歴史の世界

エジプト文明:先史② 「緑のサハラ」の先史

前回は地理方面の話をしたが、今回は考古学方面の話を書こう。

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第8章で言及した地名を含むサハラ砂漠とエジプトの地図

出典:ブライアン・フェイガン/古代文明と気候大変動/河出書房新社/2005(原著は2004年出版)/p209

考古学の時代区分のおさらい

後期旧石器時代、Epipaleolithic(=亜旧石器時代=終末期旧石器時代=続旧石器時代)、中石器時代

前回の記事で「緑のサハラ」は12000年前に湿潤化が始まったと書いたが、この12000年前(紀元前10000年)頃がエジプトの考古学の区分の後期旧石器時代とEpipaleolithicの境界となる(エジプトから見て西方の地域は中石器時代Mesolithicの用語を使っているようだ→Prehistoric North Africa - Wikipedia )。

12000年前は また更新世完新世の境界、つまり最終氷期の終わった時代だ。氷期間氷期の境界とも言える。

後期旧石器時代、Epipaleolithic、中石器時代については以前の記事「旧石器時代/中石器時代/Epipaleolithic 」に書いた。

Epipaleolithicと中石器時代の違いについては私は理解していないのでこのブログでは同じものとして扱っている(理解できたら書き直そう)。

後期旧石器時代に入ってから石器の種類が増え、文化(またはライフスタイル)も、以前の人類と比べるとより複雑になっていった。この流れはEpipaleolithic(中石器時代)、そして新石器時代でも進行して、今もその流れの中にいると言っていいと思う。

後期旧石器時代

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最古の後期旧石器時代の遺跡は(図6)、エジプト中部ナイル河西岸に位置するナズレット・カダル遺跡であり、今から33000年前に年代づけられる。この頃、大型獣の主流に生業の主体があった。

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その後今から21000年前頃から、小型化した石器が使用されるようになるとともに、さまざまな石器文化(industry)をもつ遺跡が、とくにエジプト南部ナイル河大屈曲部から第2急湍(きゅうたん)付近にかけてのナイル河流域に集中して出現する。[中略]。当時の遺跡の集中や集団墓地の存在からは、人びとが水の豊かなナイル河の流域で、比較的安定した生活を営んでいたことがうかがわれる。[中略]。これらの遺跡の多くからは、ナマズを主体とする多量の魚骨のほかに、水鳥の骨や貝類が出土する。そして、湿地に生える植物の種子や根茎が重要な食料源になっていた。したがって、ナイル河に近い水辺の環境のなかで、多様な資源を利用した複合的な生業が、比較的安定した生活を可能にしていたわけである。

出典:高宮いづみ/エジプト文明の誕生(世界の考古学⑭)/同成社/2003/p23-24

上の図5にあるように12000年前以前はずっと乾燥していたわけではない。

引用にあるように21000年前頃はサハラは乾燥が激しい時代だった。ブライアン・フェイガン著『古代文明と気候大変動』*1によれば、20000年から15000年前までの乾燥が激しい時代にはサハラには「人類はほとんど誰も住んでいなかった」とある。

おそらく、乾燥が厳しくない時代にサハラの南縁(つまりサヘル)に住んでいた人々がナイル河に移り住んだのだろう。ナイル河は激しい乾燥の時代でも絶えず枯れることなく流れていた。

上の引用では「比較的安定した生活」をしていたと書いてあるが、その比較対象は他の地域に住んでいる同時代の人々で、他の時代の人々と比較すれば楽な生活をしていたとは言えないだろう。

21000年前頃の彼らがナマズなどを食べ始めたのは大型獣が捕れなくなったからだと考えられる。

また感染症を絶えず気にしなければならなかったアフリカの人々は、大人数の集落を形成することを好まなかった。それにもかかわらず集落が形成されたのは、住める場所が限られてしまったからだろう。

