歴史の世界

法家(5)韓非子(「法」)

今回は『韓非子』の「法」について。

法家の思想は法によって世の中を治めようという政治思想だ。そしてこの「法」とは成文法のことで、文書化して世に示して人々に従わせることを基本とする。

これを前提として、『韓非子』の「法」の目的とはどういうものか?

「法」の目的

第一は、法令を無視して私的権力の拡大を狙う重臣を摘発・排除し、君主権の強化を実現することである。第二は、法や賞罰によって、民衆の価値基準を農耕と戦闘にのみ統一し、富国と強兵を実現することである。第三は、法治により犯罪を防ぎ、社会秩序を維持して、民衆すべてに安全な社会生活を保障することである。

出典:浅野裕一/雑学図解 諸子百家/ナツメ社/2007/p258

上の目的は法を君主の名のもとに公布することを前提とする。法を破ることは君主の命令に背くことを意味する。簡単に言えば以下のようになる。

「第一」の目的は君主権の強化
「第二」の目的は富国強兵
「第三」の目的は治安維持 *1

「第一」の目的の考えは、申不害と慎到の思想に影響されたと考えられている。この中には、重臣(大貴族)の政治・行政の裁量権を制限することで彼らの権力の源を縮小することも含まれる。これも君主権の強化につながる。

ただし申不害と慎到は法の客観性・中立性を強調し、君主の恣意的な法の運用をも戒めている。そうすることで君主が暗愚の場合でも法によって国の秩序が保つことができる、というのが両者の主張だ。

「第二」の目的の考えは、商鞅の思想に影響されたと考えられている。

商鞅の考え方の中には、富国強兵の実現の他に、法を用いて君主の意思の実現という目的が含まれる。つまり、法は《君主の意思を実現するための誘導技術》 *2 ということになる。この考えは、上述した申不害と慎到の考えと対立する。韓非は商鞅の方の考え方に重きを置いた。

「第三」の目的については以下に新たに節を作って書いていこう。

刑罰について

さて、「第三」の目的、治安維持について。治安は刑罰によって維持する、とする。

刑罰については、冨谷至著『韓非子』(中公新書*3に頼る。

まず、時代と国境を超えた一般的な刑罰の目的は以下の3つ。

  1. 犯罪者に応分の罰を与える。応報。
  2. 犯罪者ではなく、将来の犯罪を防ぐための予防・抑止。
  3. 犯罪者の更生・教育。

そして『韓非子』の刑罰の目的は2番目の予防・抑止が唯一でありそれ以外は存在しない *4。 予防・抑止については「刑を以て刑を去る」(内儲説上・飭令)の他にも以下の文章が挙げられる。

いったい厳刑は、誰しもが畏れるもの、重罰は誰しもが嫌がるもの。したがって、聖人は畏れるものを公布して、邪悪を防ぎ、嫌がるものを設定して、悪事を予防した。だから、国が安定して暴乱が起こらないのだ。(姦劫弑臣)(冨谷氏/p113)

韓非子』の刑罰の特性について3つ。

  1. 刑罰はその法律の明文を認識させることで予防を期待するのではなく、厳刑の執行を人々に知らしめて、同様のことをしないようにさせることを期待する。
  2. 罪を犯した人間には、確実に刑罰を実行しなければならない。そうしないと予防効果が発揮できない。
  3. 「萌芽の措置」。大事件につながる小さな犯罪・違反に対して重刑を科す。大事件を萌芽の段階で未然に防ぐことを目的とする。 *5

以上が冨谷氏の解説。

韓非子 不信と打算の現実主義 (中公新書)

韓非子 不信と打算の現実主義 (中公新書)

現代中国まで続く『韓非子』の「法」思想

ところで、東洋史家・宮脇淳子氏によれば、中国の法律は現代に至るまで「見せしめ刑」だという *6

宮脇氏によれば、人口が多くなりすぎた中国において罪を犯した人間に確実に刑罰を実行することは無理なので、厳刑によって未来の犯罪の予防・抑止を期待する方法を採っている。だから賄賂に対する刑罰が死刑になるわけだ。これは現代でも変わらない。現代中国は「西側諸国」の法のシステムが違うことはこのブログで何度も書いてきた。

韓非子』の「法」の思想は現代中国まで受け継がれているが、全てそのまま継承されるとまではいかなかった。『韓非子』にも「時代が変われば、政治も変わらなければならない」という趣旨のことが書いてあるので、『韓非子』の思想の受容も代わって当然だ。