新石器時代の一番簡単な説明は「農耕・牧畜の始まりをもって新石器時代とする」というものだ。しかし縄文時代のように農耕・牧畜が始まっていないのに新石器時代とされているものもある(そうしない学者もいる)。
新石器時代はそれより前の時代より複雑なので、少し深く調べる必要がある。
そもそも石器時代とはなにか
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石器時代とは↓
- 考古学の時代区分の一つ。
- 先史・古代の歴史の区分の一つ。
- 人類の文化の発展段階の一つ。
文字がまだ発明されていない先史・古代では証拠となるものは石器や土器、骨、遺跡などになるが、この中で数百万年前まで遡れて連続性や文化の違いが分かるものは石器だけなので、石器が時代区分の基準になった。
新石器時代の定義
主流の考え方
高校の歴史の授業では「獲得経済」とか「生産経済」という用語を使って新石器時代が説明されているらしい。
つまり、獲得経済(狩猟・採集で野生の食糧資源を獲得する方法)から生産経済(農耕・牧畜で生産して食糧を得る方法)に移行したのが新石器時代だ、という。
(こういう用語を使うと理解したような気になるのが不思議だ。)
こういう考え方が考古学の学界でも主流らしい。ただしこれは厳格な定義ではなく、農耕・牧畜が始まっていない文化でも新石器時代に区分できるとする学者もいれば、できないとする学者もいる。そういうわけで厳格な定義はない。
農耕・牧畜の始まりを絶対条件としない場合の新石器時代の説明
この場合、農耕・牧畜を指標(物事を判断したり評価したりするための目じるしとなるもの*1)の一つとする。指標は必須条件ではなく判断材料。ただし農耕・牧畜の有無は最も重要な指標である。
その他の指標としては↓
- 磨製石器
- 土器
- 定住
- 織物(亜麻の生産も含む)
- 巨石建造物(ギョベクリ・テペが有名)
繰り返しになるが、これらは判断材料であって必須条件ではない。学者は指標の有無を手がかりに遺跡を研究してどの時代に割り当てるかを決める。全ての学者が一致するとは限らない。
農耕・牧畜をしていない場合の食料で重要なのは、ドングリなどの堅果類や野生の穀類、あとは魚介類だ。
採集や漁業が可能な場所に定住・半定住することがある。定住型文化では定置漁具を使う場合がある*2。
ネットには「磨製石器があるから縄文時代は新石器だ」と書いてあるサイトがあるが、他の指標を見ずにこのように判断するのは間違いだ。
旧石器時代との比較↓
上にあるように旧石器時代の文化に新石器時代は新しい要素が加わっている。新石器時代は新しい時代だが、旧石器時代の文化は色濃く残っている。連続しているのだから当然だ。
新石器文化
上の指標その他を含めて、新石器時代の文化を見ていこう。
農耕・牧畜
上述したように最重要の指標。
始めはおそらく、狩猟・採集の食糧獲得の不足分の補完的な役割であっただろうが、時を経て農耕・牧畜の需要のほうが強くなり、それらの技術も発展していった。
その結果、生産が急激に増加、それに対応して人口も増加した。
新石器時代より後のことになるが、生産・人口増加により階級ができ、人口を統治するシステムが必要になり、文明社会が形成されるようになる。
磨製石器
磨製石器は新石器時代より前に発明されたようだが、この時代に種類・用途が増えて新石器時代の指標となったようだ。
代表的な磨製石器は石斧で木の伐採に利用された。もうひとつ、石皿はドングリなどの堅果類を粉砕して、製粉にするための道具。また土器などに塗る顔料を作るため、それ用の石を粉砕するために使われた。
土器
天然の粘土で作った。煮込み、貯蔵、運搬などが用途。
西アジアで農耕が発明された時は土器は無かった。
定住
ホモ・サピエンスは誕生して約20万年ほどは狩猟採集民として移動しながら生活していた。
定住の最初の例は西アジアのナトゥーフ文化だ。ナトゥーフ文化は狩猟採集文化で農耕・牧畜はやってなかった(やってたと主張する学者もいるが)。
ナトゥーフ文化と定住については、以下の記事で書いた。
農耕・牧畜でなく狩猟・採集で生活をする場合、普通なら定住すれば周囲の食料資源を食べ尽くしてしまう。しかしナトゥーフ人が住んでいた森林は温暖湿潤の環境にあり、一年で食料資源を再生させた。
人々は多種多様な食料資源を持っていた。ノウサギ、ガゼルなどの動物、穀物・マメ類・堅果類などの植物が絶えることなく、ナトゥーフ人の生活を守った。
注目すべきは、彼らが穀物を集約的に(選別・集中して)大量に採取して保管していたことだ。穀物は商品貨幣(貨幣の代わりになる商品)だった。
商品貨幣となる植物。栽培する動機としては十分だろう。
巨石建造物
ギョペクリ・テペの巨石建造物は何らかの宗教的な意味が込められているらしい。ナブタ・プラヤ(エジプト西部砂漠)の巨石建造物は墓という説もあるが、こちらも詳しく解明されていない。
いずれにしろ、これらの巨石建造物は多くの人々の協業なくしては建造できない。
旧石器時代までは人々は小集団でバラバラに生活していたが、新石器時代以降は多くの人々が一ヶ所に集まる、あるいは定住して大集落をつくるようになる。
このように協業ができるようになって初めてあらゆるインフラ事業が可能になる(インフラ事業は文明誕生に不可欠)。
組織・社会
「Neolithic#Social organization<wikipedia」によれば、複数の血縁関係にある人々でまとまって生活していた。つまりは氏族社会だ。
氏族の長がリーダー(首長)で、協業を指揮し、争いごとを仲裁した。
平等社会と言ってよく、階級ができるのはこの後の時代以降になる。
おまけ:縄文時代について
しんせっき‐じだい〔シンセキキ‐〕【新石器時代】
石器時代のうち新しい時代。本来の定義では、完新世に属することと精巧な打製石器および磨製石器の存在を重視したが、現在では、西アジア・ヨーロッパ・中国などで農耕や牧畜など食料生産を開始した時代をいう。日本の縄文時代をこの名でよぶのはふさわしくない。
出典 小学館デジタル大辞泉しんせっきじだい【新石器時代】
石器時代のうちの最後の時代。磨製石器を用い、土器の製作や紡織などの技術が発達し、一部では農耕・牧畜が行われた。日本では縄文時代がこれにあたる。
出典 三省堂大辞林 第三版
「農耕・牧畜の有無で新石器時代か否か」を決められるか否かが問題となっている。