歴史の世界

先史:ホモ・サピエンス:出アフリカ/文化の"爆発"

前回に引き続き、今回もNHKスペシャル取材班『ヒューマン~なぜヒトは人間になれたのか~』を中心にして記事を書く。

ヒューマン  なぜヒトは人間になれたのか

ヒューマン なぜヒトは人間になれたのか

今回は「第2章 なげる人・グレートジャーニーの果てに ~飛び道具というパンドラの箱」。出アフリカとホモ・サピエンスの行動の変化に注目する。

出アフリカ。一度目の試み

アフリカで産まれたホモ・サピエンスが他の大陸へ渡ろうとした試みを「出アフリカ」と呼ぶ。出アフリカは6万年前に行われて、そこから世界各地に拡散したことが膨大な遺物と研究によって詳細に分かっている。しかし、この前に一度、12万年前に出アフリカを試みて失敗していたことがあった*1

12万年前、ホモ・サピエンスが最初にアフリカを出た場所は中東だった。ここにはネアンデルタール人という先客がいて生存競争をして敗れ去った(と言っても75000年まで、8万年も生き続けた)*2

なぜこの時、生存競争に敗れたのか?

12万年前の中東の環境

12万年前は中東はアフリカ並みに温暖だった*3。「更新世wikipedia」によれば「リス氷期」と呼ばれる氷期は12万年前に終わったという。

ネアンデルタール人はヨーロッパで寒冷期に産まれ、寒さに耐えられるように頑丈な骨格を持っていた。彼らは中東にも進出して12万年前の温暖な環境にも適応していた。

生存競争をしてはいたが、両者の戦闘はなかったようだ。これは6万年の後の両者の関係も同じ。

競争相手・ネアンデルタール人ホモ・サピエンスの敗北

ネアンデルタール人は有能で成功した狩猟採集民だった。もしもホモ・サピエンスがいなかったら、彼らはいまでも存在していたのではないだろうか。ネアンデルタール人は複雑で洗練された石器を作り、それをもとに掻器や尖頭器など、さまざまな種類の道具をこしらえた。火を使って食物を調理し、野生のオーロックス(原牛)やシカウマなどの大型動物をしとめた。

出典:ダニエル・E・リーバーマン/人体~科学が明かす進化・健康・疾病/早川書房/2015(原著は2013年にアメリカで出版)/p165

  • 掻器は皮なめしに使う石器。毛皮についている脂肪や肉を掻き取るために使用された。
  • 尖頭器は字のごとく先端を尖らせた石器で槍先につけた。

このようにネアンデルタール人も相当の技術を持っており、当時のホモ・サピエンスは彼らの技術を上回るものを持っていなかった。両者の違いと言えばネアンデルタール人の「レスラー仕様」のような体格の優位性くらいだったが、その「差」が生存競争でホモ・サピエンスは劣勢に立たされていたと『ヒューマン』は主張する。重量級の格闘家が武器を持って大きな熊と戦うシーンを想像してみるといいかもしれない。一般的な現代人(ホモ・サピエンス)がその真似をして同じ成果を出せるかどうか。

そして寒さが厳しくなった74000年前(ヴュルム氷期の始まり)を境に、ホモ・サピエンスは中東から姿を消した*4

競争排除則(ガウゼの法則)

一般に同じ資源(餌や営巣のための場所など)を必要とする生物同士は、1つの場所に長期間にわたって共存することはできないと言われる。1つのニッチを複数の種が共有することはできないため、その環境により適応した種が生存し、環境への適応という点で劣る種は排除されてゆく。この過程ないし現象を競争排除といい、競争排除が起こるメカニズムのことを競争排除則(ガウゼの法則)という。

出典:ニッチ<wikipedia

ネアンデルタール人がアフリカにまで進出したらホモ・サピエンスが絶滅したかもしれないが、寒冷の気候に適応して産まれたネアンデルタール人にはアフリカ定住は厳しかったのかもしれない。

『ヒューマン』と違う主張

パット・シップマン著『ヒトとイヌがネアンデルタール人を絶滅させた』(原著は2015年出版)*5という本がある。これによると、ホモ・サピエンスは13万年前頃にレヴァント(地中海東海岸)に進出した、としている。以下はシップマンの主張(p65-66)。

13万年前から74000or71000年前までのあいだ地球は温暖期だった。ホモ・サピエンスは自分がアフリカから出ているという認識は当然持たずにレヴァントに生活の場を求めてたどり着いた。

この期間にレヴァントにネアンデルタール人の存在を示す物はほとんどない、としている。そして74000or71000年前になると寒冷期に入り、ホモ・サピエンスはレヴァントから姿を消し、入れ替わるようにネアンデルタール人がそこに戻ってきた。

