歴史の世界

秦代④:政策(4)黔首/安全保障政策/始皇帝陵と兵馬俑坑

また前回の続き。

民(庶人)の呼称を「黔首(けんしゅ)」とする

「黔」は黒、「首」は頭の意。だから「黔首」は黒い頭を意味する。「黒い頭」とは「無冠の人」のことで、つまりは民あるいは庶人の身分を表現している。

官吏は冠か何らかの かぶりものを かぶっている。官吏は貴族しかなれない。

刀狩り

旧六国の兵器を都咸陽に回収し、溶解して編鐘のつり台座とそれを支える金人12体を作り、宮中に置く(刀狩りと金人十二体)。

出典:鶴間和幸/人間・始皇帝岩波新書/2015/p248

安全保障政策の一つ。

編鐘とは古代中国の打楽器のこと。複数の異なる音色を出す鐘が吊り下げられている。権力の象徴でもあった。

f:id:rekisi2100:20200417053639j:plain
中国の古楽器演奏で使われる編鐘。

「編鐘」に関するyoutube動画を幾つか見たら、クリスマスのハンドベル演奏を思い出した。

六国の首都の城郭の破壊

六国の首都の城郭を破壊し、六国の国境にあった長城も取り除かれた。また、六国の宮殿は破壊され、新たに咸陽周辺に再建された。もとの後宮にいた女官や楽器は没収されて秦の宮殿を満たしたという。(人間・始皇帝/p249)

六国の王は捕虜にされた。郡県制を決定する前は、彼らを臣従させて王に復位させることも考えていたようだ。

捕虜になった元・王たちは再建された宮殿に入ったわけではなく、ほうぼうへ遷されて余生を暮らした。(同/p91-92)

富豪の強制移住/上林苑・阿房宮始皇帝陵/咸陽城の拡張

全土から富豪12万戸を咸陽に強制移住した。富の独占という目的の他に、未来の反乱軍の資金源を予め無くすという安全保障上の目的もある。(同/p249)

上林苑とは馬彪氏によれば *1、 「上」は皇帝を指し、「林苑」は「禁苑」は皇帝の庭を指す。結局、上林苑は皇帝の庭のことだ。

『人間・始皇帝』(p249)には上林苑は《全国の動植物を集めた御苑》と説明されているが、上述の馬彪氏によれば、動植物園はその一部の機能でしかなく、狩猟の場であり、祭祀の場であり、各種政事が行われる場所であった。狩猟は軍事訓練の性格を持つ。宮殿を含む宿泊施設もあった。それだけ広大な場所だ。(地図を見ると幾つかの場所に分かれていた)

多くの物・人が首都咸陽に流入し、手狭になったということで新たな宮殿を作ることにした。これが阿房宮と呼ばれるものだ。これと驪山陵(始皇帝陵)の建造に犯罪受刑者70万人が動員されたという。ただし、秦の滅亡によって未完のままに終わった。 (阿房宮 - Wikipedia )。

始皇帝陵と兵馬俑の話は後述)

こうして急拡大した首都咸陽の人口は推定で60万人(斉の首都臨淄が35万人、秦代全体の人口が1500-2000万人)となった。 *2

始皇帝陵と兵馬俑

まずは誰でも知っている兵馬俑のことから。

兵馬俑とは《古代中国で死者を埋葬する際に副葬された俑のうち、兵士及び馬をかたどったもの》 *3。 「俑」は埋葬する人形・人像のこと。

兵馬俑
中国陜西(せんせい)省西安市郊外にある始皇帝陵の副葬坑。陵の東方1.5キロメートルに位置する。1974年に発見され、三つの坑の総面積は2万平方メートルを超える。表情や衣服などが多様な7000体以上の兵士俑をはじめ、馬俑や馬車、武器などが実戦の軍陣で配置され、その精緻な製法や正確な造型は当時の技術水準の高さを示している。1987年に「秦の始皇陵」の名称で世界遺産文化遺産)に登録された。

