歴史の世界

古代イスラエルの王国④ 南北王朝の滅亡

前回からの続き。

シリア・エフライム戦争

前8世紀の初頭はアッシリアとアラム・ダマスコが勢力を弱体化していたため、(北)イスラエル王国は繁栄していた。

しかし、アッシリア王ティグラト・ピレセル3世(前744年 - 前727年)の治世になると状況が一変する。彼はアッシリアを中央集権化・軍事力増強に成功し、アッシリアがオリエント世界を統一するまでの領土拡大期の基礎を作った傑物だ。 *1

前736年ころ、アラム・ダマスコとイスラエルの連合軍とアッシリアの戦争が起こる。これをシリア・エフライム戦争という(シリア=アラム・ダマスコ、エフライム=イスラエル)。

この戦争の背景はアッシリアがシリアに侵攻している状況がある。すでにシリアで2番目の強国ハマト王国が滅ぼされている。

この状況でアラム・ダマスコがアッシリアからの貢納の要求を拒否し、新たな対アッシリア連合軍を結成しようとした。イスラエル王国はこれに応じたが、ユダ王国はこれを拒否する。そしてダマスコとイスラエルはユダに攻め込む。ユダがアッシリアに救援を要請してシリア・エフライム戦争が始まる。

この戦争の結果、アラム・ダマスコは滅亡、イスラエル王国は北部を占領され、王を挿(す)げ替えられた。ユダ王国は貢納をした。

(北)イスラエル王国の滅亡

アッシリアによって王位に就いたイスラエル王ホシェアは、ティグラト・ピレセル3世が亡くなりシャルマネセル5世の治世になると反乱を起こす(エジプトの支援を頼りにしていたので背後にエジプトの策略が有ったかもしれない)。シャルマネセルはイスラエルの王都サマリアを包囲する。シャルマネセルは戦争中に亡くなるが、戦況は一変することなく次代のサルゴン2世によってイスラエル王国は滅ぼされた(前722年)。

ユダ王国、滅亡まで

イスラエル王国が滅ぼされた後もユダ王国は存続した。

シリア・エフライム戦争の時にアッシリアに貢納した王はアハズという。

735年 - 715年 アハズ アッシリア王ティグラト・ピレセル3世に臣従。
715年 - 687年 ヒゼキヤ このころアッシリアセンナケリブ活躍。
687年 - 642年 マナセ
642年 - 640年 アモン 地の民に暗殺される。
640年 - 609年 ヨシヤ 申命記改革行われる。エジプト王ネコ2世とのメギドの戦いで戦死。
609年     ヨアハズ(エホアハズ)
609年 - 598年 エホヤキム カルケミシュの戦い起こる。
598年     エホヤキン 次王ゼデキヤと共にバビロニアへ連行され、37年間にわたって拘禁される。その後開放。
597年 - 587年 ゼデキヤ 目を刳り出されてバビロニアへ連行された。

出典:ユダ王国 - Wikipedia

アハズの次代ヒゼキヤの治世にアッシリアと戦争になる。貢納を拒否し、近隣諸国とエジプトと連合して対決したが大敗し、王都エルサレムを攻囲されるが、どうやら莫大な貢納(賠償金)を払うことにより滅亡は免れた。(前701年)

この時のアッシリア王はセンナケリブだったが、彼が遺した碑石の中にはユダ王国内の都市ラキシュの攻略の様子が描かれている。皮を剥がれたり杭を打ち付けられたりするその凄惨な描写は見せしめとする目的だったようで宮廷内に飾られていた *2

ヒゼキヤの後の王たちはアッシリアの属国であり続けた。しかしオリエント世界を統一したアッシリア王アッシュルバニパルが亡くなるとアッシリアが急激に衰退する。

前612年にアッシリアの王都ニネヴェが陥落して滅亡が決定的になったが、今度はエジプトと新興国バビロニアの覇権争いが始まる。

エジプトがアッシリアの残党を支援する形でバビロニアと戦ったが、その抗争の中で、当時のユダ王ヨシヤがエジプトと交戦して戦死してしまった。この戦いを メギドの戦い (紀元前609年) というが、この戦争がなぜ起きたのかは分かっていない。

いずれにせよこの戦争でユダ王国はエジプトの勢力下に入った。聖書によれば、ヨシヤの死後に王に就いたヨアハズはエジプトに連行され、ヨヤキム(エホヤキム)がエジプトによって王になった。

バビロニア王国が代替わりしてネブカドネザル2世(前604-562年)になると体制を整えた後、シリア・パレスチナに侵攻・介入する。

前597年、ネブカドネザル2世によりエルサレム陥落。ヨヤキム王はエルサレム攻囲戦の中で亡くなり、次代のヨヤキン(ヘホヤキン)と有力者など数千人がバビロンに連行された(第一回バビロン捕囚)。(ユダ王国はこの戦いの数年前にバビロニアに従属して、その後ヨヤキムが反乱を起こしたらしいが詳細は分からない。)

バビロニアはユダ王にゼデキヤを就けたが、ゼデキヤも反旗を翻したが敗れ、これでユダ王国の滅亡となる(前586年)。その後おおくの民がバビロンに連行された(第二、第三回バビロン捕囚)。



*1:新アッシリア① 先帝期/帝国期の幕開け 参照

*2:長谷川 修一/聖書考古学/中公新書/2013/p178-177