歴史の世界

中国人について② 人間関係 その1 宗族

中国の人間関係の一部「宗族」のことについて書く。

宗族とは何か

宗族とは《父系血縁集団+部外婚制》である。氏族(共通の祖先を持つ血縁集団*1 )の一種。

父系(血縁)集団では父から男子へ受け継がれる集団のこと。女系は排除される。男系の子孫だけが死んだ人の魂を祀ることができる*2

部外婚制は、宗族の外から嫁を娶ること。この嫁は結婚しても姓は変わらない。岡田英弘氏の言葉を借りれば、「いつまでたってもよそ者扱いされている」、「極論を言えば、中国において女性とは、跡継ぎを作るための道具に他ならない。」*3

部外婚制は、近親婚の生物学的弊害のこともあるが、嫁を娶ったり出したりすることで他集団と同盟(主に商売上のネットワーク)を結ぶことができるという効用がある。ネットワークの拡大は、商売の利益の拡大と災害などの困難時に頼るべき選択肢の拡大を意味する。

氏族集団の場合、構成員の相互の系譜関係が明確でないが*4、宗族の場合、父方の系譜をたどれば誰がどこの宗族かが分かるようになっている。ただし、数代前までの祖先を覚えていなければならないが。

同姓不娶(同姓不婚)という言葉があるように、同姓と結婚することはタブーだった。ただし同姓でも宗族が違えば結婚できるのだが、好まれないらしい。

宗族には、「輩行字(はいこうじ)」という慣習もあった。

輩行字(はいこうじ)とは、中華圏の名のつけ方の慣行で、同じ宗族の世代ごとに、名(諱、いみな)に特定の漢字を使うことをいう。漢字そのものを共通にするのではなく、同一の偏旁を用いることもある。

儒教社会では世代の尊卑が重要であり、年下であっても自分より上の世代の人間には敬意を表す必要があるし、呼び方も変わる。自分の属する世代(輩分・輩行)を示す輩行字は世代をはっきり示す意味がある。

一般に、輩行字に何を使うかは親が決めるのではなく宗族の会合によって決定・維持され、族譜に記される。記憶を容易にするために詩の形式になっていることが多い。

出典:輩行字 - Wikipedia

ただしこの慣行は「大陸では現在ほとんど廃れている」とのこと*5

輩行の慣習については宮脇淳子氏が詳しく解説している(【10月2日配信】皇帝たちの中国 第4章 第1回「中国の裏の主役~宗教秘密結社」宮脇淳子 田沼隆志【チャンネルくらら】 - YouTube の14分あたりから。

輩行の簡単な例として、宗族内の同世代に「重」という字を割り当てて、単家族ではなくて親戚の同世代に番号を振り分ける。上の動画では朱元璋の諱は「重八」だったが、単家族で兄が7人いたわけではなく、実兄ではない従兄弟に「重四」とか「重五」という名前の人がいたようだ。

このような慣習は長老格の人たちは宗族の後の世代の所属員を好き勝手に使うために作られた。これが、宮脇氏いわく、「長幼の序」の正しい意味だ。

次に、宗族を保つために必要なもの。

宗族に必要なものは一般に「族譜」、「族産」(祖先祭祀、子女の教育や相互扶助に用いる共有財産)、「祀堂」の3点セット。

出典:中国の宗族 - ダオ・チーランのブログ・パシフィック

族譜 - Wikipedia」によれば、これは系譜の他に、「重要な人物の事績、重要な事件、あるいは家訓などを記載した文書」とある。また、「女系の先祖・子孫は掲載されない。」

「祀堂」(祠堂)は祖先祭祀を行う場所。

血縁集団の利点

日本には「遠くの親戚より近くの他人」という言葉があるが、中国の場合は近くの他人は あくまでも他人で、親戚(宗族)の方が遥かに重要だ。

たとえば、異国の地で2人の見知らぬ中国人がばったりと合う。少し話をするうちに両者が同じ宗族だと分かると、その時から彼らは苦楽を共にする仲間になる。*6

世界各地に散らばるチャイナ・タウンは中国本土が不安定化した場合の移住先としての保険となるだろう。もちろんチャイナ・タウンに宗族の構成員がいればの話だが。

こう考えると、子息の留学先も亡命先の候補になり得る。現代の中国共産党幹部の子息の多くは海外留学をしているが、幹部たちは財産流出や海外亡命のために子息を海外海外留学させているのではないかと中国内外で囁かれている。

ただし、多くの留学生が超有名大学でちゃんと学業を修めて帰国している。どの程度の割合なのかはわからない。

小室直樹の中国原論

小室直樹の中国原論

宗族の歴史

中国人はどうして、上のように、地縁より血縁を頼るのか?歴史的な(?)答えは以下の通り。

宋代以降の宗族形成・拡大の主な要因は、
(イ)合格者とその一族はものすごい特権が得られるが世襲はできない科挙に、合格者を出し続けるため(遠い親戚までの大勢の中から優秀な子供を集め、資金も一族が共同負担して英才教育すれば、合格の確立は上がる)
(ロ)実際の生活・経営の単位である小家族が、激しい社会流動のなかで生き残るための相互扶助(特に明清代に切実になる。現代も?) に求められる。ただし地域差なども大きい。華北より華中南で宗族が発達するのだが、その原因は十分わかっていない。

