歴史の世界

新アッシリア① 先帝期/帝国期の幕開け

中アッシリア からの続き。

アッシリアの記事で書いたことだが、前10世紀中頃までには、アッシリアの領土はメソポタミア北部のティグリス河流域周辺までに縮小してしまった。

この状況から失地回復を果たした王がアッシュール・ダン2世と次代のアダド・ニラリ2世。

ただし、新アッシリア時代の最初の王はアダド・ニラリ2世とみなされている。

ティグラト・ピレセル2世(前967年 - 前935年)
アッシュール・ダン2世(前934年 - 前912年)
アダド・ニラリ2世(前911年 - 前891年)
トゥクルティ・ニヌルタ2世(前891年 - 前883年)
アッシュールナツィルパル2世(前883年 - 前859年)
シャルマネセル3世(前858年 - 前824年)
シャムシ・アダド5世(前823年 - 前811年)
アダド・ニラリ3世(前810年 - 前783年)
サンムラマート(セミラミスのモデル)(摂政、前810年 - 前805年)
シャルマネセル4世(前783年 - 前772年)
アッシュール・ダン3世(前772年 - 前755年)
アッシュール・ニラリ5世(前754年 - 前745年)
ティグラト・ピレセル3世(前744年 - 前727年)
シャルマネセル5世(前727年 - 前722年)
サルゴン2世(前722年 - 前705年)
センナケリブ(前705年 - 前681年)
ナキア
エサルハドン(前681年 - 前669年)
アッシュールバニパル(前669年 - 前627年頃)
アッシュール・エティル・イラニ(前627年頃 - 前623年頃)
シン・シュム・リシル
シン・シャル・イシュクン(前623年頃 - 前612年頃)
アッシュール・ウバリト2世(前612年頃 - 前609年頃)

出典:アッシリアの君主一覧 - Wikipedia

先帝国期

ティグラト・ピレセル3世の代より、アッシリア帝国と呼ばれる時代に入るとされ、その前は先帝国期と呼ばれる。

アッシュール・ダン2世の前王ティグラト・ピレセル2世についてはほとんど史料が無い。アッシュール・ダン2世により失地回復が行われたとされている(アッシュール・ダン2世までは中アッシリア時代の王とされる)。

アッシュール・ダン2世は、四方に軍事遠征をして境界線を確定した。特に、領地と領民を奪ったアラム人を攻略し、領民に土地を与えて農作物の増産を実現した。また、北方・東方からの鉱物の輸入ルート西方への交易ルートを安定化させた。こうして、アッシリア周辺を安定化させ、領土拡大のための礎を築いた。 *1

アダド・ニラリ2世は先代の方針を引き継ぎ、遠征を繰り返した。西方はアラム人勢力だけでなく、シリアのネオヒッタイト(シリア=ヒッタイト国家群)とフルリ人を討ち、南方ではバビロニアを攻撃し領土を拡大した。

遠征は数代に亘って続けられ、シャルマネセル3世の治世でその勢力はパレスチナまで及んだ。

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出典:シャルマネセル3世 - Wikipedia

  • ↑茶色部分が直接支配領域。橙色部分は勢力範囲(従属国)。

しかし、晩年には息子どうしで王位継承争いが始まり、シャルマネセルの死後約80年は停滞期に入る。

ティグラト・ピレセル3世/帝国期の幕開け

上記の停滞期を克服して再拡大を始めたのがティグラト・ピレセル3世。彼の治世から「アッシリア帝国」が始まるとされている。

王国と帝国の違いは、簡単に言えば、一つの民族(ここではアッシリア)の国であるか、支配する諸民族すべてを統合する国であるかの違いだ。多民族を支配するには効率的な仕組み(システム)が必要で、帝国にはどのようなシステムで運営されているのかが重要なポイントになってくる。

[ティグラト・ピレセル3世は]ます、行政、軍制などの国内問題を改革し、地方分権化していたアッシリアを中央集権国家として再建した。行政改革では、アッシリア本土の州長官の権限を削減し、征服地では旧来の支配者を排除し、属州にかえた。

また、軍制改革はもっとも重要で、これ以降兵士は属州や臣従国などで徴募され、訓練された常備軍が主力をなし、アッシリアの軍事力が一段と強化された。

さらに、ほぼ毎年軍事遠征を繰り返し、大規模な強制移住政策をおこなった。

出典:小林登志子/古代メソポタミア全史/中公新書/2020/p210

属州化、他民族の軍隊取り入れも強制移住政策も彼に始まったことではないが、これを大規模かつ効率的に行なって帝国化を実現した(強制移住政策は、ある民族を地元から剥がして、抵抗力を失わせ、反乱を抑制するための政策)。

ティグラト・ピレセル3世の治世にバビロニアを攻略し、彼はバビロニアの王になった。アッシリアバビロニア支配はこれより始まる。