歴史の世界

アケメネス朝ペルシア帝国 その11 ダレイオス3世とペルシア帝国滅亡

前回からの続き。

ダレイオス3世はアケメネス朝ペルシア帝国の最後の王で、アレクサンドロス大王によって滅ぼされる。

ダレイオス3世と前回のアルタクセルクセス3世の間に一人の王がいる。その名はアルタクセルクセス4世だが、ギリシア文献だと「アルセス」という呼び名のほうが通っているそうだ。

アルセスの治世については史料が無いので書かない。

ダレイオス3世即位までの経緯

この経緯も例によって(?)確定されていない(王による史実の改竄が度々疑われている)。

前1世紀の古代ギリシア人ディオドロス『歴史叢書』によれば、以下の通り。

  • アルタクセルクセス3世の治世の宦官で宮廷内の実力者であったバゴアスという人物が大王を毒殺して実権を握り、アルセスを王位に就けた。

  • バゴアスはアルセスを孤立化させるために兄弟も殺した。そしてアルセス自身が反抗的になったため、彼自身と彼の子どもたちも殺害した。

  • バゴアスは彼の友人であったダレイオス(3世)を王位に就けた(ディオドロスはダレイオスが王族か否かについて言及していない)。

  • しかし結局のところ、2人は仲違いし、バゴアスがダレイオスを暗殺しようとしたところ、その企みが事前に発覚したためにダレイオスがバゴアスに毒杯を飲ませた。これで一連の経緯は終わる。

基本的に上記のシナリオが史実の有力な候補と考えられているようだ。アルタクセルクセス3世は自然死であるという史料もあるにはある。ダレイオスが王族か否かについては両者に論拠があり、現在も確定していないようだ。(以上、阿部拓児『アケメネス朝ペルシア』 *1 参照)

阿部氏はディオドロスのシナリオに論拠がある(ただの作り話ではない)としながらも、もう一つの可能性に言及している。

それは、ダレイオス(3世)首謀説で、バゴアスに全ての罪をかぶせたというもの。その論拠は(私個人的には)弱いと思うが(ここには書かない)、アケメネス朝の公式見解は数度史実を捻じ曲げているので、可能性はゼロだとは言えない。

滅亡

ダレイオスが即位したのが前336年で、アレクサンドロス大王の東方遠征が前334年、ダレイオス自身が死ぬのが前330年。ダレイオスの事績はアレクサンドロスに負けた以外に分かることは私には無い。

アレクサンドロス大王の東方遠征の詳細や彼の強さについては別の機会に書くとして、ここでは当時のペルシア帝国の弱さ・脆さについてだけ。

青木健『ペルシア帝国』 *2 によれば、帝国中央の騒ぎの後、西部諸州の独立傾向が止まらぬ中、絶好のタイミングでアレクサンドロス大王が攻めてきた、となる。

この戦いの数十年前(あるいは百数十年前)にはペルシア帝国はギリシア人の将軍や傭兵に少なからず依存していたことからも、ペルシア帝国後期の国内の軍事力はそれほどではなかったと思われる。

前330年、連敗したダレイオスは東方のバクトリア(現在のアフガニスタン北部辺り)に逃げたが、バクトリア総督(サトラップ)のベッソスに殺害され、アケメネス朝は滅亡した。

なお、 ベッソスは自らをペルシア王アルタクセルクセスと名乗ったが、アレクサンドロスの軍に捕らえられて処刑された。彼はペルシアの王としては数えられていない。 (ベッソス - Wikipedia

これでペルシア帝国の歴史は終わった。



*1:中公新書/2021/p220-225

*2:講談社新書/2020/p103