歴史の世界

兵家(6)孫子(他者・他書との比較 -- 対マキャベリ『君主論』篇)

記事タイトルどおり、他者(他書)との比較について書く。

今回はマキャベリ君主論』。

ソース

孫子』を『君主論』と比較しようなどと思ったのは以下の本があったから。

この本は以下の宣伝番組(youtube)を見て知った。

【9月14日配信】特別番組「孫子の盲点 信玄はなぜ敗れたか」日本経済大学教授・孫子経営塾理事海上知明 倉山満【チャンネルくらら】 - YouTube

さて、この本は武田信玄の戦争の歴史を大まかに書いている本だが、副題にある「信玄はなぜ敗れたか?」の答えが『孫子』にあるというのが著者の見立てだ。それがタイトルの『孫子の盲点』となる。

「信玄→『孫子』」、「信長→『君主論』」

孫子』は各種戦略論の中で比較すれば最上というだけで、唯一の万能の戦略書ではない。戦略書は『孫子』以外にもあるし、また『孫子』には限界もある。本書では、この二点を明確にするために武田信玄の一生をとりあげている。武田信玄という『孫子』の理論を最もよく身につけた人物の行動は、ある種の実験となっている。字面からではわからない『孫子』の問題点が、現実の中での実践を通じて明らかになるからである。また、本書では信玄の行動と、マキャヴェリ的な信長との比較も試みている。

出典:海上知明孫子の盲点 信玄はなぜ敗れたか/ワニ文庫(KKベストセラーズ)/2015*1/p3-4

この本では、両書を(用兵の本ではなく)国家戦略の本として比較している。

孫子』を勉強して骨の髄まで染み込んでいる武田信玄と、『君主論』は読んでいないが『君主論』の体現者 *2織田信長を比較することによって、「孫子の盲点」を説明しようとしている。

(『君主論』の他に『呉子』(上杉謙信)とも比較している。実はこちらの方がメインで、『君主論』(信長)は「刺し身のツマ」 *3 とのこと。)

両書の比較

著者・海上氏が上述の宣伝番組で言うところによれば、『孫子』は「サバイバルの書」、『君主論』は「統一の書」、だという。

君主論』の時代背景はルネサンス期の15世紀末から16世紀前半、イタリアの分裂時代。マキャベリは『君主論』でイタリア統一を成し遂げる君主像を描いた。

「幸運の女神は後ろ髪がない。前髪をつかめ!」←チャンスが来たら多少無謀でもいいからやれ、という意味。常にノーセカンドチャンスと思って行動すべし。

対して『孫子』の時代背景は春秋末の中国の分裂時代だが、この頃は まだ統一の雰囲気は全く無く、各国としては滅亡の危機を生じさせない国家戦略とはどのようなものか模索していた。だからサバイバルの書『孫子』が誕生した。戦国時代に入っても当分この考えが続いたので『孫子』は読みつがれたのだろう。

さて、これだけで「孫子の盲点」つまり弱点が分かっただろう。答えはスピードであった。

信玄 vs 信長

「人間五十年」と敦盛をうたって自らに「急ぐこと」を言い聞かせた信長は、大敗北を何度も喫しながらも領土を一気に拡大させた。

対して、常勝・武田軍団と謳われた裏には負けないための戦略書『孫子』があった。信玄は負けずに領土を獲得することはできたが、信長のように信長のスピードには叶わなかった。

信玄は遅ればせながらも上洛するために兵を進めたがその途上で死んでしまった。

海上氏によれば、信玄が信長のスピードを目の当たりにしても『孫子』に固執したのは、「身についた『孫子』の動きを脱することはできなかったのだろう」(p266)としている。あるいは「もしかすると、信玄の脳裏に信虎の失敗が忘れられなかったのかもしれない」(p265)、あるいは「信玄も佐久進出から村上義清との「上田原合戦」までの期間は、『孫子』的ではない戦いを演じて失敗している。その後『孫子』に戻り、着実な進み方をしている」(p259)。

そして極めつけが以下の文章。

「みだりに兵を動かすことなかれ」と述べた遺言には、最後の最後まで『孫子』的(不戦思想)な信玄の精神、兵力の損失と国力の消耗をひたすら嫌った「貧しい甲斐」の「孫子の徒」の精神がにじみ出ていた。

出典:p250

「イフ」の話、信玄が あと一年長く生きていれば。

海上氏の見立てでは、信玄は確実に信長を倒しただろうけれど、信玄の上洛の狙いは「統一」ではなく「(中国の春秋時代のような)覇者」になることだった。また、統一を目指しても信玄のやり方では何十年とかかるので無理な話だということ。

君主論』と比較して浮かび上がる「孫子の盲点」

孫子の盲点あるいは弱点・限界、それはスピードだった。

孫子』は軍事行動は短期間におこないうべしということは述べたが、なにかを成功させるにはすばやく行動せよというスピード重視とは異なった考え方である。[中略]『孫子』型の軍事行動の素早さの影には、膨大な時間をかけた準備が潜んでいる。軍事行動を最小限にするために謀(はかりごと)を重視し、損失を最小限に留めるためには当然代償が必要になってくる。

こうした膨大な時間をかけて大きなことを達成するという思想は、『孫子』のみに限ったことではない。中国思想にはしばしば「時の概念の欠如」がみられる。[中略] 中国の古典などを読めば、ときには一世代がかりの謀略なども登場している。[以下略]

出典:p260

「時の概念の欠如」すなわちスピードの重要性の欠如。

現代中国が膨張政策を採って世界を脅かしているが、その歩みは「サラミスライス戦略」と言われるような遅さをみせている。この裏には やはり『孫子』があるのだろう。

そして習近平の『孫子』的でない急拡大政策は「眠れるアメリカ」を起こしてしまって現在に至っている。評論家の石平氏習近平をバカよばわりし、同じく評論家の竹田恒泰氏は習近平因幡の白うさぎに例えている(ネット検索参照)。



宣伝番組では「信玄vs謙信」を熱く語り合っていた。私は謙信の凄さを理解していないので ついていけなかった。

*1:この作品は、2006年11月にKKベストセラーズにより刊行された『信玄の戦争』を底本に大幅に加筆修正を行なった再編集版です。--本書より--

*2:著者曰く「信長はマキャヴェリがその存在を知りえたら絶賛した人物である」(p258)

*3:宣伝番組の聞き手の倉山満氏の言葉(10分57秒 )。著者も同意している。