴史上、初めて舟が使用されたことを証明するものとして、この地域への人類の進出がもつ意味は大きい。

出典:ジャレド・ダイアモンド/p57-58

最終氷期の頃の予想地図↓

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The map shows the probable extent of land and water at the time of the last glacial maximum and when the sea level was probably more than 150m lower than today; it illustrates the formidable sea obstacle that migrants would have faced.(拙訳:この地図は最終氷期のおおよそ陸と海域の位置を示している。この時は海水面は現在より150mよりも低かった。この90km弱の海峡は移住者が直面した恐るべき障害であった。)

出典:Prehistory of Australia<wikipedia英語版*1

ダイアモンド氏は舟の遺物については書いていないが、状況証拠について書いている。

最近になってわかったことは、ニューギニアに人類が住みはじめてまもない35000年前頃には、その東に位置する島々にも人類が住んでいたということである。この驚くべき発見がなされた島々とは、ビスマーク諸島のニューブリテン島とニューアイルランド島、それにソロモン諸島のブカ島である。なかでもブカ島は、その西側にあるもっとも近い島からでさえ見えない位置にあり、会場を100マイル(約160キロ)渡らないと到達できない。おそらく、初期のオーストラリア・ニューギニアの住民は、見えるところにある島には渡ろうという意思をもって渡っていたのだろうし、意図はせずとも、頻繁に船を使っていたために、見えないほど遠くにある島々にも移り住むことができたのだろう。

出典:ジャレド・ダイアモンド/p58

日本編

航海の歴史については日本にもある。

国立科学博物館「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」とは?

新たな発見:祖先たちは偉大な航海者だった!?

最初の日本列島人は、3万年以上前に、海を越えてやってきたことがわかってきました。その大航海の謎に迫るために始動したのが、このプロジェクトです。

3万5000~3万年前に、突如として現われる琉球列島の人類遺跡。これは人類が海を渡り、遠くの島へ進出できるようになったことを物語っています。

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琉球列島の主な旧石器時代遺跡と現在の黒潮流路
背景地図:九州大学 菅浩伸 based on Gebco 08 Grid

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想定される3万年前の地形と3つの渡来ルート
背景地図:GeoMapApp

偶然の漂流ではなかったはずです。多数の男女が集団で渡らなければ、島で人口を維持できません。さらに本州では、3万8000年前に伊豆の島から黒曜石を運び込んでいた証拠があり、当時から意図的な航海が行われていたことが明らかです。

沖縄の島への進出は、当時の人類が成し遂げた最も難しい航海だったに違いありません。数十から200 km以上に及ぶ島間距離に加え、世界最大の海流である黒潮が、当時も今のように行く手を阻んでいた可能性が高いからです。

出典:3万年前の航海 徹底再現プロジェクト/国立科学博物館/-2017



現生人類のオーストラリア到達が65000年前という研究発表が2017年7月に為され、現生人類のインドネシア到達の発表が8月に為されたのでリライトした。