歴史の世界

中国_前漢

「前漢」カテゴリーの主要参考図書

西嶋定生/秦漢帝国/講談社学術文庫/1997年(中国の歴史2 秦漢帝国/講談社/1974年の文庫版) 秦漢帝国 (講談社学術文庫)作者: 西嶋定生出版社/メーカー: 講談社発売日: 1997/03/10メディア: 文庫 クリック: 8回この商品を含むブログ (7件) を見る 一番頼…

前漢・王莽政権と前漢滅亡

前回の記事(成帝・哀帝の治世)の最後に書いたように、哀帝の死後、実権は再び王氏一族の元に転がり込んだ。まず、孝元皇太后(元帝の皇后・王政君)が皇帝璽綬を得て、王莽を呼び寄せて大司馬領尚書事に就けて政治を任せた。*1 王莽は哀帝の後継に中山王衎…

前漢・成帝・哀帝の治世

匈奴との友好関係 内政 王莽が属する王氏一族 哀帝の親政 匈奴との友好関係 宣帝・元帝の時代に続き、この頃も匈奴との友好関係は続いていた。匈奴の単于が代替わりする度に漢に人質を送っていた。このような関係は前漢が滅亡するまで続く。 外界の強敵は匈…

前漢・元帝の治世

宣帝のまっとうな政治と匈奴の弱体化のおかげで元帝の代も平和な時代だと言っていいように思う。元帝は宣帝の作った道を進めば良いだけでほとんど何もしないでよかった。元帝の治世では大きな災禍はなかったようだ。 そのような状況の中で朝廷がやったことが…

前漢・宣帝の治世

霍氏一族を族誅した後、宣帝の親政が始まる。その政治は霍光政権の恤民政策の継承と発展であった。匈奴が分裂したこともあって総じて平和な時代だった。約5200字。 内政――循吏と酷吏 循吏の登場 何よりも大事なことは、人民の生活を安定させることであり、そ…

前漢・霍光政権②:昭帝の死去から宣帝即位まで/霍氏一族の族誅

霍光独裁政権は宮廷・朝廷内でいろいろな事件はあったものの、内外の政治は基本的に順調だった。霍光は天珠を全うした。霍光の一族はその権力を受け継いだが、宣帝がこれを誅滅した。約3300字。 霍光政権の対匈奴・西域政策 眭弘の禅譲進言事件 昭帝の死去か…

前漢・霍光政権①:内朝・外朝/恤民政策/塩鉄会議

武帝が亡くなり昭帝が立つ。御年8歳。昭帝を支えるのは武帝が選んだ3人、大司馬大将軍の霍光、左将軍の上官桀、車騎将軍の金日磾(じつてい)*1。3人の実権が確定するとおきまりの権力闘争が起こり、その結果 霍光が独裁者となった。約4000字。 昭帝即位…

前漢・武帝⑯:武帝の死/武帝の評価

皇太子を冤罪で失うという悲劇のわずか4年に武帝は亡くなる。参考文献には武帝が後悔のうちに死んでいくような描写が多い。なんとなく情けないような感じで終わってしまった武帝の治世だが、その治世の全体を見渡せば武帝の才能は高く評価されるべきだろう…

前漢・武帝⑮:神秘主義/巫蠱の乱

神秘主義、オカルトと言ってもいいだろう。現代では大の大人がオカルトを真顔で話し出すと信用を落としかねないが、近代科学のない古代中世の世ではそうではなかった。数々の偉業を成し遂げた武帝もその一人だった。絶大な権力を持つ武帝が神秘主義に振り回…

前漢・武帝⑭:諸制度の始まり 正史/元号/太初暦

塩鉄専売など武帝の治世より始まったものはたくさんある。この記事では以前に書いたもの以外の重要な「始まり」を3つ挙げる。多数の制度の改変によって武帝代以前の帝国とは別物になった。これは秦制からの脱却とも言える。約3400字。 正史の始まり、『史記…

前漢・武帝⑬:儒教の隆盛

始皇帝の焚書坑儒によって致命的なダメージを受けた儒教は前漢代に入って「解禁」された。しかし前漢代の序盤の思想の潮流は黄老思想が幅を利かせて儒教はその影に隠れていた。 武帝の治世に入り儒教は表舞台に躍り出る。武帝は政治思想の支柱として儒教を黄…

前漢・武帝⑫:酷吏の出現/州と州刺史の設置

塩鉄専売/五銖銭と貨幣の中央政府独占発行の記事でこれらの経済政策を行う時に違反を厳しく取り締まる酷吏の存在が必要だったことに触れた。別の記事で算緡令と告緡令に触れたが、「告緡令のせいで中産以上の商人の大半が破産した」という。商人をそこまで…

前漢・武帝⑪:運河 漕運/灌漑/治水

太田幸男氏*1によれば、武帝の時代に大規模な運河がいくつも作られた。治水・灌漑・漕運の3つの目的を兼ねたものが多かったとのこと。約3000字。 まずは黄河の地図 漕運 灌漑 治水 前132年 黄河、大氾濫。以後二十数年にわたり修復できず。 前126年 漕渠開…

前漢・武帝⑩:算緡令・告緡令/均輸法・平準法/桑弘羊

前回の記事経済関連その1において塩鉄専売という商人の一番の利益を謂わば横取りするようなことをして利益を得たが、今回の増税策でも商人たちがターゲットになっている。前漢の経済官僚として有名な桑弘羊は商人出身だが、このような政策を推進したのは彼…

前漢・武帝⑨:塩鉄専売/五銖銭と貨幣の中央政府独占発行

武帝の前の二代にわたる治世は文景の治と呼ばれ讃えられている。民の生活の安定に重きを置き、金銭的・人的コストが酷くかかる対外戦争は避ける方針を採った。この結果国庫は潤い備蓄の食料が腐るほどだったという。 しかし武帝の対外戦争は四方に敵を作り、…

