歴史の世界

中国人について① 中国人社会は日本人社会とは全く別物

私自身は中国人との付き合いが全く無いので、書籍その他に頼って書いてみよう。

いくつかの記事に分けて書いていく。

今回は、「中国人社会は日本人社会とは全く別物」「中国人社会は弱肉強食」「中国人はなぜウソをつくのか」という話をする。

しかし「中国人はなぜウソをつくのか」の問いの答えは簡単だ。「中国人社会は弱肉強食」だからだ。

中国人と日本人の行動原理は全く違う

一衣帯水という言葉がある。一本の帯のように見える水という意味で、川や海の幅が狭いことを指す言葉である。日本と中国の関係を言うときに、よく使われてきた。それほど、日本と中国の関係は地理的にも精神的にも深いと言われている。

ところが、それほど親密な隣人であるはずの中国人との付合いにおいて、戦前にしてもそうだが、ことに戦後半世紀以上にわたって、政府にしても、企業にしても、日本人はことごとく対応を誤ってきた。「中国人のやることは分からない」これがすこしでも中国人と付き合ったことのある日本人の率直な感想だろう。いや、親しくなればなるほど分からなくなる、と言ったほうがいいかもしれない。[中略]

中国を知ろうと思うなら、まず同文同種、一衣帯水という幻想から自由になる必要がある。[漢籍に]「書かれていること」だけを読めば、さながら彼らは日本人の同胞であり、友人のように見える。

だが、それは違う。中国人には、中国人独自の行動原理がある。そして、それらは日本人とは極端にかけ離れている。だが、それを理解しないかぎり中国人を理解することはできないのである。

出典:岡田英弘/この厄介な国、中国/WAC BUNKO/2001(『妻も敵なり』(クレスト社/1997)の文庫版)/p18-20

西暦2000年前後の中国は、まだ発展途上国であり人件費も安いので、日本の企業は中国へ渡り会社を作った。当時の日本が不景気だったことも企業を後押しした一因かもしれない。しかし多くの企業が「対応を誤っ」て失敗し、財産を無くして日本に帰ってきた。

この厄介な国、中国 (ワック文庫)

この厄介な国、中国 (ワック文庫)

岡田氏がこの本を書いたのも、そのような背景があったからなのだろう。しかし、この本が出版された後も日本企業が中国へ渡って現地でカモになっている状況は続いた。

このあたりの事情はネットで調べればすぐ分かる。「日本 企業 合弁 中国 騙され」でググった結果、最初に出てきたのが動画付きの一連のツイートだった。参考になると思う。

https://twitter.com/sumerokiiyasaka/status/1019161698521894913

他人はすべて敵/中国人理解のキーワード「バルネラビリティの原理」

アメリカに住む、中国系作家マキシーン・ホン・キングストンは、移民の子供として生まれた女性であるが、彼女が書いた自伝的作品集『ウーマン・ウォリアー』の中に、年老いた母親が自分の理想を語るくだりが出てくる。

それによると、彼女の母親にとっての理想の暮らしとは、大家族がひとつの家の中にひしめき合って住むことだという。どの部屋も子どもたちでいっぱいで、誰かにぶつからずには方向を変えることもできない―それが私にとっての幸福なのだ、と母親は語るのである。

大家族の中で暮らすのが理想―これは一見すると、ひじょうに美しく麗しく、懐かしい話に聞こえるかもしれない。しかし、日本人とまったく違うのは、中国人の場合、これは裏を返せば、同じコミュニティーに属さない人間はまったく信用しない、ということに繋がる点である。(p65-66)


「自分の住んでいる家を一歩出れば、まわりにいる人間はすべて敵であり、自分の寝首を掻こうとしている」という人間観が産み出すのは、言うまでもなく「弱肉強食の世界」である。他人から付け込まれる前に、他人の弱みに付け込めというのが、中国人の行動原理の第一条である。