そのように考えれば、新しい文化に対する乾燥化の影響は少なくない。



次回は「緑のサハラ」の時代の話をしよう。

*1:河出書房新社/2005(原著は2004年出版)/p210

エジプト文明:先史① 緑のサハラ

エジプト文明が誕生するより数千年前、サハラ砂漠は今よりも湿潤で動植物が多く生息していた。この環境と時代を「緑のサハラ」と表現することがある。

この記事では、ナイル川周辺が砂漠で覆われるより前の北アフリカについて「緑のサハラ」について書いていく。

北アフリカが比較的湿潤だった時代のことは以前の記事「先史:アフリカ大陸の農業の起源について - 歴史の世界」に書いたが、手元に別の参考文献があるので、この記事も参考にしながら改めて書いてみよう。

アフリカとサハラの地理のおさらい

アフリカ大陸の地図と気候

まずはアフリカ大陸の地図

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植生の季節変動、2月と8月

出典:アフリカの地図<wikipedia*1

緯度と気候の関係

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大気の大循環のモデル
海陸分布や地形の影響を受けるので、実際の風の吹き方はこの図の通りにはならない。地表面を吹く風は、北半球では進行方向右へ、南半球では進行方向左へ曲がる。
(1)熱帯収束帯(赤道低圧帯) 赤道付近ではあたためられた大気が上昇気流を生じ、低圧帯となり降雨がもたらされる。
(2)亜熱帯高圧帯(中緯度高圧帯) 赤道付近で上昇した大気が冷やされ、緯度20~30度付近で下降気流が生じて高圧帯となり、晴天がもたらされる。[以下略]

出典:中村和郎 監修/よくわかる地理/学研教育出版/2013/p49

熱帯収束帯は熱帯で常に低気圧なために常に雨が降り熱帯雨林が、亜熱帯高圧帯は亜熱帯で常に高気圧なため常に晴天で砂漠が、形成される。そしてアフリカ大陸では上の地図のようになる。

サハラは亜熱帯高圧帯に位置する砂漠。

熱帯雨林気候と砂漠気候のあいだにはサバナ気候とステップ気候がある。サバナ気候は熱帯に属し、夏季と雨季を持つ。ステップ気候は乾燥帯に属し、夏季と雨季を持つが雨季でも少量の雨しか降らない。サハラ砂漠の南縁のステップ地帯をサヘル(地帯)と呼ぶ。ちなみに、サヘルから大地溝帯以東の東アフリカを除いた中央・西サヘルのことを(歴史的)スーダンと呼ぶ(これは歴史で使われる地域名称であり、現在の国名とは別物だ――スーダン(地理概念)<wikipedia参照)。

「緑のサハラ」の原因

現在のサハラと「緑のサハラ」の時代は何故ちがうのか。私はこのことについてあまり理解できていないが、分かる範囲で書き残しておこう。

ヒプシサーマル期(完新世の気候最温暖期、Hypsithermal)

この時代はヒプシサーマル期(完新世の気候最温暖期、Hypsithermal)に相当し、ヒプシサーマル期はミランコビッチ・サイクルに関係している。

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地球軌道要素の概略図。現在、地球は北半球の冬に太陽に最も近づく。
9000年前は北半球の夏に最も近づく(夏が今より暑い)。

出典:気候と植物の相互作用 - 東京大学大気海洋研究所気候システム研究系

もうひとつ引用。

ミランコビッチ・サイクル

この気候事件[ヒプシサーマル期のこと--引用者注]は、おそらく地球軌道の変化で簡単に説明が付き、最終氷期終了の延長的な現象と思われる。

9,000年前、軌道要素では地軸の傾き(グラフobliquity)が24°で、極域の夏に最も太陽が近づいており(近日点、グラフの偏心率 eccentricity)、北半球が受ける日射量が極大となる。ミランコビッチ要素の計算からは、更に北半球の夏の日射量がより増加し、より熱せられるという結果が導かれる。

出典:完新世の気候最温暖期 - Wikipedia

  • この引用文の後に「また、太陽黒点の活動も活発な時期であった。この結果、雷を伴った嵐が活発な熱帯収束帯と呼ばれる地域が南へシフトしたと予想される。」と書いてあるが、これについては理解できない。

