歴史の世界

パクス・ブリタニカのイギリス(19世紀後半)⑦ 第二次ディズレーリ政権 その1 トーリー・デモクラシー

第二次ディズレーリ政権(1874-80)は1873年からの世界規模の大不況(1873-1896)の最中の政権であり、帝国主義に走ったのは不況という環境があったからだ。

この政権の頃には不況の原因がデフレ(金本位制なのに金が不足している状況)だと認識はできていたが、金銀複本位制に戻すには銀の世界的な量が多くなりすぎていてコントロールが難しく、そもそも金融政策でコントロールできるという考えが確立していなかった。というわけでデフレを克服できない中で政権は運営された。

トーリー・デモクラシー=一国保守主義=一国主義

「トーリー・デモクラシー(Tory democracy)」とは、一国保守主義(One-nation conservatism)や一国主義(one-nationism)とも呼ばれる。Toryは保守党の以前の名前で別称としても使われていた。ただし、ディズレーリ及びその政権&党がこれらのフレーズを使ったわけではなく、後世の歴史家らがそのように呼んだようだ。この言葉に関連する彼自身の言葉で代表的なものは以下の通り。

英文(原文): "The Tory party, unless it is a national party, is nothing. It is not a confederacy of nobles, it is not a democratic throng; it is a party formed from all the numerous classes of the realm—classes alike and equal before the law, but whose different conditions and different duties give of course different symbols to their patriotism and different objects to their ambition."

和訳 : 「保守党(トーリー党)は、国民政党でなければ、何の価値もない。それは貴族の連合体でもなければ、民主主義的な暴徒の群れでもない。それはこの国のあらゆる多種多様な階級から形成される政党である。それらの階級は法の前においては一様に平等であるが、その異なる境遇や異なる義務ゆえに、愛国心の象徴も、野心の対象も、当然ながらそれぞれに異なるのである」

(Crystal Palace, London / April 1872)

ディズレーリ以前の保守党は地主階級・貴族の利益代表というイメージが強かった。実際にその通りだったが、それでは有権者層を拡大している時代に選挙に勝てないのでイメージを変える必要があった。

そしてディズレーリが上のスピーチのような信念を元から持っていたので、保守党は彼をリーダとして「保守党=古い体制の守護者」というイメージを払拭しようとした。(ディズレーリは政治家になる前に書いた小説『シビル』で「二つの国民」(後述)をすでに批判していた)

その信念の説明

  1. 「一つの国民」の再建:産業革命後のイギリスが、富裕層(貴族&ブルジョワジー)と貧困層(労働者)という「二つの国民」に分裂していると危惧。これを解消し、国家としての統一性を回復することを目指した。

  2. パターナリズム(父権主義的配慮):特権階級(貴族&ブルジョワジー)には、弱者を保護する義務(ノブレス・オブリージュ)があるという考え。

  3. 有機的な社会観:社会を人工的な仕組みではなく、伝統や制度(君主制、教会、家族)によって結ばれた一つの生き物のように捉える。各々の地位や職分を弁(わきま)えて、その役割を果たすことにより、社会が有機体のように(手や足が動くように)動き出す、というようなイメージ。

この思想は、エドマンド・バークのイギリス型(経験論系)保守主義を引き継いでいると言われている。それに当時のロマン主義 *1 の「有機体的な社会観」を取り入れたものらしい。これとヘーゲルの「国家有機体説」は別個のものだが、ロマン主義を取り入れているという共通面がある。

フランス革命のような平等はもちろん拒否したが、当時のイギリスの自由主義を批判していた。その自由主義はどういうものかと言うと、

  • 個人主義が行き過ぎて社会が「個人の(機械的な)集合体」とみなす。→有機的な社会観
  • 自由貿易」や「放任主義」→イギリスを「二つの国民(富める者と貧しい者)」に引き裂いたと批判。
  • コスモポリタニズム(世界市民主義)→国家の枠組みを軽視し、経済合理性だけで世界を見ようとすると批判。

ただし、有機的な社会観はイングランド内の話で、スコットランドアイルランドが含まれているかは疑問、らしい(それ以外は問題外)。

*1:啓蒙主義や古典主義の理性偏重・合理主義に対する反動として生まれました。理性や形式よりも、個人の感情、主観、想像力、自然の崇拝を重視する思想。
18世紀末~19世紀前半で流行した