出典:中国の宗族 - ダオ・チーランのブログ・パシフィック

上のリンク先は宗族の歴史にも簡単に言及している。

宗族の歴史は、
(1)周代の宗法(戦国期までに崩れる)
(2)宋代の士大夫の宗族形成
(3)(明初にいったん弾圧されるが)明代中期以降とくに清代の宗族の大衆化
の3段階で理解できる(革命で弾圧されたが、改革開放政策下で復活)。
発表を聞いていて思ったのだが、従来の周代だけ教えるやり方は、紀元前から19世紀までずっと同じ状況が続いたと誤解させる点で、インドのカースト制(ヴァルナ制)の教え方と同じだ。これではいけない。

出典:中国の宗族 - ダオ・チーランのブログ・パシフィック

宗族と地域社会

以上、宗族は地縁集団ではなく血縁集団であることを述べてきたが、戦乱のような社会流動が無い平時は基本的に地域集団として機能している。

宗族が強い機能をもつのは、地域集団化していることも一つの条件になる。一村落の大半が同一宗族で占める、いわゆる単姓村や、複姓村であっても一定の区画に集まり住んでいる場合、日常の相互協力や外敵からの防御に有利である。また一集落にとどまらず、隣接数集落にわたって万を超す人口が集まっている例も華南や台湾中部においてみられる。

このような経済力を反映し分化をとげた宗族の構成は、未開社会に多くみられる均質な個人を単位とする単系出自集団の場合とは対照的であり、中国のような文明社会で父系組織が根強く機能しえた原因の一つであった。また、中国の伝統的政治機構も、たとえば藩政期の日本のように個々の農民を直接掌握せず、在郷地主であり知識人でもある郷紳層を介しての間接的なもので、村落レベルでの紛争も反乱に結び付かない限り、これら有力者を中心とした自治に任されていたことも、宗族の結合を強めた。宗族内から高級官吏資格試験である科挙の合格者を出すことは、単なる名誉にとどまらず、地方政治における利害関係と結び付いていた。またときに武闘を交えた各宗族間の勢力争いに生き残るためには、内部に矛盾や対立を抱えていても、外に対しては団結する必要があった。多額の費用と労力を要する族譜の作成や、豪華な装飾を施した祖廟(そびょう)ないし祠堂(しどう)、莫大(ばくだい)な面積を占める族田の存在は、こうした脈絡において意味をもつのである。

以上のような宗族は、宋(そう)代以降おもに華南において発達した。その原因としては、〔1〕名族が南に移り新開地で展開形成した、〔2〕入植開拓の際に必要であったこと、〔3〕治安の悪さから一族団結が必要であったこと、〔4〕水稲耕作による高生産力を維持するため、などと結び付けた説明が試みられている。[末成道男]

『モーリス・フリードマン著、末成道男他訳『東南中国の宗族組織』(1991・弘文堂)』

出典:宗族(そうぞく)とは - 日本大百科全書(ニッポニカ)<小学館<コトバンク

石平先生に学ぶ宗族

特別番組「中国人の善と悪はなぜ逆さまか~宗族と一族イズム」石平 倉山満【チャンネルくらら・12月30日配信】 - YouTube

特別番組「宗族を目の敵にした共産革命~中国人の善と悪はなぜ逆さまか 宗族と一族イズム」石平 倉山満【チャンネルくらら・1月6日配信】 - YouTube

上の2つの動画で石平氏は宗族について詳しく語っている。

平氏の語るところによれば、もはや宗族は一つの国家と考えたほうが分かりやすい。

中国では一つの村は一つの宗族で成り立っている。村長は宗族の長で、彼が言わば国家元首だ。彼が政治のトップであり、裁判権を持ち、最高司令官でもある。

裁判権を持つ」というのは、村で起こった事件は、行政ではなく村の掟で裁かれる。

村長が最高司令官というのは、隣の村と戦争する場合の話だ。戦争は「械闘」と呼ばれる。1つ目の動画で詳しく説明されている。

「械闘」にもルールがある。「械闘」は行政からすれば刑事事件なのだが、「械闘」の当事者たちは絶対に行政に介入させない。「械闘」で死傷者が出た場合でも、行政に訴えることはせず、また個々人で敵討ちをすることも禁止されて、必ず「械闘」によって解決されるようにする。聞き手の倉山氏はこれらのルールは国際法そのものではないか、とコメントしている。

村の中で犯罪が起こったとき犯罪者は裁かれるが、村の外で起こったときはその犯罪が村の利益になるのならば、その犯罪者は村全体で守られる(こんな論理があったら「愛国無罪」の論理が通用するのもうなずける)。

教育も福祉も村で行われているとのこと。

さらに、歴代の統一中国の王朝は、北方からの征服王朝を除けば、全国の宗族(村)の「械闘」で一番強いところが統一王朝となる。ドイツ史においてプロイセン国王がドイツ皇帝になったことに似ている。まあ、古代ローマ帝国も同じようなものかもしれない。

以上、石平氏の宗族の説明からかいつまんで書いてみた。

上の動画は大変面白くて興味深い。石平氏の説明が全ての中国社会に当てはまるとは思わないが、私個人としてはこの説明にかなり納得している。

参考になる動画

平氏とは別の動画を紹介。

以下の動画の前半部分では、宗族を含む中国社会について東洋史家の宮脇淳子氏が説明している。

【7月24日配信】皇帝たちの中国 第2章 第3回「稲作伝来は朝鮮半島からではない?!高句麗は強かった」宮脇淳子 田沼隆志【チャンネルくらら】 - YouTube 2018



*1:氏族(しぞく)とは - コトバンクを参照

*2:岡田英弘/この厄介な国、中国/WAC BUNKO/2001(『妻も敵なり』(クレスト社/1997)の文庫版)/p84

*3:岡田氏/p84

*4:氏族(しぞく)とは - ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典<コトバンク

*5:族譜 - Wikipedia

*6:小室直樹小室直樹の中国原論/徳間書店/1996/p148