ミランコビッチ・サイクルは地球の日射量の変動の周期を意味する。ヒプシサーマル期において北半球が受ける日射量が極大になった。日射量が極大になるということはその分 熱量が極大になるということで、より温暖になるということだ。

上の図にあるように北半球の夏に最も近づく。さらに、現在の地軸の傾きは23.4°だが、当時はさらに傾いているため北半球により日射量が偏ることになる。

日射量が増加すると大気循環が強くなり、大気循環が強くなると降水量が増加する。

こうしてヒプシサーマル期は温暖・湿潤の気候を形成した。

ほかにも要因があるようだが、理解していないので書けない。

ヒプシサーマル期におけるサハラの環境

一番影響があったのは地軸の傾きのようだ。現在よりも傾いていたため上述の熱帯収束帯(赤道低圧帯)と亜熱帯高圧帯(中緯度高圧帯)が共に北上したため、二つの境界線が現在の砂漠地帯の中央辺りまで北上した。

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第8章で言及した地名を含むサハラ砂漠とエジプトの地図

出典:ブライアン・フェイガン/古代文明と気候大変動/河出書房新社/2005(原著は2004年出版)/p209

このようなサハラの環境を「緑のサハラ」と呼んでいる。サヘルの北上と言ったほうが より正確かもしれないが。

「緑のサハラ」は12000年前に湿潤化が始まり、6000年前頃から乾燥化が始まったらしい。

エジプト文明シリーズを書く

これからエジプト文明シリーズを書く。「エジプト文明」カテゴリーに保存する。

エジプト文明とは?

エジプト文明については最初のエジプト統一王朝から最後のプトレマイオス朝までが語られている。詳しいものだと、統一前の先史とローマ帝国の属国の中のエジプト文化も書いている。(古代エジプトwikipedia参照)

私はこのブログの中で詳しく見ていきたいと思っている。

このブログでの「エジプト文明」カテゴリー

今のところ、先史から中王国時代あたりまでをこのカテゴリーの中でやりたいと思っている。それ以降はオリエント世界のカテゴリーの中でやろうと思っているが、思案中。

このカテゴリーで書くこと

まず先史を詳しく書く。農業の誕生からエジプト統一まで。

その次に王朝の誕生と文明の発達。もちろんピラミッドは何かも。

「進化論と人類の進化」カテゴリーの主要な参考図書およびウェブサイト

「進化論と人類の進化」シリーズ終了。ホモ・サピエンスネアンデルタール人などは 先史/ホモ・サピエンスのカテゴリーを参照のこと。

世界中の学者が様々な説を展開していて決着が着いていないものだらけだ。このカテゴリーで採用した説が主流なのかどうかは分からない。数年前に主流だったものが現在は違うということによく出会ったので。

この記事では、主な参考図書とウェブサイトを書き残しておく。

雑記帳(ブログ)

sicambre.at.webry.info

古人類学関連の論文などを紹介・解説しているウェブサイト。

ブロガーさんがどのような人か知らないが蓄積された知識を持っているようだ。頻繁に投稿してくれて関連した記事も併せて紹介してくれているので非常に勉強になった。

類似のウェブサイトに 河合信和の人類学のブログがあって、こちらも有用だが、投稿は少ない。

長谷川眞理子/進化とはなんだろうか/岩波ジュニア新書/1999

進化とはなんだろうか (岩波ジュニア新書 (323))

進化とはなんだろうか (岩波ジュニア新書 (323))

進化とは何かを知るために読んだ。入門書。

突然変異、種・属、自然淘汰など進化の根本的な知識を学ぶのに役立つ。

Amazonのレビューはある程度参考になる。

ダニエル・E・リーバーマン/人体 600万年史 上/早川書房/2015(原著は2013年に出版)

この本は人類の進化から現代人の様々な健康障害にまで書いているものだが、このカテゴリーでは健康障害については一切触れていない。上巻しか読んでいない。

驚くべきは、現代人の身体の大部分はホモ・エレクトス/エルガステルの時代に走るために進化した結果だという。私はこの本の主張に説得されてしまって鵜呑みにしてしまっているが、著者の主張がどれほど支持されているのか全く知らない。

