前々回にも書いたことだが、ホモ・エレクトスは、ホモ属の代表的な種の一つだ。生息年代は100万年を超え、生息地域もユーラシア大陸で広範囲に確認されている。
生息年代
150-5万年前(ホモ・エルガステルを入れると190万年前に遡る)
特徴
ホモ・エレクトスの特徴については、記事「人類の進化:ホモ属の特徴について ①~⑫」で書いたが、外見的(解剖学的)な特徴は「②長距離走行に焦点を置いたホモ属の形態的な特徴」に書いてある。
発見・公表
1891年、ジャワ島のトリニールで、オランダ人 ウジェーヌ・デュボワが臼歯と頭蓋冠を発見した。すべて合わせて Trinil2、別名「Java Man」、日本語名「ジャワ原人」。100-70万年前。脳容量900cc。
翌1892年には大腿骨も発見した。
1894年、同氏はAnthropopithecus erectusとして発表。
この化石の発表の顛末については前回書いたとおり。当分の間、ただのサルの化石ではないかと疑われていたが北京とジャワ島で相次いでホモ・エレクトスの化石が発掘されたため、デュボワ氏の功績が認められた。
1923年、北京周口店地区の竜骨山で、スウェーデンの地質学者ユハン・アンデショーンとオットー・ズダンスキーが、臼歯の化石を発掘した。78-68万年前。
1929年に裴文中により頭蓋が発掘されたことを皮切りに次々とホモ・エレクトスの化石が発見された。
1960年、オルドヴァイ渓谷でルイス・リーキーが頭蓋冠を発掘した。OH 7。別名 Chellean Man。
ホモ・エルガステルとする人もいるらしい。
150万年前。脳容量:1000cc。
ジャワ原人
ジャワ原人はジャワ島で独自の進化を遂げたらしい。
年代の決定はつねに論争があるところだが、目安として書いておくと、サンギランのサンギラン層から見つかるジャワ原人化石は160万~120万年前にさかのぼり、バパン層の新しいところでは100万~80万年前くらいまで。サンブンマチャンの年代は不明だが、およそ30万年前という可能性が示唆されている。ガンドンは10万年前から5万年前とされる。
これらすべてを3つの化石群に分けるなら、“前期のジャワ原人”(サンギラン、トリニール)、“中期のジャワ原人”(サンブンマチャン)、“後期のジャワ原人”(ガンドン)といった分類が可能だろう。それぞれの年代は、およそ120万~80万年前(160万~100万年前との意見もある)、30万、10万~5万年前である。前期と中期の間には50万年ものギャップがあるが、この時期のジャワ原人化石は事実上見つかっていない。[中略]
写真3 (左から)前期、中期、後期のジャワ原人頭骨の比較
前期のサンギランは頭骨が低く額も狭いが、後期のガンドンはより高く、額は広がっている。中期のサンブンマチャンは額は広いが頭骨は低い。「継続的な進化と結論したのは、前期から中期、後期にかけて連続的な形態変化が認められるからです。これ、古いものとして、トリニールの模型を見てください。脳容量が小っちゃくて、頭の高さが低くて、それから額がものすごく狭い。きゅっと狭まっている。一方で、サンギランでも新しい部類のサンギラン17号ではそれがゆるくなって額が広くなる。この傾向は、のちのサンブンマチャン、ガンドンへと受け継がれていきます(写真3)。年代が新しいガンドンの頭骨になるともっと額が広くなって、頭もこんもり丸くなっていきます。脳容積もはっきりと増えているんですよ」
ジャワ原人の脳容量が時代を追って少し増えていることは、以前から知られていた。海部さんらはそれ以外にも、頭骨の各所に様々な変化が生じていることを綿密な調査で示したのだ。単に「大きくなる」のではなく、額のきゅっと狭まったところが広がり、頭骨が丸みを増し、脳頭蓋の底の部分が前後に伸びたり、眼窩上隆起(眉の部分の骨が飛び出る構造)の外側部分が分厚くなったりというイメージらしい。これ、CG動画にして見てみたい気がする。
