『老子』を戦略書として読むことについては、以下の本に書いてある。
この本は『孫子』を戦略書として解説する本だが『老子』についても戦略書として紹介している *1。
「第三章 孫子から老子へ : 中国戦略思想の完成」は『老子』について1章まるごと使っている。
この話は幾つかの記事に分けて書く。
中国における『老子』の読まれ方
老子の『道徳経』は、西洋では「哲学書」として知られている。ところが中国では戦略書〔兵書〕として見なされる事が多い。[中略] 「芸文志」の中で孫子がこの学派に分類されたことからもわかるように、[権謀学派]に分類されたことからもわかるように、『道徳経』と中国の戦略思想全体の強いつながりは、漢王朝の時代(紀元前206~220年)の頃からすでに認められていたのである。
毛沢東は読書家で中国の古典を読み漁っていたというエピソードは有名らしいが、その毛沢東は『老子』を「兵書」として読んでいたという。
中国の戦略思想の二大伝統と『老子』の誕生
中国の戦略思想の二大伝統について、ユアン氏は『李衛公問対』から引いている(『李衛公問対』は唐代末から宋代にかけて編纂された書)。
2つの伝統とは以下の通り。
さて、春秋末期に出現した『孫子』によって軍事戦略の方面は成熟することができた。よって「将軍」タイプの伝統の方は成熟できたということだ。その一方で「アドバイザー」の方は軍事的な傾向を残したままだ。
そこで戦略思想の新たな「パラダイム」の要求が始まっていった。2つある。
- 非軍事的なもの。ただし完全に政治志向のものである必要はなく、少なくとも政治的な観点から人間の闘争(戦争や戦いに限定しない)を考えるものであればよかった。
- 戦略の一般理論ではなくとも、弱者が強者に対して勝利を達成できるようにするための、特定のスキームを与えられる新しいパラダイム。*2
この要求に応えたのが『老子』であり、中国の戦略思想は『老子』の編纂者たちによって完成された、とユアン氏は主張している(p123)。
ここで注意しておくべきことは、以前に何度か書いたが、ユアン氏によれば、『老子』は『孫子』に影響されて著されたということだ。
そして戦略思想上の時代の要請により、『老子』は著された、と。
(続く)