ロビン・ダンバー/人類進化の謎を解き明かす/インターシフト/2016(原著の出版は2014年)

人類進化の謎を解き明かす

人類進化の謎を解き明かす

『人体』が解剖学的な進化とすると、こちらは進化心理学系のはなし(?)。

人類の集団・社会形成と脳の大きさを関連させて人類史を読み解こうとするもの。

この本を理解するためにはまず社会脳仮説と時間収支モデルを理解して、さらに初めて見るような用語を多く覚えなければならなかった。

この本を理解するためにいくつもの記事を書いてしまったが、とりあえず著者の主張を納得している。将来、著者の主張が否定され破棄されないことを祈る。

Ausutralia Museum / The Smithsonian Institution's Human Origins Program

Australian Museum

The Smithsonian’s National Museum of Natural History Human Origins website

無料で有用な情報が得られるウェブサイト。化石人類の個々の種や化石サンプルを調べるために利用した。



この他にも様々なウェブサイトを利用した。私の英語力がせめて大学生レベルだったらもっと有用なサイトに出会えたかもしれない。


【用語】解剖学的現生人類

解剖学的現生人類と現代的行動

どうやら「身体は完全な現生人類(ホモ・サピエンス)だが現代的行動を身に着けていない現生人類のこと」という意味のようだ*1。この用語ができた時点では現代的行動を身に着けた人類こそが真のホモ・サピエンスだ、という認識があった。

しかし現在では、現代的行動を持っているかどうか分からない場合にもこの言葉を使うらしい。

現代的行動については「現代的行動<wikipedia」に簡潔に書いてある。このブログでも取り上げた(「先史:ホモ・サピエンスの「心の進化」/現代的行動」 )。

ホモ・サピエンスの現代的行動の出現は10年前まで遡れるらしい。これについても「現代的行動<wikipedia」に書いてある。以前は5万年前あたりにヨーロッパで突然のように出現したという説が有名だったが、現在では10万年前あたりから漸進的に発達していったという説のほうが有力らしい。

個人的には10万年前から始まった現代的行動は6~4万年前に"爆発"した(この件に関しては記事「ホモ・サピエンス:出アフリカ/文化の"爆発"」に書いた)。その理由は簡単に言えば、各地で起こっては消えていた現代的行動が、ネットワークの拡大と頻繁なコミュニケイションにより、消えることなく継承され蓄積された結果だということだ。

現代的行動と進化

私は、ホモ・サピエンスが現代的行動を身につけたのは、上に書いたようにネットワークの力であって、進化の結果ではないと思っていた。

しかし、脳がホモ・サピエンスの種内の中で斬新的に拡大していったという論文が発表されて、進化と現代的行動は何らかの関係があるかもしれないと思うようになった。

脳の斬新的な拡大に関する論文は以下のものだ。

Neubauer S, Hublin JJ, and Gunz P.(2018): The evolution of modern human brain shape. Science Advances, 4, 1, eaao5961.
http://dx.doi.org/10.1126/sciadv.aao5961

これについては、「雑記帳」というブログの記事「現生人類の脳の形状の進化」で解説が書いてある(私はこのブログを見てこの件を知った*2 )。

人間の脳の形状に起こった比較的最近の変化が人類を大きく発展させたGigazine」にはマックス・プランク研究所の研究成果をまとめたyoutube動画が貼りつけられている。

ただし、この論文には脳と現代的行動の関係については書いていないらしい。



*1:人類史第4版 第5章 現代的行動の起源 

*2:数少ない日頃読んでいるブログ

【用語】 猿人・原人・旧人・新人/旧人(旧人類)archaic humans

授業の中で

私はむかし、人類は「猿人→原人→旧人→新人」のように進化した、と教えられた。最近の中高生が実際にどのように教えられているかは分からないが、youtube に上げられている幾つかの授業を見ると、あまり変わっていないようだ。

実際の進化はこんな簡単なものではないが中高の授業で分類学上の論争を披露しても意味が無いので、便宜的に上のように教えるのは至極まっとうだと思う。これらの用語は時代区分の代わりをしているようだ。

学界では?

