歴史の世界

兵家(10)孫子(戦略書としての『孫子』 後篇/全3篇 --道(タオ)--)

今回は道(タオ)の話。

今回もデレク・ユアン『真説 孫子』(中央公論新社/2016(原著は2014年出版))で語られるものを素人の勝手解釈で書いていく。

ユアン氏の語る『孫子』は著者である孫子孫武)の考えを発展させたものであり、孫武が語っていないことも含んでいる。

真説 - 孫子 (単行本)

真説 - 孫子 (単行本)

孫子』は後代に戦略書として研究され続けている

前回の最後に書いたが、タオなどを含む中国戦略思想は『孫子』が出来た後に成立した。

そして、その後も研究されている。戦略は どの時代にも研究されているが、中国の戦略思想の源泉には『孫子』と『老子』(=『道徳経』)が含まれている。つまり、これらより後代の戦略家たちは『孫子』や『老子』を研究し、その中の思考・思想を発展させていった。

孫子』と道(タオ)の関係について、ユアン氏は『李衛公問対』から『孫子』の言及の部分を引用している。

本題に入る前に、引用を書く前に、『李衛公問対』について。

李衛公問対

「問対」というのは「問いに対(こた)える」という意味。「李衛公」は唐の皇帝李世民(太宗)に仕えた軍人・政治家の李靖のこと。『李衛公問対』は李世民が李靖に兵法に関するあらゆることを質問し、それを李靖が答える、時には李世民も意見を述べる、という形式で進行していく。

ただし、これらの問答は事実ではなく、上のような設定(フィクション)を使って別の人が書いたとされている。誰が書いたのかは確定していない。書かれた時期は唐末から宋初。

本書の中で李衛公は『孫子』を高く評価していて、著者の思想にも『孫子』の影響が強く現れているようだ(後述)。

以上の情報は守屋洋守屋淳『[新装版]【全訳「武経七書」】司馬法・尉繚(うつりょう)子・李衛公問対』(プレジデント社/2014<旧版は1999年発行>/p22-28)参照。

『真説 孫子』を訳した奥山真司氏は『司馬法』『李衛公問対』については上の本を(も?)利用している。

李衛公の『孫子』の解釈

この「李衛公」は『李衛公問対』の中の登場人物。フィクションです。上述の通り『李衛公問対』は架空の設定であり、実在の人物や団体などとは関係ありません。

太宗が尋ねた。
「兵法のなかで、どれが最もすぐれているか」

李靖が答えた。
「『孫子』にすぎるものはありません。私は、かつてそのなかに書かれていることに三等の序列をつけ、兵法を学び者に順をおって学ばせました。それは道、天地、将法の三等です。

一、道――これ以上素晴らしく、かつ微妙なものはありません。『易』に『聡明叡智、この世の乱れを鎮め、厳刑を用いずして万民を服させる』とありますが、これこそ道にほかなりません。

二、天地――天は陰陽、地は険易を指します。用兵にたけた将軍は、わが陰をもって敵の陽を奪い、険阻な地に拠って、平坦な地にいる敵を攻撃します。『孟子』にいう『天の時、地の利』がこれに当たります。

三、将法――人材の登用と武器の充実を言います。『三略』に『人材を得る国は強大になるとありますし、また、管仲は『武器は堅固で使いやすいものにする』と語っていますが、そういうことにほかなりません」

太宗は言った。
「その通りだ。私が思うに、戦わずして相手を屈服させるのが上策、百戦百勝は中策、堀を深くし城壁を高くして守りを固めるのは下策である。してみると『孫子』にはこれらのことがすべて網羅されている」

出典:守屋洋守屋淳/[新装版]【全訳「武経七書」】司馬法・尉繚(うつりょう)子・李衛公問対』/プレジデント社/2014<旧版は1999年発行>/p410-411

『真説 孫子』では、上の解釈を元に話を進めているので、これに従って書いていく。

戦略の階層としての「道・天地・将法」

上の「三等」すなわち「道・天地・将法」は、『孫子』の「五事」すなわち道・天・地・将・法に由来する。

「三等」では「五事」を同列の事柄とは見ずに、3つの戦略の階層に分けて考えている。

上の引用を読むと、「将法」については「人材」や「武器」が出てくることから分かるとおり、戦争においての末端の話になる。その上にあたる「天地」は「天の時、地の利」の言葉が表すように戦略(戦術?)を司る階層になる。そして「道」は「万民を服させる」、つまり戦争の話をする上で内政まで含まれてくる。

