歴史の世界

古代ギリシアの暗黒時代(初期鉄器時代)

前回からの続き。

歴史区分:「暗黒時代」と「初期鉄器時代

前1200年頃にミケーネ文明は崩壊したことは前回書いた。ミケーネ文明はエーゲ文明の最後の一つなので、エーゲ文明もここで終わった。

古代ギリシアの新しい歴史区分は「暗黒時代」と言われてい。しかし20世紀末頃には専門家の間では「初期鉄器時代」とも呼ばれるようになる。

ただし、2017に出版された本にも「暗黒時代」と「初期鉄器時代」とが併記されている *1。 一般にはこの移行は浸透していないように思われる。

「暗黒時代」と呼ばれたのは、ミケーネ文明崩壊後に文字資料が無くなったことが主な理由だ。これが無くなったことで詳細なことが分からなくなった。このほかにも、人口減少や土器の質の低下が見られた。

しかしこの時代の研究が進むに連れて、暗黒時代と呼ぶに値しないという議論が為されて代わりに「初期鉄器時代」という名称が使われるようになった。 *2

オリエントも前1200年を境に、青銅器時代から鉄器時代に代わる。

暗黒時代(初期鉄器時代)の中の時代区分

暗黒時代(初期鉄器時代)と呼ばれる時代は前1200年から前750年まで。専門的には違うらしいがとりあえずここではこのようにしておく。

下記の時代区分は桜井万里子編『新編世界各国史17 ギリシア史』による(筆は周藤芳幸氏)。この時代区分(編年)はアテネのケライメコス遺跡の研究成果によって成り立ってるようだ *3。 ケライメコスは初期鉄器時代を通して墓の役割をしていた(その後もその役割は続いた)。

前12世紀 ミケーネ文化期
前11世紀後半 亜ミケーネ文化期
前10世紀 原幾何学文様期
前9世紀~前750年 幾何学文様期

幾何学文様期は初期・中期・後期と分かれるがここではそこまで細かくは見ていかない。

各時代の様子

下記も主に『ギリシア史』に依っている *4

前1200頃にミケーネ文明の政治システムは崩壊したが、ミケーネ文化は前12世紀が終わるまで続いた。

前11世紀。土器の様式がミケーネ文化のものを受け継いでいることから「亜ミケーネ文化期」と呼ばれている。

前11世紀に入ると遺跡・遺物が激減する。これらの原因としてはギリシア全体を通して牧畜中心の移動性の高い社会が基本であったことが挙げられる。人口が激減したようにみえるのも、これに関連するかもしれない。

前10世紀の原幾何学文様期の名称の由来は同心円などの簡単な幾何学的な文様が特徴の土器に由来する。この頃の特徴として火葬が挙げられる。

アテナでは火葬した骨はアンフォラ(大型土器)に納められて埋められたのだが、この時にアンフォラの取っ手の位置によって男女の区別をした。このことは、後の古代ギリシアの男女差別につながっているかもしれない(異論もある)。

前10世紀になると、大規模な建築物が再び見られるようになった。これらの建物の主は在地の有力者の居館だとされている。これらの有力者は人類学でビッグマンと呼ばれる。

ビッグマンとは……統治を維持するための機構に支えられた首長とは異なり、個人の優れた素質と能力を背景に君臨する一代かぎりの支配者のことである。

出典:桜井万里子編/世界各国史17 ギリシア史/山川出版社/2005/p46(周藤氏の筆)

ビッグマンの居住は彼の埋葬とともに破壊され、円形の塚となった。しかし、ビッグマンを戴く社会は不安定で、後代のポリスに発展しなかった。この社会は明らかにミケーネ文化のものとは違う。

これと対象的にアテネやクノッソス、アルゴスなどはポリスに発展したわけだが、その社会構造についてはよく分かっていないらしい。

いずれにせよ、当時のギリシア地域はミケーネ文明のような斉一的なものではなく、各地域の差異が大きかった。その代表例が、ビッグマンの社会と過去にポリスに発展する社会だった。

前9世紀から前8世紀(の前半)の幾何学文様期と呼ばれる時代は緩やかに(人口的にも、文化文明的にも)回復した時代だった。さらには交易も盛んになる。この当時は、前1200年の崩壊からいち早く立ち直っていたフェニキアが東地中海の交易ネットワークを構築していた。後発のギリシア諸勢力は彼らを追いかけるように交易集団として発展していく。

前8世紀の後半になると、いよいよ「暗黒時代」が終わり、ポリスの時代が幕開けする。