それでは学界ではどうなのだろう。

猿人→原人→旧人→新人という人類進化の図式は、多くの日本人にとっておなじみのものとなっているでしょうが、これは人類の単系統の発展段階を前提としています。しかし、猿人とされた人類と原人とされた人類だけではなく、旧人とされた人類と新人とされた人類も長期間共存していたことや、旧人の代表格のネアンデルタール人はわれわれ新人の祖先ではない、との見解が有力になってきたことなどから、人類の単系統の発展段階説は、もはや破綻してしまったと言ってよいでしょう。

しかし、説明しやすく便利な概念であることと、慣例もあってか、日本ではまだ猿人・原人・旧人・新人という用語がひんぱんに使われています。ただ、英語圏ではもはやこうした用語が使われることはほとんどないようで、近年の古人類学関係の論文や報道でも、私が読んだかぎりでは、こうした用語は登場していません。

出典:猿人・原人・旧人・新人という日本語訳の問題について <雑記帳(ブログ)2007/10/08

そのむかしは、ネアンデルタール人が現代人(ホモ・サピエンス)の祖先だと考えられていたが違ったので、上のような仮説は破綻したのだが、それでも用語は今でも使われ続けているようだ。

素人の私の意見としては日本の学者が「○○原人」とか「△△猿人」などと使っているのは、原人や猿人を時代区分の代わりにしているのだと思う。あとは、アウストラロピテクスのような長ったらしい言葉を書くのが面倒なのかもしれない。

教科書の中の用語と種・属の関係

歴史教科書としては以下のように区分されている。

邦訳書の中の「旧人」は"archaic humans"

上の引用のように海外でこれらの用語に相当するものは使用されていないということだが、2つの邦訳書*1で「旧人」という言葉が使われていた。検索した結果これらは、"archaic humans"の訳だった。

「archaic humans<wikipedia英語版」によれば、この言葉はホモ・ハイデルベルゲンシスとネアンデルタール人が含まれる*2

化石を種ごとに正確に分類するのはなかなかむずかしいし、いったいいくつの種がホモ・エレクトスの末裔なのか、どの種がどの種の祖先なのかについても一致した見解はない。ともあれ重要なのは、これらの人類が基本的にホモ・エレクトスの脳の大きい変異体ということであり、人間の身体の進化について考えるなら、彼らをひとくくりにして「旧ホモ属」(俗に旧人類」)としょうするのは便利だし、理にかなってもいる。

出典:ダニエル・リーバーマン/人体 600万年史 上/早川書房/2015(原著の出版は2013年)/p161

ここでも「旧人類」つまり旧人は時代区分の代わりとして使用されている。

まとめ

原人や旧人、あるいはarchaic humansなどは、時代区分の代わりとして使用し、分類学上の論争の影響を避けるためにわざと曖昧な用語になっていると理解できるだろう。



*1:ダニエル・リーバーマン『人体 600万年史 上』(早川書房/2015(原著の出版は2013年)とロビン・ダンバー『人類進化の謎を解き明かす』(インターシフト/2016(原著の出版は2014年)) 

*2:ホモ・アンテセッサーやホモ・ローデシエンシスは多くの学者がホモ・ハイデルベルゲンシスに分類している

人類の進化:ホモ属各種 ⑦ネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシス)

ネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシス Neanderthal、Homo neanderthalensis)は以前はホモ・サピエンスの直系の祖先と言われていたが、近年の研究により、共通祖先を持つ別系統の種であるとされている(前回の記事参照)。

歴史教科書では「旧人」と紹介されている。

生息年代

「Neanderthal<wikipedia英語版」によれば、25-4万年前。ただし、進化は複数の特徴となる部分が別々の年代に進化したので、学者の意見は分かれているようだ。