出典:小学館デジタル大辞泉/兵馬俑坑(ヘイバヨウコウ)とは - コトバンク

f:id:rekisi2100:20200417104950j:plain
始皇帝兵馬俑坑1号坑

出典:兵馬俑 - Wikipedia

これはこれで迫力があってすごいことだが、引用文の通り、これらは副葬物であって、本当に重要なのは始皇帝陵だ。

f:id:rekisi2100:20200417110002j:plain
秦始皇帝陵(緑色)とその周囲の墓域

出典:秦始皇帝陵及び兵馬俑坑 - Wikipedia

右側の「テラコッタ・アーミー」とあるのが、兵馬俑坑。

しかし始皇帝陵の全貌はよく分かっていないようだ。発掘による内部の破損を木にしているようで、発見から数十年経った今でも こじ開けようとはしていない。荒っぽいことができない理由として考えられるのは世界遺産に登録してしまったことだ。

ちなみに、「クフ王のピラミッド」、「始皇帝陵」、「大仙陵古墳仁徳天皇陵)」のことを世界三大陵墓というらしい。

f:id:rekisi2100:20200417111447p:plain

出典:三次元表示による三大墳墓の比較 堺市

さて、直に発掘できないので科学技術を使って”透視”が試みられている。文献研究や実地調査に加え、衛星データを利用した地球観測技術を使って内部を解明しようとしている。

東海大[の情報技術センターの惠多谷雅弘事務長ら]と学習院大学文学部の鶴間和幸教授らは、衛星画像と地形データを組み合わせた映像解析技術により、陵墓が東西南北の方角にあわせて緻密に作り上げられた建造物である可能性を明らかにした。さらに衛星画像から陵墓が平らな場所ではなく、傾斜が2度もある急な斜面に作られていることも分かった。

また中国の研究者との共同研究により、始皇帝の遺体を安置した墓室は地下30メートルに位置しており、これらはその後の時代の漢の皇帝の遺体の墓室などに比べ深く掘られている。

鶴間教授は、「始皇帝は自分の肉体を永遠に残すことを考えていた。地下30メートルの空間は気温が数度Cと低く、密閉すれば天然の冷蔵庫となる」と遺体の保存に適した環境であったと指摘する。

一方、地下30メートルでは地下水への対策が必須だ。そのため斜面がある場所に陵墓を構築したと考えられる。水はけを良くし、さらに堤防を設けることで、地上の河川と地下水を取り除き、遺体の保存環境をより良く保っていたようだ。

出典:宇宙考古学が拓く歴史発見−衛星でピラミッド・始皇帝陵解析 | 科学技術・大学 ニュース | 日刊工業新聞 電子版

上の記事に書かれていないこととして、水銀の話がある。秦始皇本紀始皇37(前210)年条に始皇帝陵の記述があり、その中で《水銀で天下の河川、江河(長江と黄河)、大海を模し、器械仕掛けで流れるように細工した》とあるのだが *4

始皇帝は、古代エジプト文明のファラオたちと同じように、現実世界での死後も皇帝であろうとしたことがうかがえる。



*1:PDF《馬彪/秦上林苑における構造とその性格についての研究》

*2:鶴間和幸/中国の歴史03 ファーストエンペラーの遺産 秦漢帝国講談社/p79

*3:兵馬俑 - Wikipedia

*4:『人間・始皇帝』(p179) 、調査の結果、水銀が検出され、実証されたとしている。(同/p190-191)

また、《墳丘の南から文官俑・百戯俑・石鎧甲坑、陵園の北から楽士俑などが出土し》ている。 ((衛星データを利用した秦始皇帝陵と自然景観の復元 | 過去の一般研究プロジェクト一覧 | 一般研究プロジェクト | 研究プロジェクト | 学習院大学 東洋文化研究所