歴史の世界

法家(6)韓非子(「勢」と「術」)

今回は「勢」と「術」について。

「勢」

「勢」については別の記事の《慎到の節》 で書いたので、先に読んでほしい。

韓非子』難勢篇は慎到の勢の概念に賛同する論説だ。

そして以下のように「勢」について書いている(『韓非子』難勢篇より)。

堯・舜、そして桀・紂などは、賢聖、暴君としての両極であり、千年にひとり出るか出ないかの存在である。われわれが考えねばならないのは、そのような例外に属する人物ではなく、ごく平凡などこにでも転がっている輩であり、世の中それが大多数を占める。したがって堯や舜の聖人の出現を待つなどということは、千年に一度の偶然を期待するようなもの、乱世を千年我慢して、ただの一度の治安を願うに等しい。しかも、たとえ堯・舜が出てきたとしても一個人としては自らの能力には限りがある。全体、大多数を治めるには、然るべき地位・権威を盾に褒賞・刑罰をシステマティックに運用していくことが一番である。

出典:冨谷至/韓非子中公新書/2003/p146-147

結局のところ、君主の地位と その地位が有する権勢(すなわち「勢」)がシステマティックに動く体制を構築せよ!ということになる。

「術」

「術」については内儲説上篇に「七術」がある。

権勢、地位よりもいっそう技術的、テクニックに傾くものとして、君主はいまひとつの「術」を習得しておかねばならない。「術」とは、臣下・部下の操縦術、掌握術であり、功利的行動を人がとり、それゆえ「人を信ずれば、人に制せらる」という教訓から導き出されたものであった。

韓非子』内儲説上篇に「七術」篇があり、そこで七種類の操縦術を開陳している。

  1. 多くの手がかりを集めてそれを突き合わせて総合的、実証的に判断する。
  2. 威厳をもって、必罰をおこなう。
  3. 能力を発揮させるために、然るべき者に恩賞を与える。
  4. 個別に分離独立して意見を聴取し、実績に従って結果責任を問う。
  5. 不可解な命令や態度をわざとして、臣下を疑心暗鬼にさせ、また臣下をそれで試す。
  6. 知らないふりをして、質問して、どう応えるのか観察する。
  7. 意図することの逆のことを言ったりしたりして、相手の反応を見る。

右にいう「信賞必罰」「実物証拠主義」は、改めていうまでもなかろう。[中略]

徹底した人間不信は、なんといっても(5)(6)(7)であろう。「七術」に挙がる具体例はこんな例である。

県の長官であった龐敬は、市の役人を視察し、責任者を呼び出した。しばらく立って対面していたが、別に何も命令せずにそのまま帰した。役人たちは、長官と自分たちの責任者が何か自分たちのことに関して話し合ったに違いないと疑心暗鬼になり、何もしないでも統制がきいた。[中略]

不可解な命令を出し、疑心暗鬼にさせるこれが例である。

韓の昭侯は、爪を切手そのひとつを自分で隠しておき、部下たちにはなくしたといって探させた。ある者が自分の爪を切って、それをなくした爪だといって差し出した。昭侯はそれで誠実な部下と不誠実な部下を見極めた。

「知らないふりをして、部下を試す」という例である。

第一には、法律を準則としてそれに忠実に乗っ取る、刑罰と徳を運用における推進力とする。第二には、為政者個人の資質に過度な期待をせず、権威・地位という装置の上で、臣下を掌握する術を会得して政治をおこなう、そうすればどんな凡人君主でも一定の成果をあげることができ世の中の安寧秩序は達成できる。これが韓非の政治論であった。

出典:冨谷氏/p148-150

  • 「刑罰と徳」の徳とは、儒家の言う道徳のそれではなく、「アメとムチ」のアメに近い。

もうひとつ、「形名参同術」について。

もともとの形名参同術を発案した人物は申不害。この人物と形名参同術については記事の 《申不害の節》 に書いた。

韓非子』はこのアイデアを採用したのだが、『韓非子』の指向に合うように改変している。

韓非子は先輩の申不害から、形名参同術の理論を導入したのだが、韓非子は術的法や厚賞厳罰、君主の権勢などを、形名参同術と密接に結合する形に理論を進展させている。こうした操作によって形名参同術は、形名術に委ねれば自動的に臣下を督責でき、君主は賢智を用いた煩雑な判断をせずに無為でいられるといった申不害の段階から、法と賞罰による威嚇を背景に、より積極的に君主権への絶対服従を強制する段階へと、その威力を増大させたのである。

出典:浅野裕一/雑学図解 諸子百家/ナツメ社/2007/p264

形名参同術については『韓非子』揚権篇に書いてある。

法術思想の矛盾

以下は浅野裕一氏の見解。

法術の士について。

韓非子は、「智術の士は、必ず遠見にして明察。明察ならざれば、私を燭(てら)すこと能わず。能法の士は、必ず強毅(きょうき)にして勁直(けいちょく)。勁直ならざれば、姦を矯(ただ)すこと能わず」(『韓非子』孤憤篇)と、いかなる誘惑にも乗らず、どんな迫害にも屈せずひたすら君主と国家の安泰のみを願って闘い続ける、法術の士の存在を強調する。また法術の士のパートナーとして、法術の士の価値を認め、要職を占める重臣たちの妨害を排除して、彼の意見を採用する名手の存在をも記す。

国家の要職を占める重臣たちは、その権力を悪用して、さまざまな陰謀をめぐらす。いかにも国家や君主のためにしているかのように見せかけながら、その裏では私腹を肥やし続ける。[中略]

だが法術の士は、どんなに利益を餌にみせられても、決してつられたりはしない。どんなに脅迫されても、決してひるんだりはしない。法術の士は、自分の利益には目もくれず、命を落とす危険も顧みない。[中略]

法術の士が活躍するためには、その価値を高く評価して任用してくれる君主が必要である。そうした君主を韓非子は「明主」とか「明王」と呼ぶ。明主と法術の士。韓非子によってこの二種類の人間だけは、曇りなき叡智を備え、欲望に目が眩(くら)まず、恐怖にたじろがず、決然として国家の前途に深謀をめぐらす、純粋な仕事師、ピューリタン的人間として描かれる。だがそうした人間が出現する保証は、実はどこにもない。

出典:浅野氏/p266-268

韓非子』難勢篇において、堯・舜のような聖人も桀・紂のような暴君も千世に一度しか現われず、他の君主は彼らに比べれば平凡な君主たちで、その凡主たちでも国の秩序を保てるようにするために「勢」という概念を編み出した慎到に賛同している。

しかし『韓非子』は上の引用のように「明主」を求めている。

韓非子は、現実の暗さに目覚めよと説いて、偶然の幸運に頼る統治を甘美な幻想として退け、一貫して「必然の道」(『韓非子』顕学篇)を追い求めた。だが韓非子の鋭い理論も、実はその根柢に、明主と法術の士の出現といった偶然性に一切を託さんとする、大いなる幻想を宿していた。理想主義者の魂を現実主義者の仮面と衣装で演じ続けようとしたところに、韓非子の思想の、そして韓非子の人生そのものの悲劇が存在したのであり、彼もまた地上のあまりの暗さに耐え切れず、架空の幻夢の中に、己と世界を救済しようとしたのである。

出典:浅野氏/p268

手厳しい。

韓非子』は現代においても利用されている思想書なので、単なる幻想・妄想の類いのアイデアではないことは確かだ。