私はこれを「バルネラビリティ(vulnerability)の原理」と呼んでいる。

バルネラビリティとは「傷つけられやすさ」という意味の英語である。他人に対して、付け込まれやすいところを見せてはいけない―それがバルネラビリティの原理である。

中国人社会において、最大のタブーは他人に弱みをみせることである。それは普通の意味での弱点、短所ばかりではない。例えば、他人に対して親切であるというのも弱みになる。人を疑わないような善良な人間ほど、付け込まれやすいものはない。また、悠長なのもヴァルネラビリティになる。おっとり構えているということは、それだけで奇襲攻撃に弱いということである。[中略]

中国人社会において最も望ましい、理想的な人間というのは、誰に対してもつねに緊張を崩さず、毅然とした態度を維持する人間なのである。(p74-75)

出典:岡田氏/前掲書

日本人どうしの場合、妥協のために相手が一歩引いたらこちらも一歩引こうという提案は成り立つが、中国人の場合は相手が一歩引いたらこちらは一歩出るのが普通のことになる。

中国人と相対する場合(中国人だけに限らないのだが)、日本人は日本人と相対するような行動をとっていけないと、常に意識していないと痛い目に遭う。

「妻も敵なり」

中国人は一歩表に出れば、敵だらけだと思っていると書いたが、実のところは、それ以上に厳しい世界に住んでいる。彼らは家庭に帰っても、気を緩めることができない。なにしろ、男にとって最大の敵は、自分の妻であるからだ。

妻ほど自分の私生活をしりつくしている人間はいない。つまり自分の弱点を最も握っている危険人物は、妻なのである。[中略]

極論を言えば、中国において女性とは、跡継ぎを作るための道具に他ならない。もちろん、この場合の跡継ぎとは、男の子のことである。女の子を産むようでは問題外である。

なぜそこまで男の子にこだわるのかというと、中国では男系の子孫だけが死んだ人の魂を祀ることができるからである。そうでない者、つまり娘がいくら供物をしても、それは死者の口に届かない。そのため、男系の子孫が途絶えた家では、死者は永遠に腹をすかせていなければならない―だから、男の子を有無かどうかが「家」の最大の関心事となるのである。[中略]

そんなわけだから、いきおい女性のほうも防衛上、強か(したたか)にならざるをえない。ありとあらゆる手段を講じ、亭主の弱みを掴んでいなければ自分の身が危うくなる。[中略]

そうなると、今度は夫のほうでも防衛策を講じることになる。妻に弱みを見せないのは当然のこと、妻の弱みを捕まえようと必死になる―かくして、中国の夫婦関係はどんどん殺伐たるものになっていくのである。

出典:岡田氏/p83-86

この本の元の名前は『妻も敵なり』。中国人は結局のところ、外へ出ても家に帰っても気を抜くことができないという…。日本人にもそういう問題を抱えている人がいるだろうが、日本人のそれとは次元が違うのだろう。

中国人が仙人になりたかった理由

家の内外で休まるところの無いような状態で生きていれば、一人になりたいと思うだろう。中国人の場合、これが仙人思想につながっていく。

中国文化の産物の中には、日本人が親近感を持っているものが数多くあるが、その中でも山水画は最右翼だと言っていいだろう。山水画に描かれた風景を見て、その美しさに心を動かされる日本人は多い。しかし、あの山水画は、実は単純な写実画ではない。

単に風景を描いたように見えるこの山水画には、よく見ると必ず小さく家が描かれている。峨々(がが)たる山がそびえ、誰も訪ねて来そうもないようなところに、ぽつんと建っている家にひとりでいるとなると、日本人にしてみれば、寂しくてしかたがないと思うことだろう。

ところが、中国人にとっては、そのような場所こそが理想郷なのである。

なぜならば、そこには他人がいないからである。まわりに他の中国人がいない絶対の孤独の中だけ、中国人は安心して人間らしい生活を送れる。つまり、これが彼らの深層心理を形成しているものの正体であり、この山水画とは中国人の理想郷である仙境を描いたものに他ならない。

だが、この仙境に住むためには、仙人にならなくてはならない。仙人とは、不老長寿を手に入れた人のことである。[中略]

中国人にとっての不老長寿というのは、死ぬ前にこと世界を離脱することなのである。生きたままこの世を離れる、つまり、言語矛盾のようだが、死んでも命があるようにということである。そして、この世界を離脱して住む場所こそが仙境ということなのである。