翻訳者の奥山氏がyoutubeで説明するところによれば *1 、「天地」が大戦略(Grand Strategy)レベルで、「道」はその上(Policy、Vision)と説明されている。

ちなみに、孫子が「五事」を提唱した頃はほぼ5つの「事」は同じレベルの扱いで、「道」については政治とほぼ同等視されていた。李衛公の解釈は『孫子』に由来するが『孫子』そのものを超越した(中国)戦略思想である。

達成度を表す「道・天地・将法」

『真説 孫子』には戦略の階層としての「道・天地・将法」のほかに、達成度を表す「道・天地・将法」のことも書いてある。同じことを言っているのかもしれないが、ここでは別個なものとして書いておく。

「将法」は末端の基本レベルの話。「常識を集めたもの」「基本であり、初心者向けのもの」(デレク氏/p48)。

「天地」とは ほぼ「陰陽」のことだと思えばいい、と思う。ここで問題となるのは「天地」レベルから「道」レベルに移行するためには、「天地(≒陰陽)」を1つのセット、1つの系として捉える。ユアン氏はこの1つの系を「一つ」もしくは「無形」という語で表している。(p50)

前回 に書いたように陰陽論では「攻守」「敵味方」を相対的に捉える(一方が弱まれば、他方が強まったと見なす)。これらを1つの系として捉え、さらに把握してコントロールすることができると、次の「道」の入り口にまで到達できる。(p51)

そして、「道」すなわち「タオ」。

「天地(≒陰陽)」レベルの最高到達点の「無形」もしくは「一つ」(つまり1つの系)は、「道」のレベルでは基本的な要件でしかない(p52)。

中国の思想における究極の状態を表す道(タオ)は、単に陰と陽の連続した相互作用――しかもこの中に状況の中の両極端が存在する――によって構成されているだけだ。したがって、二元的なものを一体化することは、道のレベルに進む際の基本的な要件となる。一度これがわかれば、われわれはこの概念的なツールを使ってシステム全体を理解することや、その相互作用や連結を知ることができるようになる。道は自然の観察から来たものであるため、タオイストたちは自然から出てくるものが最も客観的で公平であると想定している。したがって、道の究極の目的は「一である根源」の把握を通じた、絶対的な客観性の獲得なのだ。

出典:ユアン氏/p52

  • ユアン氏のいう「タオイスト」は『老子』(=『道徳経』)を編纂した老子の後継者たちのことで、かつ、中国戦略思想の完成者を表す。

というわけで、「道(タオ)」の究極の目的は、「絶対的な客観性の獲得」にある

しかし さらに続きがある。「究極の目的」の その先がある(それじゃ究極じゃないじゃないか、とは思うが先に進もう)。

たとえば呉子は以下のように語っている。

道とは、根本原理に立ちかえり、始まりの純粋さを守るためのものである。 *2

前漢時代に編纂されたタオイズムの書物の一つである『淮南子』の中には以下のような表現がある。

ここにいう道とは、円を旨として則(のっと)り、陰を背負って陽を抱き、柔を左にして剛を右におき、下に幽を履(ふ)んで上に明を戴き、変化して常無く、一である根源を体して、無方(あらゆる方向)に対応する。これこそ神明というものである。 *3

ここまで見てきて、「一つ」が二つあることに気づいた方もいるかも知れない。最初のものは、陰陽(もしくはあらゆる相対した現象)を見ることによって得られるものであり、これこそが「天」と「地」のレベルの最大の目標である。そして二つ目は道(タオ)に相当するものであり、これは道のレベルにしか存在しない。その複雑性と難しさから、二つ目の「一つ」は最初のものと比べても大きな飛躍となっている。その理由は、その目的がシステム全体、つまり宇宙を一つとして知覚するというところにあるからであり、この「一つ」こそが、「一である根源」、もしくは道と呼ばれるべきなのだ。

出典:ユアン氏/p52-53

おわかりいただけたであろうか?

私の勝手解釈では以下のようなものだ。

二つの「一つ」とは?