つまり言いたいことは、両者の力量の差でホモ・サピエンスが撤退を強(し)いられたのではなく、環境の変化により両者の居住可能域が変化した、ということ。シップマン氏は両者が近接して共存したいたかどうかもはっきりしていないとする。

二度目の「出アフリカ」。リターンマッチ

ホモ・サピエンスは6万年前、再び中東に進出した。結論から言えば、ホモ・サピエンスネアンデルタール人との生存競争に勝利し、ネアンデルタール人は絶滅へと追いやられる。

勝利の原因 ~技術革新~

いったいなぜ、私たちの祖先はリターンマッチに勝利することができたのか。

シェイ博士が大きなヒントを示してくれた。手元には三つの石器がある。それぞれスフール、タブーン、エル・ワドというこれまで紹介してきた、カルメル山の三つの洞窟で見つかったものだ。写真を見ても分かるように、スフールとタブーン洞窟のものには、まったく違いがない。それぞれ、"先発組"のホモ・サピエンスネアンデルタール人がつくったものだ。ともに、ルヴァロワ技法という方法でつくられた石器で、ナイフのように獲物の肉や皮を切ったり、槍先につけて突き刺したりするのに使われた。つまりこの時点では、ふたつの人類の技術水準は同じだったのである。

ところが、エル・ワド洞窟で見つかったもの、つまり"後発組"がつくった石器は、ほかのふたつとはまったく違っていた。細長い形をしている石刃と呼ばれる石器で、エル・ワド洞窟に限らず、ヨーロッパからアジア、アメリカ大陸に至るまで世界各地で発見されている。いわば"後発組"の名刺代わりのような石器なのだ。

出典:ヒューマン/p134-135

上記の石器および技法については「打製石器<世界史の窓」の図解付き解説参照。リンク先の絵を見れば分かるように容易に大量生産できる技法だ。

この石刃をどのように使ったかというと投槍につけた。ルヴァロワ技法で作られた石器よりも薄くて軽く空気抵抗も少ない。ホモ・サピエンスはこれをつけた投槍で小さくてすばしっこい中小動物を狩猟が可能になった。いっぽう、ライバルのネアンデルタール人は投槍を使わなかった。その理由は分かっていない(ヒューマン/149-150)が、小柄なホモ・サピエンスに比べて大柄なネアンデルタール人は中小動物の肉では腹を満たせなかったのかもしれない(p141)。

さらにホモ・サピエンスはこの投槍を飛ばす投擲具(アトラトル atlatl)を作った。「atlatl」で動画検索すると どういったものかが分かる。

[ジョン・シェイ博士(考古学者/ストーニー・ブルック大学)]「この道具は投擲具といいます。こちらは投擲用の槍。やりの先端にはあの石刃が取り付けられています。この槍は、とても軽く、手で投げても遠くまで飛びません。せいぜい15メートルくらいで威力も弱いです。しかし、このように投擲具と組み合わせれば、殺傷力の高い強力な武器になります。フックにやりを引っ掛けて飛ばせば、梃子の作用で、かなり遠くまで素早く飛ばすことができます。威力も増します。」(p140)

これを使ってシカやウサギなどの中小動物だけでなくサカナも捕ることができた(p142)。

ネアンデルタール人が大型動物を捕っている一方で、ホモ・サピエンスが中小動物を捕るという状況だと生存競争にならないような気がする。これに対し『ヒューマン』によれば、大型動物が気候変動などにより個体数が減っても、ホモ・サピエンスは繁殖の早い中小動物や魚を捕ることによって食料を確保することができる、とした(p141)。

石刃と投擲具とは別の角度から。前述の『人体』から。

ネアンデルタール人]の行動は完全に現代的とは言えなかった。たとえば骨角器をほとんど作らなかったから、動物の毛皮で服を作っていたはずなのに針をこしらえていなかった。[中略]彼らの生息環境の一部には魚も甲殻類もふんだんにいたのに、どちらもめったに食べなかった。原材料を25メートル以上運ぶこともほとんどなかった。(p165)

7万年以上前のたくさんのアフリカの遺跡から、アフリカに棲んでいた最初の現生人類は長距離交易をしていたことがうかがえる。つまり、そこには大きくて複雑な社会ネットワークがあったわけだ。(p208)

出典:リーバーマン氏/人体

骨角器について。

骨角器(こっかくき、bone tool)は、動物の骨、角、牙、殻などを材料として製作された人工品である。道具に限らず、装身具も含む。遺跡から出土する動物遺体の一種。

