前回からの続き。
ミケーネ文明の担い手は誰か?(線文字Bについて)
ミノア文明の担い手(支配者層)はおそらくはオリエント出身の人たちだったのに対し、ミケーネ文明のほうはインド・ヨーロッパ語族系(印欧語族系)の人たちであると考えられている。
その理由は、ミケーネ文明圏で発掘された文字、つまり線文字Bが印欧語族系だったからだ。
印欧語族系のことは以前書いた。
印欧語族系の起源は黒海北部と考えられ、この言語を話す人たちは馬車を使って四方に拡散した。その一部がバルカン半島の南部までたどり着いたのがミケーネ文明の担い手たちだ、ということ。
ちなみに、線文字Bは線文字Aを真似て作成された。行政の記録・管理のために使用されて不必要になれば破棄されたので、現在まで遺っている資料は少ない。オリエントの大国のように歴史を遺すような碑文は作っていなかった。
崩壊/「海の民」
ミケーネ文明の崩壊は前1200年頃。崩壊の原因は諸説あり定まっていないが、いちばん有名な原因は「海の民」だ。
「海の民」については以前に書いた。
複数の民族からなる大規模な集団で、エーゲ海周辺を荒らし回った。議論はあるが、ミケーネ文明のほかヒッタイト文明も滅ぼしたと言われている。最終的にエジプト王国が撃退して霧散した。
しかし結局のところ十分な証拠は得られていないようで、研究者的には「いろいろな要因が重なって崩壊した」とお茶を濁すしか出来ないようだ。
とにかく、ミケーネ文明の諸王国の政治行政システムは崩壊して文字資料は途絶えた。文化的要素はその後も続いたがその後で途絶える。以降は「暗黒時代」と呼ばれる時代となる。