一つ目の「一つ」は、「天地(≒陰陽)」レベルにおける「天」と「地」(「陰」と「陽」)を「一つ」と考えることができるようになること。言い換えれば、天地や陰陽などの両極のものを一つの系として捉えて物事を考えられるようになること、そして究極的には一つの系をコントロールできるようになること。これは「天地(≒陰陽)」レベルにおける最高到達点であるが、「道(タオ)」レベルでは入り口でしか無い。

二つ目の「一つ」はシステム全体のこと。戦争や外交においては、「天地」「攻守」「敵味方」のような「一つの系」が幾つも存在する。「タオ」のレベルでは、これら幾つもの「一つの系」をすべて合わせた形でシステムすなわち「一つの系」と考えることができる。「天地」レベルの幾つもの「一つの系」を別個とは捉えずに全てが有機的に(つまりお互いに関連しあって)つながっていることを認識できる。たとえば、風が吹けば桶屋が儲かることを咄嗟に理解できる人は「タオ」の境地にまで到達した人と言える(蛇足のような気がしないでもないが要はそういうことだ)。

ちなみに、引用の中の「宇宙」は「システム全体」と意味は同じ。繰り返しただけ。深く考えない。

陰陽の続き。

[タオ]のレベルでは、

賢者/将軍たちは、自らの意識をすべてに通じさせることができるようになる。なぜなら彼らはなにかに焦点を絞るのを止めて、理想的な形や計画が導くようにしたわけであり、その意識を何か特定の強迫観念によって柔軟性を失ってしまい、何かにとらわれやすくなるような状況から開放されるからだ。こうすることによって彼は個人の視点に執着して排他的になるような、不完全性や硬直性から逃れることが可能になったのである。言い換えれば、このレベルに至ってこの人物たちは地球全体性やプロセスのすべてを自分の意識の中に取り込むことができるようになり、現実の流れと同じような可動性と流動性の中に意識を置くことができるようになる。こうなると、賢者/将軍はものごと全体の流れを見据え、将来の変化について自信を持って予想できるような立場を得られるようになる……。(Jullien『A Treatise on Efficacy』p723)

出典:ユアン氏/p53

ちょっとたとえ話をしよう。イメージとしてはタオは以下のようなものだ、と思う。

プロ野球の一流のバッターは「内角でも外角でも、的確に察知して」ヒットにすることができる。これが「天地」レベル

これがイチローなどの超一流のレベルになると、「内角でも外角でも、高めでも低めでも、直球でも変化球でも、自然に体が動いて」ヒットを打つことができる。これが「道(タオ)」レベル(田尾ではない。太鳳でもない)。

バッターボックスに立って自然に構えて、ただ来た球を打ち返すだけ。これが一つ前の引用にあるような「一である根源を体して、無方(あらゆる方向)に対応する」という境地。

超一流のレベルになると、ピッチャーは何を投げても打たれるという心理に追い込まれるそうだ。まさに「戦わずして勝利を得る」。まあ実際は戦っているのだけれども、勝負は始まる前に既に決まっているところがポイント。

再び戦略の階層としての「道・天地・将法」

道=政治レベルとするならば、政治家は、軍人レベルより高次に、客観的に物事を考えなければいけない。

政治家は軍人より多くの事象を考えなければならない。政治家は(あらゆるレベルのひともそうだが)、末端のことまで考える必要はないが、タオレベルであらゆることが有機的につながっていることを認識して、究極的にはシステム全体をコントロールすることを目指す。この「システム全体」の中には味方だけではなく敵も含む。

そしてシステム全体をコントロールすることができると、『孫子』の究極的な目標である「戦わずして勝つ」ことができる。

道・天地・将法での政治家・武将の格付け

李衛公問対』の一部を引用。

李靖は言った。
「本人の書き残したものを読み、どう戦ったかを調べてみれば、おのずから古人にも等級をつけることができます。まず、張遼范蠡孫武の三人ですが、功遂げたあと、すっぱりと現世への関心を断って身を隠してしまいました。こんな生き方は、道を会得してなかったら、できるものではありません。

次に、楽毅管仲諸葛亮の三人ですが、戦えば必ず勝ち、守れば必ず守りぬきました。これは、天の時、地の利を把握していたからこそできたことです。

さらに、王猛は前秦を安泰に保ち、謝安は東晋を守り通しました。これは、よく人材を登用し、軍備を整えて守りを固めたからできたのです。

ですから兵法を学ぶさいには、下策から始めて中策に進み、それから上策に及ぶという順序を踏むことです。さすればしだいに理解を深めることができましょう。さもないと、やたら空言を弄し、字句を暗誦するだけに止まって、実践には役に立たないものになってしまいます」