前漢・武帝⑧:第二期対匈奴攻戦

第一期対匈奴攻戦は以前書いた。前134年~前119年。衛青・霍去病が活躍し、匈奴を北方へと追いやった。しかし第二期の戦いでは漢の軍事作戦はほとんど失敗し、多大な戦費と人命だけを消費した。武帝は前89年、この戦争から手を引くことを決断した。対外戦争…

前漢・武帝⑦: 西域支配

西域とはおおまかに言って中央アジアのこと。「古来、中国人が中国の西方にある国々を呼んだ総称」*1。 前漢及びそれ以前の漢人は西域について詳細な知識を持っていなかった。張騫によって初めてもたらされた。張騫の「冒険譚」は『史記』の大宛列伝にかかれ…

前漢・武帝⑥ :衛氏朝鮮攻略

武帝治世の朝鮮半島北部に衛氏朝鮮という国があった。衛氏朝鮮の王は漢人で、現地諸民族の併呑と漢からの流入者で国は栄えた。三代目の朝鮮王が漢の言うことを聞かなくなったため武帝はこれを攻め滅ぼした。約1000字。 前108年 衛氏朝鮮、滅亡。「漢四郡」が…

前漢・武帝⑤:西南諸民族攻略

西南諸民族は西南夷と呼ばれていた。『史記』では「西南夷列伝」に書かれている。東南地域と同様にこの地域も漢人はほとんど住んでいなかった。そもそも中原とは全く気候の違う場所で、当時の漢人には住みづらい場所だっただろう。そして当然、中央政府の威…

前漢・武帝④ :東南勢力併合

この記事でいう東南勢力とは、南越国・閩越(びんえつ)国・東甌(とうおう)国の3つの国とする。長江下流より南に位置する。この3国がどのような国だったのかを調べた。調べたといっても、wikipedia調べでそのソースは『史記』などの短文のものだ。どこま…

前漢・武帝③: 第一期対匈奴攻戦

前135年、文帝の皇后、竇太后、死去。竇太后は文帝の代から政治に口出しする人だったらしく、彼女が生きている間は武帝は頭が上がらなかった。その竇太后が死んだ。この頃はまだ景帝の皇后の弟の田蚡(でんふん)などがいて、武帝の専制体制はできていなかっ…

前漢・武帝②: 中央集権化の完成

前漢はその初期から諸侯王の勢力を抑制する方針を採ってきた。当初の郡国制は時代が下るにつれ秦の郡県制に近づいていった。つまり諸侯王の勢力が段階的に削減されて中央集権化が進んだ。これが完成するのが武帝の代だった。これが完成するには以下のような…

前漢・武帝①:武帝の即位/権力闘争/官吏登用制度

前漢で高祖劉邦の次に有名なのが武帝。その武威を四方に轟かせたために「武帝」と諡をつけられた*1。ただし最初から積極的に外征に出たわけではない。武帝が即位するのはまだ16歳の時であり、親政する力はなかった。約2000字。 武帝の即位 権力闘争 官吏登…

前漢・景帝の治世/呉楚七国の乱

「文景の治」と文帝と並び称されるように、景帝の政治は文帝の継承するものだった。「文景の治」と言えば、仁政により安定した社会を築いたと言われるが、景帝は文帝の代から行われていた諸侯王抑制策も推し進めた。そしてこれが呉楚七国の乱につながってい…

前漢・文帝の治世

意図せずして皇帝になった文帝。 臣下の意見をよく聞き慎重に行動した賢帝だった。 彼の治世は前代までのように蕭何の法(九章律)を順守しているだけでは社会の平和を得られない状況になってた。後世讃えられた「文景の治」はこのような状況の中で彼の賢明…

前漢・恵帝/呂太后/恵帝・呂太后の治世の社会

『史記』の本紀には恵帝・少帝恭・少帝弘の本紀がなく、その代わりに呂太后本紀がある。『漢書』には恵帝紀と高后紀が置かれ少帝恭・少帝弘は無い。皇帝でない呂太后がこのように本紀に書かれるように、彼女は絶対的権力を持っていた。約1800字。 恵帝の治世…

前漢・高祖劉邦⑤:休民政策/黄老思想

「休民政策」とは便宜的な言葉で、用語辞典に載っているようなものではない。字のごとく「民を休める」ための政策のことだ。これと黄老思想の関係は後述する。約2000字 休民政策 黄老思想 休民政策 漢五(前二〇二)年二月に皇帝となったあと、高祖は洛陽に…

前漢・高祖劉邦④:法三章/蕭何の九章律と秦律

蕭何が作ったとされる「九章律」は漢の法典なのだそうだ(「法典」についてはリンク先参照)。これに関連して法三章と秦律(秦の法律)のことも書く。約1700字 法三章 蕭何の九章律と秦律 法三章 秦帝国が亡びる直前、子嬰は「三世皇帝」と称せずただ秦王と…

前漢・高祖劉邦③:功臣粛清

楚漢戦争で劉邦を勝利に導いて諸侯王になった功臣たちは、漢帝国ができて直後に「危険人物」と見なされて滅ぼされる。約2700字。 功臣を粛清する理由 標的となった異姓諸侯王、最初の七人 もう一人の異姓諸侯王、盧綰 功臣粛清の裏に呂后? 功臣を粛清する理…

前漢・高祖劉邦②:郡国制

郡国制は封建制と郡県制を併用したものと言われている。だからまずは封建制と郡県制を知らなければならない。約2300字。 封建制とは? 郡県制とは? 郡国制とは? 封建制とは? 中国の封建制は日本と西欧の封建制とは似て非なるものと考えたほうがいい。ここ…