前回からの続き。
さて、中国戦略思想の歴史の流れの中で、『孫子』の後に残された課題を『老子』が受け継いで完成させた。
その課題は以下の通り。
- 非軍事的なもの。ただし完全に政治志向のものである必要はなく、少なくとも政治的な観点から人間の闘争(戦争や戦いに限定しない)を考えるものであればよかった。
- 戦略の一般理論ではなくとも、弱者が強者に対して勝利を達成できるようにするための、特定のスキームを与えられる新しいパラダイム。*1
この課題をやり遂げるために『老子』が『孫子』の考え方を採用している。
まず「詭道」の方から書いていこう。
中国の戦略的弁証法システムの土台を形成している「詭道」だが、『孫子兵法』の最初の章(第一 計篇)において、大きく分けて三つの「詭道」のセットがあることが記されている。
第一のセット:
戦争とは、詭道つまり敵の意表をつくことをならいとする。
だから、じゅうぶんの力があってもないようにみせかけ、
兵を動かしていても動いていないように見せかけ、
近づいていても遠くにいるようにみせかけ、
遠ざかっていても近くにいるようにみせかけるのである。
第二のセット:
利にさといものには誘いの手をのばし、
混乱しているものは一気に奪い取り、
充実しているものにはこちらも備え、
強いものは避け、
第三のセット:
怒りたけっているものは撹乱し、
謙虚なものは驕りたかぶらせ、
安楽にしているものは披露させ、
団結しているものは分裂させる[中略]
詭道は単なる「欺瞞」だけの話ではない。第一セットから第二、第三セットに進むに従って、それがいわゆる「戦略的操作」的なものになっていくことがわかる。第一セットが単独で使われたとしても、その目的が単に騙したり誤解させたりすることだけにとどまらないことは明白だ。むしろ詭道は、敵を操作したりコントロールするという高い目標を狙っている。
『孫子』の冒頭に「兵は詭道なり」と書いているように、孫子の主張するところは「敵を操作したりコントロール」して最終的には破滅させることだ。
(このことについては記事「兵家(7)孫子(『孫子』と中国人社会の関係) - 歴史の世界を綴る」に書いた。)
さてここで2つの「課題」の話を思い出そう。
『老子』の編集者たちが「課題」に取り組む時、『孫子』の詭道の考えを採用した。
(下の引用における「タオイスト」は道家を指す。)
右で説明した孫子の詭道の第三セットは、実質的に陰陽の作用や、弱者が強者に勝つことを狙う上で最も適した方策を示しているため、タオイストたちが一番注目していた手段であったことは当然と言える。詭道の活用については、タオイストの戦略のエッセンスを捉えた以下の文でも明らかである。
(あるものを)収縮させようと思えば、まず張りつめておかなければならない。弱めようと思えば、まず強めておかなければならない。衰えさせようと思えば、まず勢いよくさせておかなければならない。奪いとろうと思えば、まず与えておかなければならない。これが「明(ひかり)を微(かす)かにすること」とよばれる(道徳経:第36章)。
この訳からわかるのは、方策(スキーム)を意図的(「計画的」)に練ることができ、これが戦略や計略の土台になるということだ。これによって弱者が強者に勝つための土台を形成するのが可能となり、「柔弱は剛強に勝つ」という言葉につながる。タオイストたちはこの論理(ロジック)を、自然を参考にしながら説明している。
活気に満ちたものにも、その衰えのときがある。これ(粗暴)は「道」に反することとよばれる。「道」に反することは、すぐに終わってしまう(道徳経:第30章)。
フランソワ・ジュリアンによれば、中国の思想家たちは「不可避の結果」なるものを強調してきたという。彼らの考えの中では、勝利は強制や行動ではなく、必然的な流れを通じて獲得されるべきであったからだ。戦略家にとって最も重要な任務の一つが、情勢の勢いを増加させることによって自然な流れを促すことであり、必然の力によって敵が破滅に向かうのを助けるということだ。
出典:ユアン氏/p101-102
上のように『老子』が『孫子』から「詭道」の考えを採用したことは明らかだ。
ただし、ユアン氏によれば、『老子』の編集者は「詭道」の考えを発展させて「反」の理論を作り出して同様の主張をしている。
「反」の理論については次の記事で書こう。