世界的にはっきりと道具として認識できる形状のものが出現するのは新人が出現した後期旧石器時代に入ってからである。

利器としては、銛(もり、ヤス)や鏃(やじり)、釣り針、ハマグリなど二枚貝の腹縁を欠いて刃にした貝刃(かいじん)、斧、篦(へら)、匙(さじ)、縫い針などがある。装飾品としては首飾り・耳飾り・髪飾り・腰飾りがあり、また、単独の彫像品もある。

骨角器<wikipedia

2段落目の「複雑な社会ネットワーク」については『ヒューマン』第1章の「分かち合う心」から派生したものだろう。

ちなみに槍で大型動物を狩る描写↓

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作者:Heinrich Harder/1920*6

上の絵は作者が大型動物(グリプトドン)を待ち伏せで狩ろうとしているホモ・サピエンスの想像図だが、おそらくネアンデルタール人もこのように狩をしていたのだろう。木や草むらに隠れて待ち伏せして大型動物が近づいた時に槍で突いた。ホモ・サピエンス槍投げ具を作ったあともネアンデルタール人は絶滅するまでこの方法で狩をしたようだ。

現代的行動

以上のホモ・サピエンスの技術革新を『ヒューマン』は「文化の創出」としている。つまりアフリカから連綿と続き蓄積された文化の中の技術により困難を克服したということだ。

これとは違う説として「神経仮説」とか文化の「ビッグバン仮説」と呼ばれるものがある。

この論争(?)は前回の最初の節に書いた現代的行動の話になる。

「現代的行動<wikipedia」によると『銃・病原菌・鉄』で有名なジャレド・ダイアモンド氏が文化の「ビッグバン仮説」(同氏の言葉では"大躍進")を採用しているが、ネット検索をしているかぎりではこの説は否定される方向で進んでいるらしい。

現生人類(ホモ・サピエンス)の行動面の進化

旧モデル
スタンフォード大学のリチャード・クラインらが唱えた「創造の爆発」モデルで、現代人的行動は、4~6万年前に新しい技術革新が突然に一斉に起きたことによって出現したとする。

これは、アフリカでの知見があまり考慮されておらず、おもに、ヨーロッパの研究成果から導かれた説であった。

新しいモデル
2000年に、アメリカの考古学者サリー・マグブレアティとアリソン・ブルックス(2人とも女性) が新たな説を発表した。

それは、次のような根拠から、現代人的行動は、アフリカで緩やかに、それぞれバラバラに出現したとするものであった。

  • 石刃技法、オーカー(酸化鉄の赤色顔料)の採掘・使用--28.5万年前ごろに始まる。
  • 尖頭器(槍先)=MSA(Middle Stone Age)[中期石器時代]--ほぼ同じ頃。
  • 貝の採捕、漁労--10数万年前
  • 定形的骨器、逆刺のついた骨製尖頭器--10万年前頃
  • 外部への記憶オーカー、ビーズ--7.5万年頃

出典:第262回 特別講演会 日本人の起源 河合信和先生<邪馬台国の会

上の「旧モデル」がダイアモンド氏の「大躍進」で、「新しいモデル」というのが『ヒューマン』の言うところの「文化の創出」だ。そして『ヒューマン』は「新しいモデル」の論文を発表したアリソン・ブルックス氏にインタビューしている。

ブルックス氏]「アフリカにいた私たちの祖先は、9万年前には十分に現代的でした。彼らには私たちと同じように考えることのできる脳があり、言語、精神性、宗教など現代の私たちと同じものを持っていたのです。もしも当時、技術的・社会的な環境があったなら、彼らはコンピューターさえ発明していたでしょう」

実際に、アフリカで現代的行動を窺(うかが)わせる証拠が次々と見つかってきていることで、博士たちの主張は説得力を増しているといえよう。対して「ビッグバン仮説」は、ヨーロッパはアフリカに比べて発掘調査が進んでいるがゆえの見かけ上の飛躍かもしれないという点から再検討もされている。

出典:ヒューマン/p146

飛び道具が大集団社会を可能にした

上で飛び道具の投擲具(アトラトル)の話をしたが、この飛び道具の誕生が社会の変革をも齎(もたら)したという話。心理学全般ちんぷんかんぷんの私にはこの説を納得できていない。

とりあえず、まず最初に「ダンバー数」という用語の説明から始める。

ダンバー‐すう【ダンバー数
ヒトを含む霊長類が、互いを認知し合い、安定した集団を形成できる個体数の上限。1993年に英国の人類学者ロビン=ダンバーが提唱した、霊長類の脳を占める大脳新皮質の割合と群れの構成数に相関関係があるという仮説に基づく。ヒトの場合は平均150人程度とされる。

出典:ダンバー数デジタル大辞泉小学館コトバンク

この用語は広く認められているようだ。ロビン=ダンバー氏は狩猟採集民の「氏族(クラン)」が平均で153人であったという。「氏族」という単位は『ヒューマン』によれば*7、「ふだんの生活は別々だが、同じ狩り場や水場を利用したり、時折集まっては祭りや儀式を行う、いわゆる顔見知りの者同士のネットワークの大きさ」ということだ。狩猟採集民に限らずこのダンバー数があらゆる組織の単位として採用されているという。

ではこの数字を超えるとどうなるのか?

