歴史の世界

法家(2)韓非子の先人たち 前編

この記事では、韓非子より前の人物を紹介していく。

前回の引用の一つに「春秋時代管仲が法家思想の祖」とあり、 「平凡社百科事典マイペディア/法家(ほうか)とは - コトバンク」 によれば、春秋時代の人物としては、鄭の子産《刑書》,晋の范宣子(はんせんし)《刑鼎(けいてい)》,鄭の鄧析《竹刑》の名が挙がっている。

前回の「時代背景」の節で示したように、法家の思想は戦国時代に入ってから より重要性を増したことを考慮して、このページでは戦国初期の人物、魏の李克から話を始める。

f:id:rekisi2100:20191213111702p:plain:w400

出典:浅野裕一/雑学図解 諸子百家/ナツメ社/2007/p259

李悝(かい)(=李克)

戦国の最初の覇者は魏の文侯で、彼は同時に最初の専制君主だ。政事・軍事を行うに当たって文侯は数人の英才をブレーンとしたが、その一人が李克だ。

りかい【李悝 Lǐ Kuī】
中国,戦国時代,魏の文侯(前4世紀初め)に仕えた政治家。生没年不詳。李克ともいう(別人説もある)。農業生産向上のための〈地力を尽くす〉の政策を文侯に説き,また穀物価格を統制し飢饉に備えるために常平倉の先駆のような制度を考案した。さらに諸国の法を整理して《法経》6編を編纂したといわれる。これは秦の商鞅(しようおう)から漢の蕭何(しようか)へと継承される中国法典の原点といえるものであるが,その実在をめぐっては論議が分かれている。

出典:株式会社平凡社世界大百科事典/李悝(りかい)とは - コトバンク

ちなみに、《法経》については 《最近の日本の学界では実在否定論がほとんど定説に近い。しかし,中国近時の学者には,実在を肯定する向きが多く,この存否の結論は出されていない》 *1 ということだ。

商鞅

商鞅は戦国中期の人物だが、李克と同じく法制改革によって当時 後進国であった秦を強国へと変貌させた。

その内容はどのようなものか?

まず、官僚・役人については斬首した敵兵の数に応じて爵位を与え、爵位の等級に応じて社会的地位を上昇させる。そして、軍功の程度・官爵の等級・社会的序列を厳しく対応させた。これによって従来の貴族による特権階級の既得権益を壊して有能な人材の登用を図った。これは有能な人材による生産性向上だけではなく、君主を脅かす特権階級(貴族)の権力を削ぐ目的も持っていた。こうして専制国家を作り上げていった。

いっぽう、庶民においては連帯責任を追わせる什伍の制や悪事の密告を奨励する告姦の制などの法を敷いた。さらには穀物生産の増大を図った。(浅野氏/p252)

商鞅は、富国強兵に直結する穀物生産と戦闘のみを残す合理性を徹底的に追求し、古い社会体制が宿す多様で曖昧な伝統的価値を一切排除して、全く新しい軍国体制を作り上げようとしたのである(浅野氏/p252)

商鞅の国政改革は「変法」と呼ばれる。商鞅・変法については記事 《春秋戦国:戦国時代⑥ 中期 斉・秦の二強時代 秦編 - 歴史の世界を綴る》 で書いた。

商鞅の最期については後述。

呉起

呉起は『呉子』の著者とされる人物だが、法家としての一面も持っている。商鞅と同様に楚の国政改革を行った人物。

楚では時の君主悼王に寵愛され、令尹(宰相)に抜擢され法家的な思想を元とした国政改革に乗り出す。元々楚は宗族の数が他の国と比べてもかなり多かったため、王権はあまり強くなかった。これに呉起は、法遵守の徹底・不要な官職の廃止などを行い、これにより浮いた国費で兵を養い、富国強兵・王権強化に成功した。

出典:呉起 - Wikipedia

商鞅呉起の最期

商鞅は孝公に、呉起は悼王に重用されて国政改革を行ったが、君主が死ぬと特権階級にあった貴族たちは反旗を翻して両者は非業の最期を遂げた。

韓非子』和(か)氏篇に商鞅呉起の二人について言及されている。

ふたりの言ったことは、正しかったのである。それなのに、楚では、呉起を殺して手足を切り、秦では、商鞅を車裂きにして殺してしまった。なぜか。大臣が自分を苦しめる「法」をじゃまにし、人民がきちんとした政治をきらったからである。

現在の世の中では、当時の秦や楚の比較にならないほど、大臣は力をのばし、人民は乱に馴れている。それなのに、君主は悼王や孝公とちがって人の意見をきこうとしない。これでは呉起商鞅の二の舞となる危険をおかしてまで、「法術」を説く者が出るはずがない。この乱世に、世を平定する覇王があらわれないのは、このためである。

出典:西野広祥・市川宏 訳/中国の思想 [I] 韓非子徳間書店/p146-147

韓非の書いた書を読んだ秦の嬴政(後の始皇帝)は韓非の法術をもちいて覇王として世を平定した。そして韓非は嬴政に、韓非のライバルであった宰相の李斯のは二世皇帝の胡亥によって殺された。