歴史の世界

文明の生態史観

「文明の生態史観」について書く。発表当時は唯物史観に対抗するものとして人々に迎えられたが、現在は文明論の先駆そして古典として語り継がれている。

説明

「文明の生態史観」は1957年(昭和32年)に『中央公論』に発表された梅棹忠夫の論説。1967年(昭和42年)に関連する諸論説と合わせて一冊の本『文明の生態史観』として中央公論社から出版された *1

「文明の生態史観」はモデル図で表される。

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出典:梅棹忠夫/文明の生態史観ほか/中公クラシック/2002/p197(A図)、p208(B図)

文明の生態史観ほか (中公クラシックス)

文明の生態史観ほか (中公クラシックス)

A図が最単純モデルでB図が修正を加えたもの。

楕円は旧世界(ユーラシア大陸とその周辺)で、中央を走る乾燥地帯は遊牧民が横断する北アジアゴビ砂漠からカスピ海あたりで南方へ屈曲してアフガニスタンまで。

ローマ数字は4つの文明圏、すなわち(Ⅰ:中国世界)(Ⅱ:インド世界)(Ⅲ:ロシア世界)(Ⅳ:地中海・イスラーム世界)。

大きなまとまりとして、両端の日本と西ヨーロッパを「第一地域」、Ⅰ~Ⅳと東南アジアと東ヨーロッパを「第二地域」とする。また、東南アジアと東ヨーロッパは「中間地帯」という位置づけも持っている。

さて、生態史観の「生態」とは何か。「生態」とは生態学を指し、生態史観は文明圏を生態学の分析方法を使って説明しようとするものだ。梅棹氏は、日本の生態学者、文化人類学者の今西錦司を支持する理系のひとで、文明・世界史を生態学で説明できる、とした。

生態史観は当時の主流の歴史観であった唯物史観に対抗するものとして発表されたので史観とついているが、実際は空間のほうが時間軸よりも重要なものになっている。地域研究(エリア・スタディーズ)のようにも見える。

梅棹氏の史観で重要なものを2つ。

  • なんの邪魔もなく条件が良い場所ならば、文明がぬくぬくと育つ(p125)。言い換えれば、きちんと段階を踏んで、順序よく発展する(p123-124)。
    ちなみに順序とは、最初は第二地域から文明を導入したものの、その後、封建制→絶対主義→ブルジョワ革命をへて、高度な近代文明の現代に至るというもの(p197)。
  • 乾燥地帯は悪魔の巣だ(p122)。乾燥地帯にいる遊牧民を中心とする勢力は農業社会をしばしば猛烈な暴力をもって破壊する。

第一地域は、旧世界の端に有って「悪魔の巣」に直接に破壊されることはなかった。さらに湿潤気候のため、温室のようにぬくぬくと育つことができた。梅棹氏の史観では、西ヨーロッパと日本は平行進化したのであって、近代化において日本は西欧の諸技術を受容したが、文明度は同等であり、ほぼ同時代的であったとする。

第二地域のⅠ~Ⅳは、「悪魔の巣」からの暴力をまともに受けた。これを防御するための多大なコストが必要だった。この多大なコストは古代文明を発達させて大帝国を築き上げたのだが、その体制のコストは膨大で、かつ、しばしば破壊されたので、第一地域のような「順序よい発展」をすることはできなかった。
また、多大なコストを調達するために、常時戦時体制のような状態で、為政者たちの権力は強大なままで、一方で、庶民は重税を課され人権は無きに等しかった。
近代に入ると高度な近代文明を築き上げた第一地域から侵略を受けて半植民地となり、現在は(論説を書いた当時は)近代化を図る途上にある。
梅棹氏は、これらの地域はむかしの帝国の「亡霊」ではありえないだろうか、と疑問を呈している。中露に関して言えば、全体主義体制(p129)。

また、第二地域に属する東南アジアと東ヨーロッパは上述の通り「中間地帯」という性格も持っている。この地域は大帝国化した地域と異なり、モザイク状態つまり多種の民族が混在している。

「文明の生態史観」と地政学の比較

「文明の生態史観」の第一地域はシーパワー、第二地域はランドパワーに対応する...と思って「文明の生態史観」に興味を持ったというのが、これを読むきっかけだった。思ったより合致してはいなかった。

地図の比較

以前にも貼った地図を再掲する。

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出典:サクッとわかる ビジネス教養  地政学/新星出版社/2020/p25

  • リムランドは梅棹氏の言葉を借りれば、「中間地帯」。(リムランドについてはこちら参照。)

現代では中国もランドパワーとされており、時代によって、または研究者によって、地域の区分が変わる。

「文明の生態史観」と地政学を比較すると、現代のランドパワーは第二地域の半分+乾燥地帯の半分といった感じだ。つまり中露のこと(最近はイランもこの中に入るかもしれない)。

さて、シーパワーについて。「文明の生態史観」は旧世界の話をしているので、新大陸のアメリカが言及されていない。さらに、単純モデルをつくるために海を捨象してしまった。こちらはあまり参考にならない。

性質

上記のように、ランドパワーの分析には役に立つと思うので、こちらに焦点を当てる。

ランドパワーは乾燥地帯=「悪魔の巣」も含む。ということで、ランドパワーは凶暴性を持っているということになる。全体主義的な性質も持っているので、厄介である。

「文明の生態史観」では、第一地域は「多大なコスト」を支払わなくてよかったが、シーパワーは「悪魔の巣」の暴力に対抗するために、支払わなくてはならない。

「西には手を出すな」

2001年に梅棹氏は川勝平太氏(『文明の海洋史観』を書いた人)と対談をした記録を公表した。それが『文明の生態史観はいま』という本だ。

この中で2人は「西には手を出すな」と主張する(p54-57)。梅棹氏は第二地域の性質は変わらない、全面的な工業国家にはなれないと。

さらに、梅棹氏は第一と第二地域の性質の違いを示す。

領地を獲得していくという「大陸志向」とはまったく違いますね。大陸志向ですと、ここの土地は俺のもんだという排他的な所有意識が育ちますけれども、島嶼ですと、交換すればおたがいの利益になり、それを共有すれば豊かになります。排他的所有権とは違う経済観念が生まれ、情報社会に適しています。(p56)

両者は生活様式(行動様式)の前提・土台となる性質からして違うのだから、深く関与しないように警告を発している。

この考えは、ランドパワーとシーパワーは両立できないという地政学(マハン)の鉄則に一致する。