出典:岡田氏/p100-101

ところで、始皇帝は不老不死の仙薬をみつけるように、各地に命令を出していた証拠が近年見つかったと言う。

「不老不死の薬探せ!」 始皇帝の命令、木簡から確認:AFPBB News 2017年12月26日

始皇帝が不老不死になって仙人になって、独りで仙境に住みたいと思っていたのだろうか?兵馬俑を作らせた始皇帝がそんなことを考えているとは思えないのだが。

まとめにかえて、別の本と動画を紹介

ここで別の本を紹介しよう。

中国人と日本人―ホンネの対話

中国人と日本人―ホンネの対話

中国人の留学生が帰国しないのは何故か?という問いに対する答えの一つ。

今日の中国社会には基本的に ”誠実さ” や ”約束を守る” ということが欠落していて、種種雑多な詐欺や虚偽が溢れている。外国のほうが ”誠実さ” や ”約束を守る” という点については はるかに確実で、毎日の生活において安心感が得られる。だから帰りたくない。

出典: 林 思雲(ペンネーム), 金谷 譲/中国人と日本人―ホンネの対話/日中出版 /2005/p75

中国人社会にどれだけ誠実さと信頼が無いのかを有害食品を例にして書いている。

中国政府の中央電視台(CCTV)が近年、「毎週質量報告」で暴露した有害食品には、たとえばこのようなものがあります。

  • 農薬に浸けた火腿(ハム)
  • 工業用オキシドール(毒性が高い)で漂白した肉松(肉のでんぶ)
  • 毛髪水(毛髪を塩酸で分解し、アミノ酸を分離したあとの廃液。有毒)が混入した醤油
  • 発ガン性の強い「吊白塊」(ホルムアルデヒドスルホキシル酸ナトリウム)で漂白した腐竹(湯葉)[中略]

いま述べた例からだけでもわかりますが、中国の生活には安全というものが基本的に存在しません。日本でもいかがわしい中身の商品や偽の食品が世を騒がせます。しかし中国ではそれがもう途方もない状態になっていて、日本とはとても比較にならないと言えます。食品製造者が基本的な道徳というものを欠いていて、有毒な食品を平気で製造するのです。これは、中国の社会においては ”誠実と信頼” というものが危機に瀕している事実を示しています。

出典: 中国人と日本人/p97-99

有名な2007年のダンボール肉まんはフェイクだったようだが、これよりも危険な食品が中国人社会に出回っていたそうだ。

近年、中国人たちが来日して「爆買い」をする理由の一つは、日本で売られたものが全て本物で、疑う必要がないかららしい。

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もうひとつ、今度は動画。

特別番組「中国の歴史は●●から始まった~石平先生と語る五千年の歴史」倉山満【チャンネルくらら・8月9日配信】 - YouTube

上の動画は石平氏の本『中国五千年の虚言史 なぜ中国人は嘘をつかずにいられないのか』の番宣。

この記事において、上の動画で重要なところは冒頭30秒あたりから石平氏本人が語る中国人とウソの話。

要約すると以下のようになる。

日本にはウソをつく人を指す『ウソつき』という名詞があるが、中国には無い。なぜなら中国人にしてみればウソをつくことはご飯を食べるくらいに日常茶飯事であり、みんながウソをつくからだ。日本人でもご飯を食べる人を指す『ご飯たべ』という名詞がないのと同じだ。
ではなぜウソをつくのか?
中国においてはウソをつくことは道徳とは関係ない。生きていくために必要なことだ。

また、19分10秒あたりから、中国に渡って騙された中小企業のオジさんの話をしている。本人が直接関わった話だ。

当時の石平氏に この中小企業の人が言うには、交渉相手の人を指して「あの人の目を見ろ。あの人がウソをつくように見えるのか。」それに対して石平氏は「あんな目は中国人だったら誰でもできるよ」と言った。

如何に日本人が中国人にコロッと騙されたかというエピソードの一つ。

日本人は中国人のウソに警戒すべきだが、警戒しても多くの人が騙されているというお話。

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以上2つ、岡田英弘氏の主張に合致する例として紹介してみた。