遊牧の起源のお勉強。
遊牧の起源についての2つの説
遊牧の起源についてネットで調べると、大きく分けて2つの説が出てくる。
一つは「狩猟→遊牧→牧畜」という順番で起こったという説。この説の代表的なものは今西錦司『遊牧論そのほか』と梅棹忠夫『狩猟と遊牧の世界 自然社会の進化』。2021年に出版されている松原正毅『遊牧の人類史: 構造とその起源』もこの系統だ。
もう一つは「農耕(定住)→牧畜→遊牧」の順で起こったという説。考古学の成果から言えば、こちらの説のほうが有力とのこと(林俊雄『興亡の世界史 スキタイと匈奴 遊牧の文明』 *1 )。
このブログでは、後者の「農耕(定住)→牧畜→遊牧」の説を採用する。
牧畜(家畜化)の起源
牧畜の起源すなわち家畜化の起源は、1万年前(紀元前8000年)前後でヒツジとヤギが最初らしいが、あまり離れない時期にウシとブタも家畜化された。ヒツジとヤギは西アジアが起源だが、ウシ・ブタは起源地が複数あるようだ。
ただ、ここらへんの起源の話は、最近では遺伝子情報(ゲノム?)を使った研究が進んで10年以上前の本の情報は古いらしい。そして私は、遺伝子情報の話はちんぷんかんぷんなので、「1万年前」という情報も自信が無い。
次にウマの家畜化について。こちらも遺伝子情報の研究の結果、家畜ウマの起源は4700年から4200年前のロシア南部のボルガ・ドン運河がある地域に特定された。ただし、これ以上前に家畜ウマは各地に存在していたが、この系統のウマが各地に拡散してほかの系統のウマを淘汰してしまったという話だ。これは人間による有益なウマを作るための交配の結果だという。
こうして作られた遺伝子地図から、約5000年前の家畜ウマは多様性に富んでいたことが分かった。だが、人間が病気に強く、従順で、人を背に乗せられることを重視して交配するようになった。こうして多様性は失われ、私たちがよく知るウマが誕生した。
さらに重要なことは、家畜ウマが普及し始めたのが前2000年以降のことだということだ。単発的な「ウマの家畜化」は各地に起こったようだが、「家畜ウマの普及の起源」は前2000年だということだ。よって遊牧という生活様式が各地に拡大するのはこの時期以降になる。
遊牧の起源
上述の『スキタイと匈奴』では、遊牧の起源を前5500年頃のレヴァントとしている。この頃のこの地域は気候の乾燥化が進み、農地が縮小し、人間が生き残るために遊牧を発明した、とのこと。
この頃はすでに放牧などの技術が有ったため、定住的牧畜から非定住的牧畜すなわち遊牧に転換できた。ただし、初期の頃はテントは無く、《キャンプ周辺で調達できる建築材料で簡易的な住居を作っていたと思われる》(p56)。ただこの頃の遊牧民の移動の範囲は西アジアの荒野で、草原地帯ではなかった。
この遊牧民は家畜の世話以外に、交易商としても活躍した。農耕定住民との関わりは大草原の遊牧民(後述)と比べてかなり関係が深かった。言い換えれば、農耕定住地域に依存する生活様式だった。
次回は草原に進出した遊牧民について書く。