ジャワ原人は百数十万年にわたって停滞していた人類だと思われていた。つい最近までの話だ。しかし、海部さんがまず、咀嚼器官(歯や顎)の縮退を確認し、さらに頭骨の形もかなり変化していることを明らかにした。
その他
ドマニシ人について
ドマニシ人についてはホモ・エルガステルの記事で少しだけ触れた。
ドマニシ人はホモ・エレクトスの種に入るようだが、その一方で、エレクトスとハビリスの中間的な特徴を持っているとされている。上記の見解を支持する人たちは、エルガステルもエレクトス種としているのだろう。
出アフリカの問題
ドマニシ人の誕生は180万年前前後なので、人類の出アフリカはこの年代以前ということになる。ただし、ドマニシ人がユーラシア全土のホモ・エレクトスの祖先かどうかは分からない。エレクトスは波状的に出アフリカを繰り返していたので、別系統ではないかという意見のほうが多いかもしれない。
エルガステルの問題
これまでエルガステルとエレクトスを見てきたが、エルガステルをエレクトスと別個の種と考えている人は少ないようだ。エレクトスの種は変種の幅が広いので、エルガステルがその中に入っても問題ないというか、入れないことのほうが不自然なのかもしれない。
ただ、エルガステルが、ホモ・ハイデルベルゲンシス(ハイデルベルク人)の子孫であることが有力だそうなので(ハイデルベルク人はネアンデルタール人とホモ・サピエンスの共通祖先)、仮にエレクトスの種内として扱う場合でも他の変種よりも重要だと思う(エルガステルをアフリカ系エレクトスとする人たちもいる)。
アジア圏の生息年代の問題
ネット検索していると、「ジャワ島のMojokerto childは180万年前」とか「雲南省の元謀原人は170万年前」とか出て来るが、私は今のところ信じられないので、信じる気になったらもう少し調べようと思う。
エレクトスの絶滅の問題
2011年のEtty Indriati氏らの論文によれば、ジャワ島のエレクトスは5-3.5万年前に絶滅した、というのが2011年頃までは おおかた信じられていたようだ。おそらくこのくらいの年代が今も主流なのではないか。ホモ・サピエンスは65000前にオーストラリアに到達し*1、6.3万年前にはスマトラ島に到達していたらしい*2。
おそらく、エレクトス種はハイデルベルク人やネアンデルタール人、ホモ・サピエンスなどの新しい種に生活圏を奪われ、最後にジャワ島でホモ・サピエンスに出会ってしまって絶滅した。これは自然淘汰説どおりの簡単なシナリオだ。
ただし、Indriati氏らの論文の結論では「143000+2000/-1700年前」に絶滅したという*3。この論文にはエレクトスの絶滅の原因については書いていないようだ。
分布
Distribution of Homo erectus sites
- このサイトによればバルカン半島以西のヨーロッパへの進出は90万年前以降になるという。
Movius Lineとタケ仮説
「Movius Line」というものがある。
The Movius Line
この仮説の説明と現状(?)は以下のとおり。
ハラム・モビウスが前期旧石器時代の石器資料や石器製作技術の違いから、旧世界における東西の2大文化圏の存在を示して以降、旧世界を2分する境界はモビウスラインと呼ばれている(Movius 1948)。西側地域においては前期旧石器時代・中期旧石器時代をとおして、ハンドアックスやルヴァロワ技法で製作された石器が認められるのに対して、東側地域ではそれらが認められず、チョッパー・チョッピングトゥール石器群が長期間継続する。