集団の大きさは原理的には、大きいほどいい。それだけ外的に対して強くなるなど、集団生活のメリットはサイズに応じて大きくなるのだ。だから、生息場所や食料の問題が出ない範囲で、集団サイズは上限をめざすということになる。[中略]

[霊長類は]序列のある社会をつくっているため、相手が誰で、自分より上位か下位かが、分かっていないと、健全な社会生活を営むことができないのだ。つまり、顔見知り同士、相手のさまざまなことを記憶できる範囲の数しか仲間になれないということになる。思考や記憶を司る題の新皮質の大きさが集団サイズに相関するのは、そうしたことが理由にあるのである。

出典:ヒューマン/p178

大集団社会の作り方

ここでは150人を超える社会を「大集団社会」といっておく。これを可能にしたのが飛び道具アトラトルだという。

『ヒューマン』はアメリカ・オハイオ州ネイティブ・アメリカンの遺跡群、ホープウェルを紹介する*8。この遺跡群では半径100メートルほどの円形の施設(遺跡)が数多く見つかっている。この施設は季節ごとに集まり交易や宗教を行う集会場として機能し、1000人から3000人集まった。

この150人を超える人数の秩序をどのように守ったのか?

広場の外周は土塁を築き、中央に高く盛ったマウンドをつくる。そしてマウンドの上にアトラトルを持った監視官を置く。アトラトルの射程距離は100メートルなので、悪漢が土塁を登って外へ逃げようとする前に射止める事ができるという寸法。

この原始的な「監視」が150人の「壁」を越える原理になったということだ。

ちなみに、ダンバー数を発案したダンバー氏は違う見解を持っているそうだ。同氏の本を読んでいないがネット検索によるとそのカギは言語(ほか)らしい。また、2016に日本で出版された世界規模で話題になっている『サピエンス全史』(ユヴァル・ノア・ハラリ著)では(この本も読んでない)、「虚構」だそうだ。この「虚構」には宗教・法律・制度など人類がつくりだした社会システムが含まれている。個人的にはハラリ氏の意見を支持したい。

文化の"爆発"

とりあえず、ホモ・サピエンスは「150人の壁」を越えることができた。ではその先に何があったのか?文化の"爆発"が起きた。

[クリストファー・ストリンガー博士(ロンドン自然史博物館)]「集団のネットワークが大きくなると、問題に取り組む人衆が増え、新しいアイデアが次々に出やすくなります。それがもっとも発揮されるのは、氷期のような気候変動に見舞われた場合です。仲間が集って『さあ、どうしようか』と頭をひねっても、そうそういいアイデアが出るものではありません。それよりもお税でアイデアを出し合い、片っ端から試してみればいいのです。必要なのは、既存の知識をどれだけ知っているかではなく、新しいことにチャレンジできる絶対的な人数なのです」[中略]

[同氏]「現在は、いいアイデアが生まれれば、それは失われること無く受け継がれていきます。文字や資格情報などいろいろな方法で保存され、次の世代に伝達されるからです。過去はそうではなく、いいアイデアは出てきては、多くの場合失われていました。新しい文化や技術というものが定着するには、アイデアがどう保存されるかが問題です。それには情報が広まる安定した大きなネットワークが必要です。それがあれば、アイデアが存続するチャンスは大きいのです」

出典:ヒューマン/p189-190

集団の規模が大きくなったことで情報がより多く蓄積され、その蓄積された情報を使って多くの人びとが、多くのアイデアをチャレンジして、多くの新しい文化を生み出した。

「文化の"爆発"」は上述の「神経仮説」や文化の「ビッグバン仮説」の主唱者が言っているようなものではなく、大社会で蓄積された文化や技術がセットになって現れはじめたのが5万年前あたりだった、ということのようだ。



*1:ヒューマン/p125

*2:ヒューマン/p128

*3:ヒューマン/p129

*4:NHK/p131-133

*5:邦訳版も2015年出版/原書房

*6:ダウンロード先:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Glyptodon_old_drawing.jpg

*7:p177

*8:p183-185

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