シマ・デ・ロス・ウエソス(Sima de los Huesos)洞窟で43万年前の頭蓋骨などが見つかったが、これらの骨を「初期ネアンデルタール人」という人もいれば*1、ホモ・ハイデルベルゲンシスと言う人や*2、「その両方の特徴を持っている」とする人もいる*3

まあ、人類の進化や他の種の進化を思い起こせば、これは当然のことだと理解できるだろう。進化は時間がかかるものだ。

そして、典型的な特徴を一揃え揃えたネアンデルタール人は71000年にようやく現れる*4

また、これも「Neanderthal<wikipedia英語版」からだが、ネアンデルタール人の化石は13万年以前のものは極端に少なく、それ以降は多くなる。

13万年を境に、それ以前を早期ネアンデルタール人、以降を典型的ネアンデルタール人(おそらく後期ネアンデルタール人)と呼ぶらしい。

特徴

重複するが、13万年を境に、それ以前を早期ネアンデルタール人、以降を典型的ネアンデルタール人(おそらく後期ネアンデルタール人)と呼ぶらしい。

早期ネアンデルタール人は大きく平たい大臼歯、大きな顎、突き出た鼻、太い頬骨、隆起した眉、脳容量が小さいなど、原始的特徴を残している。

後期ネアンデルタール人は後頭部が異様に出っ張っているのが目立つ。このでっぱりのことは記事「人類の進化:ホモ属の特徴について ⑫脳とライフスタイル その7(脳とライフスタイルの進化 後編)」で書いているが、ここでも書いておこう。

ネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシス)とホモ・サピエンスの脳の大きさはそれぞれ、1170-1740cc、1100-1900cc(ダニエル・E・リーバーマン/人体 600万年史 上/早川書房/2015(原著は2013年に出版)/p169)。「ネアンデルタール人wikipedia」にあるように(おそらく)平均値ではそれぞれ1600cc、1450cc とネアンデルタール人の方が脳が大きいようだ。

しかし、脳が大きい=頭がいいと即断できないことをダンバー氏の本は示している。

ダンバー氏曰く、ネアンデルタール人の脳の発達は、視野系を発達させるため、すなわち弱い日差しの中で(生息地は高緯度のヨーロッパ)、遠くまで見える能力の発達の結果だということだ。

高緯度地帯では日差しが弱いので、遠くのものを見づらいのだ。これは狩人にとって深刻な問題で、子どものサイを仕留めようとしているときに、母親のサイが暗い森のはずれにひそんでいるのを見逃すというミスを犯す訳にはいかないからだ。日差しが弱い地域での暮らしは、たいていの研究者が考えるより大きな負担を視覚に強いる。

出典:ダンバー氏/p190

このために後頭葉の最後部にある第一次視覚野が発達した。そのために後頭部が異様に出っ張っているような形になっている。

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出典:ネアンデルタール人wikipedia*5

簡単に言うと、ネアンデルタール人は視野系を強化するために脳の大きさを発達させたが、社会認知を高めるための脳の前方領域の発達は無かった。いっぽう、ホモ・サピエンスは低緯度地域アフリカで視野系を発達させない代わりに前方領域が拡大した(ただし、現代人も高緯度に住んでいる人びとは比較的視野系が発達しているらしい(これによる前方領域の脳の犠牲は無い) )(p192-194)。

これにより、ネアンデルタール人は思考・判断などを司る前方領域の脳の拡張が制限されかもしれない。これがホモ・サピエンスとの生存闘争に負けた原因の一つとなった。記事「先史:ホモ・サピエンスの「親戚」、絶滅する -- ネアンデルタール人とホモサピエンスの運命を分けたもの」参照。

手足の特徴↓。

四肢骨は遠位部、すなわち腕であれば前腕、下肢であれば脛の部分が短く、しかも四肢全体が躯体部に比べて相対的に短く、いわゆる「胴長短脚」の体型で、これは彼らの生きていた時代の厳しい寒冷気候への適応であったとされる。

