前回からの続き。
- 「天皇は国家元首」を歪める人たち
- 《宮沢俊義 ── 「象徴」を曲解した憲法学者》
- 「主権」とは何か?
- 帝国憲法の第1条から4条まで
- 「天皇は主権者だったのに、象徴になることによって主権を失った」という曲解
- 「統治」と「主権」の違い
- 帝国憲法の「統治」の言葉に込められている日本の伝統
「天皇は国家元首」を歪める人たち
天皇が海外に出れば、必ず国家元首として待遇される。普通であれば、これだけで天皇が国家元首であることは証明されている。
ところがこれに異論を唱える人達がいる。その代表が憲法学者だ。そして彼らの主張の根拠となっているのが戦後直後に憲法学の権威と謳われていた宮澤俊義だ。
《宮沢俊義 ── 「象徴」を曲解した憲法学者》
《宮沢俊義 ── 「象徴」を曲解した憲法学者》は第二章の中の見出しの一つ。(正確に言えば「宮沢」でなく「宮澤」)
日本国憲法は米国製と言われるが、これから書く部分の第1条から第4条の天皇に関する部分は大日本帝国憲法のそれらとほとんど変わらない。これは日本国憲法作成段階で当時の当事者たちが抵抗して、著者の言うところの「帝国憲法の劣化コピー」というところまで押し留めた結果だ。
しかし、これを解釈という方法で曲解したのが宮沢俊義という人物だ。
日本国憲法制定当初は「象徴」は「head of state」つまり「元首」という意味だった。これを「天皇は主権者だったのに、象徴になることによって主権を失った」と曲解した(p104)。これを根拠に現在の憲法学者は「天皇は元首ではない」と主張している。
さて、ここで「主権」というのは何なのか、調べなくてはならない。
「主権」とは何か?
主権の意味は大きく分けて、国外と国内に分けられる。国外に対しては支配の範囲とその独立性、国内に関しては国家の決定意思と権力行使(p103)。ここで問題になるのは後者。
宮澤は上記のように「天皇は主権者だった」というが、帝国憲法において天皇は主権者ではなかった。国家の決定意思と権力行使は臣下に移譲されたのだが、憲法制定から時代が下り、デモクラシー(議会民主政)が確立されると国民主権と呼べる状況になる。
帝国憲法の第1条から4条まで
帝国憲法には天皇に関連する条文が幾つかあるのだが、本書では第1条から4条までが議論の対象となっている。
第2条 皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス
第3条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
第4条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ
著者の説明によれば、第1条と2条は日本国の本来の持ち主は天皇・皇室だということ。本来の国の持ち主=君主ということ。(「統治」については次回)
第3条は、憲法に無知である私が読むと、「天皇は現人神であるから法の上の存在である」と読んでしまうところだが、実際は違う。帝国憲法の「劣化コピー」である日本国憲法は以下の通り。
これを君主無答責という。つまり君主(=天皇)は「主権」を放棄する代わりに、政治的な責任は負わないということ。
第4条の前半部分《天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ》は、天皇が国家元首なのだから統治権(国を治める権限・権力)は(本来は)天皇が一手に握っている、ということ。
後半部分は《此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ》は「…しかし、憲法の条文(特に第3条)によって、天皇の実質的な統治権は臣下に移譲されている」。
ちなみに日本国憲法第4条は
前半は、実質的に同じことを言っている。(後半はその補足か?)
「天皇は主権者だったのに、象徴になることによって主権を失った」という曲解
実際は以上のようなことなのに、憲法学者は素人のように字面だけ読んで、「"明治憲法"では天皇は現人神とされた!」みたいなことを言っているそうだ。
ちなみに、宮沢俊義は(現代の憲法学者とは違い?)「知の巨人」と呼べるほどの超インテリだったのだが、事大主義・迎合主義・保身の人だったため、戦前に言っていた主張を変えて、GHQ(の中の左翼)と東大(の中の左翼。南原繁、横田喜三郎ら)に忖度して天皇の権威を貶めることに努めただけだった。 *1
さて、「天皇は主権者だったのに、象徴になることによって主権を失った」という言葉がどのように曲解なのか?
本書では宮澤の「八月革命説」や「天皇ロボット説」をわかりやすく説明されているが、その核となる主張が上の部分だ。
「統治」と「主権」の違い
以下は用語についての小難しい話。「統治」と「主権」の違いについて。
「主権」については前回に簡単に書いた。ここでは「主権」=「国家の決定意思と権力行使」という意味で語っていく。
これに対して、「統治権」とはなにか?同じ意味ととらえる人もいるが、本書では「主権」を「何をしても良い権力」、「統治権」を法の支配の下での権力すなわち「全員を従わせる力だけれども、何をしても良い訳ではない」としている。(p60)
これをふまえて大日本帝国憲法第4条を読んでみよう。
天皇は国家元首であって、統治権を持っている。ただし、「全員を従わせる力だけれども、何をしても良い訳ではない」。憲法の条規に従って権力行使をしなければならない。
私たち素人の中には、戦前の天皇は法に束縛されない法の上の絶対権力者、と思っている人もいるかも知れないが、歴史を見れば全くそんなことはないし、帝国憲法でもそのように書いていない。
ただし、字面だけ読むとそのような解釈が出来てしまうので、宮沢(宮澤)俊義のような詭弁がまかり通ってしまった。当時、憲法学の権威であった宮沢が詭弁を言い、その後、彼の弟子筋がそれを継承し、時を経て政府見解となり、現在に至る。
帝国憲法の「統治」の言葉に込められている日本の伝統
「統治」と「主権」の違いについて、帝国憲法の作成者たちがどのように考えていたのか? 以下の歴史によって明らかだ。
ここで帝国憲法第1条に戻る。
帝国憲法を作成した一人である井上毅は草案では「之ヲ統治ス」の部分は「之ヲ治(しら)ス所ナリ」とした。「統治ス」に書き換えたのは「シラス」が明治時代においてもあまりに古く馴染みの無い死語であるため。「統治ス」=「シラス」というのは帝国憲法の公式解説書である『憲法義解』で書かれている。
では「シラス」とは何か?
『義解』の解説は、「シラス」とは、古くから民を富ませ慈しむのが天皇の統治で、民を自分のために所有することではないという歴史を認識して、ヨーロッパ的な主権を否定しています。(p68)
「シラス」とは古事記の国譲り神話に出てくる言葉で建御雷神(タケミカズチのカミ)が大国主命(オオクニヌシのミコト)に対して「汝がうしはける葦原中津国(アシハラのナカツクニ)は、我が御子の知らす国と言依さし賜へり」と言った。
ここでの「うしはける」は「ウシハク」つまり「支配する」という意味、「言依」は「命令する」という意味で、上の文の大意は「天照大神は、現在大国主命が支配している日本列島を、天孫がシラス国にするように命じられた」。
ここでは「ウシハク」=「支配」=「主権」と「シラス」=「統治」を、憲法作成者井上毅は対応させている。
すなわち主権とか統治の概念は輸入されたものでこれを政治に採用するのは「新儀」ではないか?という問いに対して、井上毅は上のような「先例」を探し出して、「いや、日本は神代よりシラス国であった」と言っているわけだ。