歴史の世界

中国人について⑤ 人間関係 その4 人間関係と権力/デメリット

前回まで、日本人の学者の本に頼って中国人について書いてきたが、今回は現代の中国人が書いた本*1に頼って書いていく。

私が参考にした日本人学者は幇や宗族という用語を使って、歴史から中国人の行動様式を抽出して表した。

今回紹介する現代中国人は、現代の事情の中から中国人の人間関係の問題を書いている。

中国人と日本人―ホンネの対話

中国人と日本人―ホンネの対話

なぜ留学生は帰国したがらないのか?の質問の回答の一つとして人間関係を挙げている。留学している中国人たちは以下のように答えている。

人間関係が非常に複雑な中国に比べて、外国の人間関係は はるかに単純である。外国にいればこの単純な人間関係のなかで、とても気楽に生活できる。だから帰国したいとは思わない。

出典:林思雲、金谷譲/中国人と日本人―ホンネの対話/日中出版/2005/p74(林思雲の筆)

中国人の共同体の外は弱肉強食の世界であり、いったん外に出たら全ての人が敵だと思わなくては騙されるのが中国社会だ、ということは前回までに書いてきた。

しかし、内側の人間関係でもまた、気を張り詰めていないと自分の財産が「仲間」によって いいように使われてしまう。

中国における人間関係/平等は無いか希薄

上で紹介した本の人間関係の説明。私が前回までに参考にした日本人学者とだいたい内容が一致しているが、用語はちがう。

また、前回までに宗族と幇について書いたが、人間関係は当然のことながらこれら以外にも数多く有る。地縁や商売仲間、あるいは単なる友人関係など。

さて、人間関係についての引用。

中国人は人間関係のことを、「円(ユェン)」と、非常に視覚的な呼び方をします。自分を円の中心として、周囲の人間関係は親近の度にしたがって幾重もの円を描き、次第に外へと広がっていきます。もっとも内側の円内に入るのは、両親や兄弟姉妹といった「親人(チンレン)」(肉親)です。その外の円には「親朋好友(チンパンハオヨウ)」(親友)で、さらにその外の円には隣人や職場の同僚といった「熟人(シューレン)」(知人)、そして一番外側が「外人(ワイレン)」(他人)です。

近代になって西洋の平等思想が中国へと入ってきましたが、平等の観念は、中国に入ると変質しました。西洋人の平等とは「友人にも敵にも同じように公平であること」、言い換えれば絶対的な平等です。しかし中国人の平等は相対的な平等です。

相対的な平等というのは、"内を先にし外を後にする"、つまりその人間との親疎の濃淡によって対処の仕方を変えることです。これは、相手との関係の程度にしたがって優先順序をつけるということでもあります。具体的に言いますと、肉親には九分、親友には七分、ふつうの友人には五分、ただの知人なら三分の心と力を充てるということです。これを "関係を「整頓」する" と言います。

出典:同上/p83-85

もちろん、赤の他人には無関心だ。

ただし、友人関係であれ肉親・宗族であれ職場関係であれ、その内輪の中でも平等は無いか希薄である。宗族には「長幼の序」があり*2、友人でも上下関係が見え隠れする(下の「友人を持つデメリット」の節を参照)。

人間関係と権力

例を一つ。

著者の林思雲氏が通っていた大学で、彼の友人の親戚に食堂の勤務員がいた。この勤務員はご飯とおかずを盛る係で友人はいつも他の学生の倍くらいの量を盛られていた。

つまり、ご飯とおかずを盛ることはその勤務員の権力になっており、親戚である友人はこの権益にあずかることができる。羨ましいと思うどころか歪んでいるとしか思えないが、これがまかり通るのが中国社会だ。

さて、食堂の中の権力だけならまだいいのだが、これが政治や裁判の場までまかり通る。

日本人は問題があれば、まず政府に頼り、法律によって解決しようとするはずです。しかし中国人は、問題が起これば、なによりも先に親しい友人のところへ行こうとします。友人の助けによって問題の解決を図るのです。

政府官員による権力の私物化をいまだに克服できないのが中国の現状ですが、その原因を考えると、文化に深く根を張る、 "関係を整頓する" という考え方につきあたります。

しかし権力を私物化して個人的な利益の追求に用いるのが、中国人がとりわけ物質的利益に貪欲なせいだとするなら、それは当たっているとは言えません。中国では多くの場合、権力を私物化したり私利を図ったりする現象は、賄賂を受け取るといった、物質利益をむさぼる形で発生するわけではありません。もっと単純に、友だちのために、情実から、権力を私(わたくし)の目的に用いるのです。

出典:同上/p88-89

仲間の誰かが なにがしかの権力を手にした場合、その権益はその権力者の円(人間関係)の仲間に供与されるべきだ、と中国人は考えている。だから裁判になれば法の公正よりも人間関係が先にくる。これが中国が「人治であって法治ではない」と言われる理由になる。この慣習に背いて法の公正に従って判決を下した裁判官は仲間全体から不興を買って、さまざまな困難にみまわれることになる。(p89-90)

友人を持つデメリット

事例をもう一つ。

最近、趙君は車を買いました。彼の車を買った喜びは、すぐに車を借りにひっきりなしにやって来る友人たちがもたらす頭痛によって取って代わられました。ある日、友人の某が彼の車を数日のあいだ借りて、他省に住む親戚の家へ遊びに出かけたのですが、戻ってきた車は傷だらけで、メーターは数千キロもの走行距離を示していたそうです。趙君の苦悩は筆舌に尽くしがたいものがありました。しかも数日後、車が故障して、その修理に数千元もかかりました。そこで趙君は、もうだれにも車は貸さないと決心したのです。そのおかげで、趙君の友だちは激減しましたが、彼の頭痛も激減したとのことです。

出典:同上/p92-93

ジャイアンのようなガキ大将ならこの社会は心地よいかもしれないが、のび太のような人だったら苦悩は筆舌に尽くしがたいだろう。

弱い立場の人は、簡単に言えば「タカられる」。権力にしても、車にしても。そして お裾分けしないと仲間から裏切り者扱いされる。最悪の場合、友人が敵になる。上の本によれば友人が仇敵になるのは特別なことでもないらしい。

タカられる他に「友人ならカネを貸してくれて当然だ」という空気もある。これを断るために予め貸せない理由を考えておかなければならない。さらに貸せなかったことに対して何度も謝らならなければならない。(p93)

この本では、こういった煩わしい人間関係を海外に移住または留学して断ち切った例を紹介しているが、宗族の場合は断ち切るのが難しいのではないか。あるいは できないのではないか。アウトローの幇(秘密結社)も。

おまけ

中国通の坂東忠信氏の言葉。

日本人は、価値観が一致して、自分の安全を託しても後悔のない人を親友とします。
中国人は、自分のお願い事をかなえてくれる努力を惜しまない人を親友とします。
(役に立ってこそ友達なのです)

日本人は、友達には迷惑をかけたくないと考えますが、
中国人は、迷惑をかけても許してくれてこそ友達と考えます。
(だからたまにむちゃくちゃなお願い事をされます)

出典:日本人と違う中国人の思考回路。 | 坂東忠信の日中憂考 2011.05.11