歴史の世界

エーゲ文明② 中期青銅器時代/ミノア文明の興亡

前回からの続き。

初期青銅器時代が終焉し、中期青銅器時代が始まる。そして
「中期青銅器時代≒ミノア文明の時代」

ミノア文明の始まり(初期青銅器時代

ミノア文明は、他の地域と同様に初期青銅器時代から文明化した。他地域との接触は少なかったようで、文明化のテンポもゆっくりだった。初期青銅器時代末期に他地域では戦乱が多発したが、クレタ島はその波が到来せず、中期青銅器時代を迎えることが出来た(ここまでは前回に少し書いた)。

盛期(前2000年~)

中期青銅器時代はミノア文明がギリシア地域の中心だった。

盛期の象徴が宮殿。宮殿は王の権力集中を想起させるが、そうではないらしい。

クレタ島の宮殿は、おそらく宗教的な権能の強い王を戴く人たちの精神生活の中心であるとともに、活発な経済活動の拠点でもあった。宮殿支配下の各地に散財する豊かな麦畑、オリーブがそよぎ葡萄やいちじくがたわわに実る果樹園、羊がのどかに草をはむ放牧地などからは、さまざまな物資が宮殿にもたらされ、専門の書紀によって記録された上で、必要に応じて各地に配分された。このような宮殿中心の経済の仕組みは、一般に再分配システムと呼ばれ、階層化された社会(首長制社会)に特有のものである。神聖文字、そして線文字Aというクレタ島独自の文字も、このような仕組みが機能する上で必要不可欠な道具として誕生し、発展を見た。

出典:周藤芳幸/図説ギリシア エーゲ海文明の歴史を訪ねて/ふくろうの本/1997/p22-23

周藤氏は別の本で補足的なことを書いていることによれば、以上の政治システムは《在地社会が、そのまま宮殿社会の下地となった》としている *1

「首長制社会」についてググってみたが、研究者の中でいろいろな意見があってわかりにくい。ここでは辞書的な理解だけでとどめて深入りしないでおこう。

しゅちょうせい【首長制 chiefdom】
部族社会(政治的中心をもたず,富や地位の分化もみられない平等社会)と国家社会(権力が中央に集まり,富や地位の分化が確立している社会)との中間に位置する統治形態として,アメリカの文化人類学者E.R.サービスによって導入された概念。部族社会の中で平等な地位にあった血縁集団の間に地位の上下関係が生じ,その一つまたは少数の集団が首長chiefの地位を独占・継承するに至って生まれる。そのような首長は生産と分配を統制し,公共的な仕事を計画し,そのための集団を組織するなどの公権力をもち,その執行の権力ももっている。

出典:株式会社平凡社世界大百科事典 第2版/首長制とは - コトバンク

引用に出てくる神聖文字 *2 と線文字Aについては発見された資料が少ないため未だに未解読。前18世紀まで遡ることができるらしい。

有名な宮殿はクノッソスだが、これ以外にも複数あり、さらには宮殿はないが政治行政システムがある場所もある。クレタ島の権力は一つではなかった。

ギリシアの他地域への影響は後述するとして、エジプトにもミノアとの接触の跡があった。

ミノア文明の影響はエジプトにも見られる。前1600年を挟む約100年はエジプト第15王朝と呼ばれる政権があった。この政権の支配者はレヴァントに起源を持つ人々(ヒクソス)。彼らはナイルデルタにアヴァリスという王都を建設したが、その都市は西アジア・レヴァント・ヌビア・東地中海を結ぶ一大交易センターになった。その交易相手の一つがクレタ島だった。 (ヒクソス - Wikipedia 参照)

その他にはアナトリアにも交流の証拠があるらしい *3

ミノア文明の担い手は誰か?(線文字Aについて)

ところで、線文字Aは未だに未解読とかいたが、桜井万里子氏は以下のように書いている。

クレタ島[=ミノア文明]では……線文字Aが使われていましたが、線文字Aが表している言語がギリシア語ではないことは確かで、まだ解読されていませんが、オリエントの言語と構造が似ているようです。[中略]

[ミノア]文明を営んでいた人々はギリシア人ではなく、オリエント系の人々であったことはまず間違いありません。

出典:桜井万里子・木村凌二/集中講義!ギリシア・ローマ/ちくま新書/2017/p23-24

ミノア文明の最盛期と崩壊

ミノア文明の最盛期は前1700~前1500年ころ。かつては前17世紀後期にサントリーニ島クレタ島の北、キクラデス諸島の一つ)の大噴火がミノア文明を崩壊させたという仮説が有力視されていたが、現在では否定されている。

前1450年にクレタ島で破壊と火災の跡が見られる。これが戦乱の跡なのか天災のそれなのか意見が分かれている。しかし前15世紀末になると、クレタ島ギリシア本土で興ったミケーネ文明の勢力に掌握される。詳細は不明。

同時代の他地域(ミノア文明の影響その他)

ミノア文明の影響はキクラデス諸島に強く及び、この地域の文化はミノア文明の影響下に入った。

ギリシア本土では初期青銅器時代末期の戦乱から立ち直れず、長く文化文明が廃れていた。しかし考古学の成果によると、1650年頃の層から「突如として豪華な副葬品をおさめた墓」が発見されている *4。ここからミケーネ文明が始まるわけだが、この文明は次回に書く。

トロイでもこの時代の初期は繁栄してはいなかった。ただしトロイ遺跡を発見したシュリーマンの乱暴な発掘のせいで分からないことが増えたという面もある。前1800年頃になると再び栄えるようになった。ギリシア神話に出てくるトロイア戦争の舞台は前1800~前1300年の間のどこかと考えられている。



*1:桜井万里子編/世界各国史17 ギリシア史/山川出版社/2005/p31(周藤氏の筆)

*2:Cretan hieroglyphs。聖刻文字または絵文字とも呼ばれる

*3:世界各国史17 ギリシア史/p37

*4:世界各国史17 ギリシア史/p34