こうしたことからモビウスは,東南アジア及び東アジアにおいてチョッパー・チョッピングトゥール石器群が長期間継続した現象は文化的停滞を示していると解釈した。その後、モビウスラインをめぐる様々な解釈が提示されてきた。具体的には、石器石材の制約、地理や地形上の障壁、タケ仮説、人口規模と社会的伝達などについてこれまで議論されてきた(Lycett and Bae 2010)。この中で、タケ仮説は、間接的な根拠に基づく仮説であるものの、モビウスの解釈に対する反論として注目されてきた。特に、この仮説は、ホモ・サピエンスが東南アジアや東アジアに定着したと想定される4万年前以降の研究では現在でも支持されており、より直接的な証拠を得るための努力が続けられている。その一方で、およそ4万年前以前の研究においては、タケ仮説の捉えられ方は大きく異なっている。タケ仮説を否定的に捉える研究者がいるとともに(Brumm 2010; Lycett and Bae 2010)、人口規模と社会的伝達という側面からモビウスラインについて説明されることが多い(Lycett and Norton 2010)。
出典:山岡拓也「モビウスラインの解釈に関する考古学的研究の歴史と現状」の紹介文(PDF)<第3回研究大会 パレオアジア文化史学 アジア新人文化形成プロセスの総合的研究 2017年5月13日(土)-14日(日)
ここではホモ・エレクトスに関わる話に限定する。
ハンドアックスはアシュール石器(アシューリアン)の石器の代表的なものだが、これが東アジアと東南アジアでは殆ど見つからない。アシュール石器は175万年前にアフリカでホモ・エレクトス(またはホモ・エルガステル)が発明したとされている。
上述のドマニシ人はアシューリアンの技術を持たずオルドワン型の石器群を使用していたことから*5、アジアに向かったホモ・エレクトスも同様だったと考えることができる。ただし、その後アシューリアンのような発明は何故おこらなかったのか、という問題がある。
「人口規模と社会的伝達という側面」というものは詳しくは分からないが、おそらく「人口が少ないため、あるグループ(部族)がアシューリアンのようなものが発明されても、周りに普及する前にそのグループが絶滅してしまって発明が継承されない」ということなのではないか。
「タケ仮説」について、上の引用文に付け加えることは、「竹のような硬いものをどのような道具を使って加工したのか?」という問題になる。 ホモ・エレクトス時代の技術でオルドワン石器で竹製品を作ろうとしてもアシュール石器のような鋭利な刃先は作れなかった。竹が いくら硬いといっても石ほどではない。
オルドワン型の石器群の中で小さな発明があった、という見解がある。
他の意見としては、そもそもオルドワン型の石器群で十分生きていけた、というものもある。新しい石器群を発明する必要が無かったのかもしれない。
参考文献
- Homo Erectus<wikipedia英語版
- Java Man<wikipedia英語版
- 北京原人<wikipedia
- Peking Man<wikipedia英語版
- Olduvai Hominid 9<wikipedia英語版
- 29. Homo erectus<OER services
- 山岡拓也「モビウスラインの解釈に関する考古学的研究の歴史と現状」の紹介文(PDF)<第3回研究大会 パレオアジア文化史学 アジア新人文化形成プロセスの総合的研究 2017年5月13日(土)-14日(日)
- ぼくたちはなぜぼくたちだけなのだろう - 第20回 頭骨から見る「増大していく脳容量」p1-2<ブルーバックス
- ジャワ島の末期エレクトスの年代 <雑記帳(ブログ)2015/06/15
*1:記事「ホモ・サピエンスの大拡散:オーストラリア・日本編」参照
*2:1世紀以上前にデュボワが発掘したスマトラ島の洞窟の歯はこの地域最古(7.3万~6.3万年前)の現生人類の歯と判明<河合信和の人類学のブログ 2017/8/19
*3:ジャワ島の末期エレクトスの年代 <雑記帳(ブログ)2015/06/15
*4:パブリック・ドメイン、作者:José Manuel Benito Álvarez、ダウンロード先:https://en.wikipedia.org/wiki/File:Biface_Extension.png