出典:ネアンデルタール人wikipedia

発見・公表

ここでは3つだけ化石を挙げておこう。

Neanderthal 1

最初に科学的研究の対象となったネアンデルタール人類の化石が見つかったのは1856年で、場所はドイツのデュッセルドルフ郊外のネアンデル谷 (Neanderthal) にあったフェルトホッファー洞窟であった。これは石灰岩の採掘作業中に作業員によって取り出されたもので、作業員たちはクマの骨かと考えたが念のため、地元のギムナジウムで教員を務めていたヨハン・カール・フールロットの元に届けられた。フールロットは母校であるボン大学で解剖学を教えていたヘルマン・シャーフハウゼンと連絡を取り、共同でこの骨を研究。1857年に両者はこの骨を、ケルト人以前のヨーロッパの住人のものとする研究結果を公表した[11]:217-219。ちなみにこの化石は顔面や四肢遠位部等は欠けていたが保存状態は良好であり、低い脳頭骨や発達した眼窩上隆起などの原始的特徴が見て取れるものである。

出典:ネアンデルタール人wikipedia

ネアンデル谷 (Neanderthal)で発見された化石が基準標本で、Neanderthal 1 。45000-40000年前。

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Neandertal 1856 - Neanderthal 1 - Wikipedia

La Ferrassie 1

1909年、フランスのドルドーニュにあるLa Ferrassie遺跡でLouis Capitan と Denis Peyrony によって発見された。50000年前。

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出典:La Ferrassie 1 - Wikipedia*6

ほぼ完璧な頭蓋骨で、典型的なネアンデルタール人の形状を持っている。つまり、ボールが上から潰されたようになっていて、後頭部の方向に伸びている。

Altamura Man

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出典:Altamura Man - Wikipedia

イタリア南部のAltamuraの近くの洞窟で1993年に発見された。128,000 - 187,000年前。

眼窩上隆起や矢状稜など早期ネアンデルタール人の特徴を持つ。

生活様式

ネアンデルタール人は、イスラエル南部からドイツ北部までの遺跡調査で、ウマ、シカ、ヤギュウなど、大型から中型の哺乳類をとらえる狩猟生活にほぼ完全に依存していたことがわかっている(地中海沿岸では貝も食べていた)。植物も少しは口にしたようだが、植物を加工して食べた痕跡が見つかっていないことから、スタイナーらは、ネアンデルタール人にとって植物は副食にすぎなかったとみている。

ネアンデルタール人のがっしりした体を維持するには、高カロリーの食事が必要だった。特に高緯度地方や、気候が厳しさを増した時期には、女や子どもも狩猟に駆り出されただろう。

出典:特集:ネアンデルタール人 その絶滅の謎 2008年10月号 ナショナルジオグラフィック 7ページおよび8ページ

狩猟のやり方は待ち伏せて槍で仕留める方法をとった。

ネアンデルタール人は有能で成功した狩猟採集民だった。もしもホモ・サピエンスがいなかったら、彼らはいまでも存在していたのではないだろうか。ネアンデルタール人は複雑で洗練された石器を作り、それをもとに掻器や尖頭器など、さまざまな種類の道具をこしらえた。火を使って食物を調理し、野生のオーロックス(原牛)やシカウマなどの大型動物をしとめた。

出典:ダニエル・E・リーバーマン/人体~科学が明かす進化・健康・疾病 上/早川書房/2015(原著は2013年にアメリカで出版)/p165

  • 掻器は皮なめしに使う石器。毛皮についている脂肪や肉を掻き取るために使用された。
  • 尖頭器は字のごとく先端を尖らせた石器で槍先につけた。

また、他の人のブログ記事「ネアンデルタール人の人口史 雑記帳/ウェブリブログ」では、「複数の小規模集団に細分化されていき、集団間相互の交流は稀だった、との見解を提示」する論文が紹介されている。

ホモ・サピエンスはネットワークを作って天災などの緊急事態に対して保険をかけていたが、ネアンデルタール人はそのような保険をかけていなかったかもしれない。

ネアンデルタール人の絶滅については、記事「先史:ホモ・サピエンスの「親戚」、絶滅する -- ネアンデルタール人とホモサピエンスの運命を分けたもの」で書いた。

おもな参考文献