歴史の世界

道家(10)老子(「無為自然」と政治)

この記事では、『老子』に出てくる「自然」という言葉を中心にして「無為自然」とは何かを書いていく。

ソースは池田知久著「『老子』その思想を読み尽くす」の第5章 『老子』の自然思想 。

『老子』 その思想を読み尽くす (講談社学術文庫)

『老子』 その思想を読み尽くす (講談社学術文庫)

老子』の中の「自然」の意味

「無為」については直近の幾つかの記事で書いたので、ここで「自然」の意味について書く。

私たち日本人が「自然」という言葉を聞いて最初に思い浮かぶのは、人工物の少ない緑に覆われた風景を思い浮かべる *1

「自然」を副詞として使う場合(「自然と」「自然に」)、意図的ではなく、成り行きの中で事態が進行するさまを表す。つまり「おのずから(自ずから)」。

しかし、「自然」の意味の歴史を遡ると、その最初の意味するところは「みずから(自ら)」、つまり個人(自分)の意思で事態を進行させるさまを表す。

この意味は古代中国で出現した。『老子』の中に出てくる「自然」も この意味だ。

「おのずから(自ずから)」と「みずから(自ら)」

2つの言葉の意味の区別をちゃんと理解しておこう。

  • 「おのずから(自ずから)」=(成り行きで)事態が進行するさま。
  • 「みずから(自ら)」=(個人の(自分)の意思で)事態を進行させるさま。

例文。

  • 「この誤解は時が来れば自ずから解ける」 *2
  • 「自らあやまちを認める」「自ら命を絶つ」 *3

もう一度書くが『老子』の中の「自然」は後者。「自主的に」と言い換えられるだろう。

「自然」と「無為自然

「自然」

第17章。

[原文]
猷呵其貴言也、成功遂事、而百姓謂我自然。[中略]

[現代語訳]
〔統治者が〕ぼんやりとして一切の言葉を忘れてしまうならば、それが原因となって、人々は功績を挙げ事業を成し遂げる結果を得るが、しかし彼らはこれを自分たちで成し遂げたものと考えるのだ。

出典:池田知久/『老子』その思想を読み尽くす/講談社学術文庫/2017/p786-787

  • 「貴」の解釈は、他では「貴ぶ」としているところが多いが、池田氏によれば「貴」=「遺」=「忘れる、捨てる」としている。こちらのほうが意味が通じていると思う。

ここで「自然」は百姓が「自ら」成し遂げたと読み取れる。

池田氏は「自然」の意味について次のように書いている。

古代漢語の「自然」は、それが初めて誕生したばかりの時点では、文法的には「泰然」「漠然」などと同じような副詞の一つであり、「万物」「百姓」のあり方(存在様式や運動形態)を形容する言葉であって、実在的・対象的な nature を意味する名詞ではなかった。――これらのことは、今日ではほぼ学者の間の共通認識になっている。

「自然」の今ここに述べた性質、すなわち主体にとって客体である「万物」「百姓」について言う言葉として、初めて誕生したという性質は中国思想史を論ずる上で特に重要である[以下略]

出典:池田知久/『老子』その思想を読み尽くす/講談社学術文庫/2017/p662

  • 主体=行為・作用を他に及ぼすもの。 *4
  • 客体=主体の認識・行為などの対象となるもの。 *5

この百姓は農民ではなく民衆一般を指す。そして客体が百姓なら、主体は為政者となる。

無為自然

ここで第17章に戻ると

  • 主体→〔統治者が〕ぼんやりとして一切の言葉を忘れてしまう。これは「無為」を示す。
  • 客体→人々(百姓)が自ら事業を成功させる。これは「自然」を示す。

よって「無為自然」とは《為政者が「無為の政治」をすることによって、人民が自律的に行動する(そして良く治まる)》という意味になる。

「自然」と「自○」

池田氏によれば、『老子』の中の「自然」という言葉は第17章の「自然」と同じ(p674-677)。*6

また上と同様な意味を、「自」という副詞を頭に冠して「自○」という句型で表している文もある。

第57章。

原文
是以聖人之言曰、
我無爲也、而民自化。
我好靜、而民自正。
我無事、民自富。
我無欲、而民自樸。

現代語訳
こういうわけで、理想的な統治者たる聖人の言葉に次のようにある。
「わたしが人為を行わなければ、人民は自分から進んで教化され、
わたしが静けさを好むならば、人民は自分から進んで正しくなっていく。
わたしが事業を行わなければ、人民は自分から進んで裕福になり、わたしが無欲に徹するならば、人民は自分から進んで素朴に帰っていくのだ。」と。

出典:池田氏/p830-831

上の「自○」は第17章の「自然」の意味と同じだ。同様の例も幾つかあるがここには書かない(p680-683) *7



他の本に書いてある「無為自然」と全く違う意味のような気がするが、上の説明が一番理解できたのでこれを採用した。


*1:ハイキングなどで見ることができるその風景は 「手が加わっていないところなどあるのだろうか?」という話がある

*2:小学館デジタル大辞泉/自ずから(オノズカラ)とは - コトバンク

*3:小学館デジタル大辞泉/自ら(ミズカラ)とは - コトバンク

*4:主体 - Google 検索

*5:小学館デジタル大辞泉/客体(きゃくたい)とは - コトバンク

*6:池田氏は、『荘子』など同時代の書にも同様の使われ方の例を挙げている。

*7:他の書にも同様の例がある