出典:守屋洋氏・守屋淳氏/p411-412

范蠡の有名な言葉として『狡兎死して走狗烹られ、高鳥尽きて良弓蔵(かく)る』(狡賢い兎が死ねば猟犬は煮て食われてしまい、飛ぶ鳥がいなくなれば良い弓は仕舞われてしまう) *4 がある(正確には『史記』越王勾践世家)。

対外戦争と国内の権力闘争を1つの系で捉えて、もはやコントロールできないと判断して身を引いたのかもしれない。

おまけ1:再び『李衛公問対』について

上述の文献『司馬法尉繚子李衛公問対』の冒頭の解題の中で、『李衛公問対』について以下のように締めくくっている。

以上、他の兵法書にはない特徴を幾つかあげてみた。では、太宗と李衛公はどんな戦い方を目指していたのか。これについては、次の三つのことを指摘しておきたい。

一、「善く兵を用(もち)うる者は、正ならざるなく、奇ならざるなく、敵をして測るなからしむ」
 ――つまりは奇正の変化に熟達することである。

一、「虚実の勢を識れば、即ち勝たざるなし」
 ――つまり彼我の虚実を掌握し、つねに主導権を握って戦うことである。

一、「攻守の二事は、その実一法なり」  ――つまり攻めと守りをバランスよく組み合わせて戦うことである。

出典:守屋洋守屋淳/[新装版]【全訳「武経七書」】司馬法・尉繚(うつりょう)子・李衛公問対』/プレジデント社/2014<旧版は1999年発行>/p28

上述したことだが、この書は太宗(李世民)や李衛公(李靖)が書いた本ではなく、フィクションを使って構成の著者があらゆる兵書や軍人の名を挙げながら自らの思想を披露したものだ。

著者の考えは『孫子』そのものだ。

おまけ2:武田信玄上杉謙信について

上の「天地(≒陰陽)」と「道(タオ)」の説明を読んで思いついたことがある。

以前、海上知明孫子の盲点 信玄はなぜ敗れたか? 』を紹介したが、この本の中では、信玄を孫子、謙信を呉子として話を進めていた。

しかし、私は信玄が「天地」レベルの人で、謙信が「タオ」レベルの人ではないか、と思いついた。

ただし、信玄は戦争・外交ともに『孫子』を体現した人出会ったのに対し、謙信は戦闘では「タオ」レベルであったが、外交では『孫子』の体現者ではなかった(好戦的な性格のため外交で相手を押さえつけるようなことはしなかった)。

ただし、私の日本史レベルは高校教科書に及ばないので、以上のようなイメージがあってるかどうか分からない。

おまけ3:『呉子』の道(タオ)の解釈

道とは、根本原理に立ちかえり、始まりの純粋さを守るためのものである。 *5

出典:ユアン氏/p52

これは水に例えられる。水が入っている容器を揺らせば水面は上下するが、揺らすことを止めれば水平面に戻る。これが道(タオ)だ。

呉子』が何がいいたいかと言えば、「社会が揺れ動いても、最終的には元の秩序、つまりその地域に根付いている慣習に戻るのだ」と言っている。この意味で言えば、「道」とは慣習のことになる。



歴史における諸子百家のカテゴリーの中で『孫子』を書こうとしたつもりが、現代に通用する戦略書としての『孫子』を書いてしまった。

こちらの方が面白そうだったので、つい出来ごころで書いてしまった。


*1:動画名は《『真説・孫子』訳者、奥山真司が著者デレク・ユアン氏に聞いた孫子の真髄。「矛盾は解決するものではなく使うものだ!」|奥山真司の地政学アメリカ通信」》

*2:呉子曰、夫道者所以反本復始。『呉子』図国篇――ブログ主注

*3:所謂道者,體圓而法方,背陰而抱陽,左柔而右剛,履幽而戴明。變化無常,得一之原,以應無方,是謂神明。 『淮南子』巻十五 兵略訓――引用者注

*4:范蠡 - Wikipedia

*5:呉子曰、夫道者所以反本復始。『呉子』図国篇