歴史の世界

メソポタミア文明:初期王朝時代⑪ 青銅器時代の幕開け

西アジアでは、後期銅石器時代(約6000~5100年前)に銅製錬の技術が発展していき、砒素銅やエレクトラム(金と銀の合金)などが鋳造されてくる。後期銅石器時代の工房では、メソポタミアの近場で算出される銅鉱石から高品質の銅を得るために、別の鉱物を意図的に混ぜ合わせたと推察される。[中略]

約5000年前になると、ついに銅と錫の合金である錫青銅が開発される。手近に産出されていた銅と、さまざまな鉱石の組み合わせが試みられていった結果、もっとも効果的なのが錫であることがわかった。西アジアで最古級の錫青銅は、アッカド地方のキシュ遺跡(現代名ウハイミル)で、初期王朝時代ⅢB期(約4400年前)のA墓地に副葬された斧である。この青銅斧には、錫が15.5%含まれていることから、錫青銅の精錬技術においてまだ初歩的な段階にあったと推定されている。こうした銅と錫の出会いによって青銅器時代の幕開けとなる。

錫青銅の原料となる錫は、比較的メソポタミアの近場で採掘できた銅とちがい、かなり遠方に行かないと手に入らない。良質な錫の産地は、イラン東部からアフガニスタンにかけての地域に限定される。したがって、メソポタミアの支配者たちが東方の資源を開発するには、陸上交易網の整備を待たねばならなかったのである。

出典:小泉龍人/都市の起源/講談社選書メチエ/2016/p154-155

上の同ページにおよそ5500年前にはロバが荷車を牽いている光景が西アジアで見られた、としている。つまりこの頃以前にロバの家畜化と車輪の発明は為されていた。

下はメソポタミア文明インダス文明のあいだの交易ネットワーク。

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出典:後藤健/メソポタミアとインダスのあいだ/筑摩選書/2015/p113



青銅器が登場したのは初期王朝時代ⅢB期の時代だが、青銅器がシュメール統一にどの程度 関係していたのかは分からなかった。

初期王朝時代はとりあえずこれで終わり。